アール・ブリュット

2010-06-21 18:23:33 | 塾あれこれ
当ブログも情報を得る先が固定していますが
またもNHKの番組からです。
(金を払った分、見なきゃ)

アール・ブリュット(=アウトサイダー・アート)の
日本人作品を集めた展覧会がフランスで行われている
という紹介が「新日曜美術館」で行われました。

アールブリュットはこれまでもNHKで紹介されていたので
「ああ、あの作家ね」という人も多くおられましたが
今回番組のメイン=万里絵(すずき まりえ)さんは
初めて絵を見る方でした。

んとに近年は情報を得るのが遅いですねえ。

さんの絵は強烈なインパクトがあります。
近頃の若い女性には結構見られますね。
私など好きな絵ではありませんが一度見れば忘れられない
という絵を描こうと思うとたいへんな才能です。
特に、最近は似た絵が多いですからその中でも個性を出す
というのはスゴイ。

さんは心の赴くままに描いておられるだけですが。


アール・ブリュットというのは欧米で認知され
近年日本でも力を得てきつつある美術の流れの一つで
直訳すると「生の芸術」ということだそうで
正規の絵の勉強をしていない人が(そういう人にこそ)
本当の美しさを創造する力がある、という考えと
その作品群です。

どこかのサイトに日本で一番有名な人物は山下清と
書いてありました。


正規の美術の勉強とそれ以外を区別できるのか。

「神経症などのハンディを負った人が」などという形容詞を
つけて特別扱いしては、それも一種の差別ではないか。

など、課題も多いことでしょうが、自己を表現する道が
開けてきたということは良いことではないでしょうか。

教育全般にとっても示唆に富む運動だと考えます。


さんの絵は、同じ番組で紹介された他の作品とも
別次元の素晴らしさがあるように思いますが
(旧来の目に捉われている)というお叱りを
受けるかもしれません。

まずは一度本物を見たいですねえ。


追記
 *日本のアール・ブリュットならば他にも大勢いるのに
  どういう基準で展覧会をしてるんだろう?
 *NHKのスタジオにさんを呼んだのは、いかが?
  どういう基準で「おいでいただく」のだろう?
  さん、なんだか可哀そうなほど緊張しておられました。
 *27日夜、再放送があります。

残念ながら完敗

2010-06-20 17:32:41 | 塾あれこれ
予想よりは頑張ったように見えますが
実体はオランダが快勝のゲームでした。

いや日本も一応サッカーにはなっていましたよ。
ただオランダは明らかに楽をしていました。
万一、何かあっても引き分けですから、リスクなしの
高金利商品(そんなものありませんが)を買っているような
楽勝ムードでしたね。
そういうときに終盤で引き分けるチャンスも出るのですが。

何しろ日本のシュートがほとんど枠に行かないのだもの
勝てる要素はありません。

監督は勝ちに行く気があったのかなあ?
あの選手交代で?
岡崎でなく森本だったら・・

次戦に備えて選手を温存したのかしら。
余裕だね。

試合に出てない選手はただの練習要員みたいに見えるし

韓国やオーストラリアみたいに相手の強国がボコボコにし
かかるということなら日本も実力が上がってた証拠ですが
0-1で惜しいとか思っているようではいつまでも強くは
なれませんね。

TVや新聞が甘く評価するのはなぜ?
日本が強くなっているかもしれないと一般の人に思わせて
営業的に得をするからです。(目先ね)

長い目で見れば逆効果なんだけど。

ユスリに弱い国

2010-06-20 11:23:34 | 本の話
五年ほど前でしたでしょうか。
保護者面談の最中に電話が鳴りました。
カミサンがいない時でしたので懇談のお相手に
承諾を頂いて電話に出ると、なんとマル暴。

というか、そのように匂わされただけなのですが
目の前に生徒のお母様がおられますし対応に困りました。

「私を脅かそうとおっしゃるのでしょうか」

などと言えば懇談中のお母さんが何と思われるでしょう?

