書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

アンリ・セルーヤ著 矢島文夫訳 『アラブの思想』

2015年07月01日 | 地域研究
「第三章 哲学の諸派」より。

 〈啓示〉は必要ではあるけれども、このことを断言させているものは理性である。理性こそ、当初において、このような判断をなしたものであって、同様にして理性は感覚のもろもろの誤ちに対する守りとなり、あるいは〈神〉の美しさや偉大さを評価し、あるいはわれわれを誤ちに導き入れるかもしれぬ奇蹟を裁量するのである。プロテスタント教徒と似て、ムウタズィラ派の人たちは、理性を媒介にしてしか、あるいは自然な理性の解釈によってのみ、予言の必要性を認めていた。であるから、自然な理性が彼らに義務を課さない限り、〈予言者〉のもろもろの言葉も検討されえないのであった。こうした考えは正統派のそれらとは根本的に異なるものだったのであって、後者にとってはその逆に、人間理性を信仰に従わせるものは〈啓示〉なのである。 (“予言と理性” 75頁)

 この“理性”はlogosnousか。

(白水社 1964年6月)