富士谷成章以前の国学者は、そして成章以後の学者も、表記=仮名遣いのそれについてはべつとして、言語そのもの=語法は歴史に変遷するということへの認識にとぼしく(宣長も例外ではない)、たとえば和歌であれば、前後600年の隔きのある二十一代集を同列に扱って用例を引いたりしていると、著者は指摘する。ただし富士谷のみそうでないという(「解説 (四)『あゆひ抄』の記述組織とその語学説 (5)歴史的観察と共時的観察」同書70-76頁)。ではそれはなぜかという問題になるわけだが――。
(風間書房 1960年4月)
(風間書房 1960年4月)