もちろん、マル暴は後でお断りをしておりますが、
当日はウヤムヤにして電話をおいたのも事実です。
「ちょこっとの金なら」という気持ちも過りました。

案外弱いなあ、という実感はあります。

ただし、もし少しでも金を出していたりすれば、きっと後々
何やかやと、引っ張られたであろう気がします。
多少ビビリながらも、断って正解。

このブログをマル暴関係の方がお読みだったら困るけど。
脅かさないでね、気が弱いから。
ヨロシク。

なお、ユスラれるようなことはしておりませんので念のため。


佐野眞一著『枢密院議長の日記』講談社現代新書

佐野さんの労作です。

倉富勇三郎(1853~1948)という官僚~枢密院議長を
勤められた方の残された膨大な日記を、分かりやすく紹介された
本で、新書としては400頁を超える厚いものです。

主に大正~昭和初期に宮内省の高級官僚を務め、のち名誉職
として枢密院議長を長年続けられた方です。
政治的には力を発揮するようなことはなかったようです。

久留米の武士の家に生まれ東大法学部を卒業して役人となった
出世ぶりからすると、それなりに実力があった方でしょう。

著者の佐野眞一さんによると残された日記は膨大で
そのまま出版しようとするとぶ厚い本で50冊以上になるそうです。

さらに大変なクセ字で判読が難しく、
文脈も追いづらいため研究が進んでいないそうです。
けれども一級の史料としてこれから更に有名になるらしい。

その史料に佐野眞一が挑んだのですが、何度も「苦労した」と
書かれておりますから、よほど大変なのでしょうねえ。


倉富日記の初めあたりは「宮中某重大事件」の時期です。
山県有朋内閣がつぶれたほどの大事件。

塾で仕事のおり便利な小年表(山川出版)にも

大正9年 宮中某重大事件
同10年2/10 宮内省「問題なし」と発表
同3/21 重大事件に関連し山県内閣総辞職
と書かれています。

宮内省の中からこの事件がどのように見えていたか
日記の内容からよく分かりますね。

この辺りから始まって、日記を紹介されるままに読むと
官僚という人たちのありさまや発想法などの勉強になります。
もちろん、その限界も。
その為に読んだ本ですが、もとの日記のめんどくさいこと。


この事件に関連してユスリにきたウヨクに
皇族が裏金を出して「解決」している事実があります。

内閣も警察のトップもみな了承のうえですから驚きですね。

そうして後日同じパタンでまた金をゆすられています。
いや、あいた口が・・・

賭博汚染で揺れる角界

2010-06-19 10:57:39 | 塾あれこれ
いつもながらの古い話から。

私が小学生の低学年、尾道での話です。
ご近所のオジサンがラジオを聞きながら相撲の勝敗を
チェックしていました。
相撲賭博をお楽しみだったのです。
勝敗に一喜一憂するわけです。

イタリアでサッカーに賭けをします。
どうもそのほうが、サッカーも面白いらしい。
洋の東西を問わず、人間というものは仕方のない。。

ただ、日本の昔の相撲賭博は禁じられていて
イタリアでは合法という違いがあるだけです。


急いで申し上げておきますが私は賭けごとは嫌いです。
というか賭けごとに耐えるハートがありません。

どうも祖父さん(幸兵衛)もそうだったようで
家では将棋すら賭けごととして禁止されていました。
(碁は良かった。ここが分からない・・・)

尾道でも昔は長屋のような横町に、床几をだして
いわゆる縁台将棋が盛んでした。

これが賭けごと。
勝負の結果でお金のやり取りをしていたようです。

パチンコ・マージャン・競輪・競馬・競艇・ゴルフ
公営からテキヤ、マル暴まで昭和は賭けごとだらけの
社会だったようです。

賭事だけでなく、商店街には「集金に来る」おにーさんが
たむろし、祭りも興行もヤクザぬきでは成りたたぬところが
あったようです。

会社は怪しげな業界雑誌なるものに高い金を払い
政治家はマル暴を利用し・・


角界を擁護するのではありません。

上記のように少し前まで、おおっぴらだった賭けごとや
資金供給を止めようという方向で社会が変わってきていたのに
なぜ角界はゾンビ状態だったか。

週刊誌などでは、八百長相撲とかが絶えず騒がれており
自浄の機会も多かったハズなのに。

会社でも裏社会とは手を切る方向で進んでいるようですし
少なくとも表向きはね。

たぶん、角界に危機意識がなかったのでしょう。
なんでかなー?
一部の古い政界が影響していたのではないでしょうか。

昨年、歴史的な政権交代がおきました。
その影響が角界にも及んだと思うのは深読みのしすぎ?

