書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

東久世通禧 『竹亭回顧録 維新前後』

2006年09月27日 | 日本史
 著者は、幕末のいわゆる「七卿落ち」(文久3・1863年)の七公家の一。二歳年長の孝明天皇に幼少期より遊び相手、のち近習として近仕した経歴を持つ。

 「Wikipedia」、「東久世通禧」 
  →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E4%B8%96%E9%80%9A%E7%A6%A7

 この回想録は明治40(1907)年から同44(1911)年の間に口述筆記されたものである。
 どういうわけか、東久世通禧はこの書で、幕末・維新時に薩摩藩の実質上の君主として維新の最功労者の一人となり明治後は公爵・従一位大勲位と栄位栄冠を極めた島津久光(明治20・1887年死去)を、通称の「三郎」とだけ記して、いわば呼び捨てにしている。
 久光と共に幕末の四賢侯と称された山内豊信は「容堂」、松平慶永は「春岳(春嶽)」と、これは相応の敬意を籠めて号で称んでいるし(ただし伊達宗城は諱の「宗城」で、これも呼び捨て)、また薩摩藩と並んで維新の原動力となった長州藩の藩主毛利慶親には、さらなる敬意の印として「毛利大膳大夫慶親」と朝廷における官職まで附けてある。
 もしかして嫌いだったのかしらん。

(新人物往来社 1969年8月)

▲「asahi.com」2006年09月27日、「文春、岩波に謝罪 本の内容『正確さ欠く』」
 →http://www.asahi.com/national/update/0927/TKY200609260445.html
 「文藝春秋」ウェブサイト、「水谷尚子著『「反日」以前』に関する〈告知〉」
  →http://www.bunshun.co.jp/seimei/index6.htm

 備忘のためメモ。わからないのは、問題となった事実関係そのものがなかったということか、それとも推定無罪ということなのかという点。

▲「大紀元日本」2006年8月14日、「中共の対日戦略、自国民を欺く『靖国問題』」
 →http://www.epochtimes.jp/jp/2006/08/html/d40430.html

 少し古いが、あらためてメモ。