書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

康有為「上摂政王書」読感

2014年03月08日 | 思考の断片
 丹念に読んでみたが、語彙と表現の出典の基準が滅茶苦茶である。上は春秋戦国時代から下は同時代、横は諸子百家から経書を経て所謂当時の時文に至る。日本語漢語(「理由」)まである。文体として統一がとれていない。深文言と浅文言の語彙表現の線引きは例外はあるが、だいたい秦と前漢の間で引くから、この康の文章は両方に跨がっているということになる。韓愈・柳宗元また欧陽脩以後の古文といえないこともないが、少なくとも清代の桐城派の「古文辞類纂」の基準からは外れている(時文や日本語からボキャブラリーを借りている)から、当時の主流的な観点からいえば古文とも呼べまい。破格の文章である。だがその代わり達意と叙述の妙を得た。
 ちなみに曾国藩は桐城派と言われることがあるが、康についていまここに述べたのと同じ理由でそうとはいえないだろう。もっとも彼を別に一派を立てた人とみる向きもある。