名古屋場所を開かせないぞ、という政権の姿勢は正しい。

いったん何かの形で関係を持つとそこから付け込まれるので
マル暴には要注意なのです。
「面倒だから金を払って」という気になりやすいのも
人情ですがね。

戦前、国家の中枢がユスラレて、金を払っていたなんて
とんでもない話があるのですが、

佐野眞一『枢密院議長の日記』講談社現代新書

それは明日のココロだ。

エシカルジュエラー白木夏子

2010-06-17 09:50:31 | 塾あれこれ
先日、NHKの『グランジュテ』で
日本のエシカルジュエリーを引っ張る女性として
白木夏子という方を紹介されました。

久しぶりに『グランジュテ』らしい方が登場され
興味深かったですね。
(私にはジュエリーは縁なき世界ですが)

昨年暮にドラマ『JIN‐仁‐』と同じくしてNHKの
『グランジュテ』も終わり、がっかりしていたら、また
始まっていました。
09.12.22のブログを参照ください。

それにしても(再開のアイサツがないぞ)

再放送でも流しているのかと思ったら違うじゃありま
せんか。少し見逃してしまいました。

といっても新しいグランジュテは、それほどピンとは
こなかったのが多かったのですが、
今回の白木さんは面白かった。

これだ、と思う世界を見つけたら、どこまでもやりぬく
そういう女性が日本にも沢山おられると云うことですね。

日本の女性が素晴らしいのか、
新しい教育が功を奏しているのか。


詳しい方からは叱られるかもしれませんが
フェアトレードに似ている世界だなあと思いました。

例えばコーヒー。
アフリカや中南米などで豆を生産している人たちは
長い間貧困に悩んできました。
今も大きな問題があると思います。

以前は、コーヒーを飲めば実は生産者を苦しめるだけだ、
という考えがあり、私の叔父などはその類を呑みません
でした。

近年、それでは現実的ではないとフェアトレードの
考え方が提唱されたのでしょう。
貧困を解消することの第一歩をどう始めるかです。

フェア=公正な、トレード=貿易関係。

第一次の生産者にきちんとした労働の対価が渡るように
することで、経済の安定を得てもらうことが、経済の
発展途上国には一番大切なことなのです。

これですべてが解決するわけではないのですが
まず出来ることから、というのが良いですね。
運動の進化を期待しましょう。

広島でもフェアトレードのショップ(大手町)が
新しい場所に移られたとか。
(・・まだ行ってません)


白木さんから話が外れました。

ジュエリーの世界でも経済の発展途上国での素材提供者は
貧困な状況に置かれているそうです。

その石を素材として経済先進国のジュエリーが作られると
すれば、問題が残りますね。

格差を否定して、関係するみんなが経済的に自立できるような
ジュエリーの世界を作ろうということだと思います。
エシカル=倫理的な、ジュエリーですね。

白木さんは、素材の輸入から、ジュエリー制作、販売までを
一手に行っておられるそうです。

ここに至るまでの苦労は如何ばかり・・

なにしろ、制作も営業も全く知らず、ド・シロートが
飛び込んだ世界で、グラン・ジュテですから。

今週末も楽しみになった

2010-06-16 10:25:43 | 塾あれこれ
よい時代になったものです。

私がサラリーマンをしていたころ
例えば30年前アルゼンチンでのワールドカップは
TV中継が数試合しかなかったように記憶しています。

独身寮で真夜中(3時?)に起きて決勝戦を見ましたね。
そんなバカ者も少なかった時代です。

ケンペスのドリブルでの中央突破
カッコよかったね~

今は毎夜生中継がみられる感じでしょ。
しかも画像が良い。
生きてるうちに見ておかねばソン!です。

日本もずいぶん強くなりましたし。
(30年前からみれば)


カプセルは戻ってきたし、サッカーは勝つし
これ以上望めないかたちで週が明けました。

週末にはイトカワからの回収が成功したかが判明し
オランダ戦もあります。

もし、引き分けに持ち込めたら、すごいですけど
・・ムリでしょうね。
初戦と第二戦とでは勝負への力の入れようが違うから。

カメルーン戦は好条件がいくつも重なったとはいえ
とりあえず「勝てば官軍」

一夜で良い監督に変わったようですが(早すぎないか?)
まず、孝行息子たちを褒めるべきでしょう。

何はともあれ、良い週末を願いたいものです。


前回の初戦ではスウェーデンVSトリニダード・トバコが
面白かったですね。

人間の心理って面白いもので、あそこまで頑張るのを
見ると、応援したくなってくるというか
最後は感動的ですらありました。


今回はどうでしょう。イマイチが多いですね。

全部見ているわけではないけれど、セルビアVSガーナが
試合としては面白かったのではないでしょうか。
(超一流チームは地方公演のスター。ちょっこし芸を見せて
 あとは流しますから、二流以下が必死で面白い)

審判の笛が若干ガーナに幸運に働いたのかなあ。

退場にしろ、ハンドにしろ、確かに審判は間違っていない
のでしょうけれど0-0で良い試合だったかもしれないと
思います。
監督対決も面白かったですねえ。

セルビアは楽に勝てると思っていたのでしょうか・・


TVがもつ最大の魅力は「生」=同時性です。

サッカーも次に何が起こるか分からない、感じが
面白い。

結果を知らなければ録画でも同じはずなのに
かなり面白さが減ります。
いかに観念に支配されているかよく分かりますね。
同時中継と同じだぞ、と言いきかせても
ノーミソが云うことを聞いてくれません。

よってライブ中継があれば見ておきたい、となります。
さすがに2時3時は次の日がつらいので、
もうできません。
TV見ても疲れるトシになっちゃった。。。

日経新聞記事・教育の IT化

2010-06-15 15:45:07 | 塾あれこれ
私が云うまでもなく塾や学校の皆さんはチェックされ
ているであろう新聞記事です。

本日のニッケイWEB版に小池良次さんのリポートが
記載されています。
「米国でも教育のIT化はまだまだ不十分」という
もので、基本情報として要チェックですね。


教育とは本来・・という話はちょっと置いておきましょう。

ツールですから上手く使えるに、こしたことはありません。

アメリカの教育現場では教育のIT化は進んでいるという
ことですが、それでもまだまだ生産性が悪いそうです。

ことの性質上難しいとは思いますが、民間企業に比べ
教員の対応遅れも目立つようですね。

日本では更に遅れていると思われます。
(塾の中には進んだ処も結構あるに違いない)

iPadの時代になりましたから、ツールの可能性は
ますます大きくなってきているようです。

教育のみならず情報のモバイル化は避けられません。
まるで革命の動乱期ですねえ。

記事の中で私が注目した文言は
(教育のパーソナライズ化)
(すばやいフィードバック)
アメリカでもこれらが求められている時代なのです。

今までドリルをITで行うという時代が続きましたが
やっと次のステップへ踏み出しそうです。


小さな塾はどうするか?

ますますの寺子屋化しかないでしょう。

あわてて新技術を追うよりも、自分が使えるようになる
ことを常に念頭に、チェックしておきましょう。
寺子屋式であればそれだけで大丈夫、とはいきません。
ツールも充実させる必要はあります。

けれど、大切なことは人間にしかできない部分の琢磨。
私は新技術の勉強に時間をかける気にはなれません。

(しつこいですが、チェックは必要!
 使えるツールになればすぐ採用すべきですから)

TVは映ればよい。理屈は後回しです。(多分死ぬまで)
PCは自分の使える機能だけを。
新ツールは使えそうになったら、その時点で直ぐ採用!

~なんと怠惰な・・ではありますが
もう老い先が短いのだからノンビリとぼんやりと、
まだらボケ程度でいいかね?・・

女性方に嫌われる

2010-06-13 16:31:51 | 塾あれこれ
実名を出しているワリには
そして仕事に関係したブログのワリには
一部で「過激」と云われているそうです。

当人はまったくそのツモリはないのですが。

ならば、今日はカゲキに女性へケンカを売る話・・

(いくらブログネタがないからといって大丈夫?)


会議でしてはいけない事の一つに女性の意見や提案に
否定的なコメントをつけることがあります。(ました?)

現在のわが塾でも、最高経営会議を毎晩夕食時に
開いておりますが、私は「ハイ、ハイ」と
大人しくうけたまわっちゃってる、だけです。

私が知る、昔の会議では女性には言いづらかった・・
今はどうなんでしょう。

Aさん(女性)の意見に、会議で否定的コメントを
言ったとしましょうか。

会議のあと急にAさんの当たりがきつくなります。
ツンケン、ツンケン。

おかしいなあ、
(Aさんという人間を否定した)のではなくて、会議での
あの意見についてだけ、私なりのコメントをしたのに。

(むしろ、よかれと思ってのコメントなのに)

しかし、AさんだけでなくBさんCさんDさん・・・
こう続くと、さすがの私でも気付きます。
云いたいことがあっても、否定的なことは云っては
いけないのだ、と。

女性というものが全く分かっていない男でした。
中高と男子校で、大学も男が圧倒的で・・
これじゃあモテませんよねえ。

60近くなって、とある番組で上沼恵美子さんが
例によってダンナの悪口で笑わせているときに
「あ、そういうことか」と気付いた次第。

旦那さんに仕事のことか何かでグチを云われたのです。
そのとき「あのね、恵美子・・そうじゃなくて」と、
私などでも正論と思う意見をダンナが云われた。

「むかつく。そんな意見は要らんねん。」
「そうだったね、そうだね。ふんふん。」と話を
聞いてくれなアカンと。

グチを聞いてほしいのです。
味方がほしいというか、分かってほしいというか。

正しい、とか、間違っているとか
違う見方も可能だ、とかリクツは不要なのです。
とりあえず、気持から。

これが母性の原点。

男はダメです。
理屈から入らないとフに落ちない。

理屈が間違っていたら、賛成できない。
気持より理屈が優先します。
従って、女性の気持ちを理解できない。
あるいは受け止める度量がない。

いやあ、これがまた、直らないんですよ。

そこで私なんか云われてしまいます。
「カンジわるい。嫌い。
 だから云ってることは認めない。
 リクツじゃあないの・・」

ああた、これを最高経営会議で云われてごらん・・

ガラス作家・村松学

2010-06-12 09:50:31 | 塾あれこれ
会場で少し立ち話をしました。

「今年は少しカラフルになってこられましたか?」
「そうですね。自分の師匠には形を大切にしろと
 言われます。
 もちろんそれを守っていきますが、
 もともと色は好きなのです」

「形はキリがなく難しいものでしょう?」
「ええ。
 それに、いくらデザインをきちんとしても
 使うガラスの性質にもよるのです。
 決めておいたデザイン通りにあてはめて作ろうとしても
 良いものにはならないところがあります。
 言うことを聞いてくれないのですね。」

ガラスと対話をされながらの仕事なのですね。

体力の限界への挑戦でもあるので大変だと思います。

なお上記は今私が思い出して書いていますので
村松さんのおっしゃった通りではないかもしれません。
大丈夫とは思うのですが、間違ってたらスミマセン。


当たり前の話ですが、大量生産品と工芸品とでは
使い心地がまったく違いますよね。

日々、使いやすく、手にも唇にも優しい。
美しさに飽きがこない。

シンプルに生きることへの憧れを満たしてくれる
村松さんの作品です。

その上、品質に比べてお値段が安い。

とはいえ私では無理してもお恥ずかしい買い物しか
できないのですが。
こんなときにはリッチになりたくなりますねえ。


彼に無許可でブログに書き、写真を載せていますが
「もっと上手に撮ってくれ」とお叱りをうけるか?

色遣いが少し増えてこられたのは、ご自分の世界が
自由になられてきつつあるのでしょうか。
私ごときが勝手な推測をするのも失礼ですが。

これからが更に期待できそうです。

(有名になって、我らでは手も足も出なくなったりして)


『アメトーーク』で(人見知り芸人)や(気にしすぎ芸人)
を特集されていますが、我ながら彼らと同じ性格です。

そんな、引っ込み思案の私でも、なぜか村松さんとは
お話が出来るのです。

彼の人柄でしょう。

その、気さくで気取らない、人にやさしい空気が
作品にそのまま表れています。

こんな仕事が出来る人が、うらやましい。。。

カメデス

2010-06-11 10:10:05 | 塾あれこれ
負けたけれど亀はカメデス。
といきたいでしょうけれど、亀井静香がハメられた形ですね。

もしそうであれば、オザワギリで察しておくべきでしたか。
・・という感じだけれど、案外、想定内の所に
落ち着いただけかもしれません。

菅・亀井バトル。
ホンネを云うと、どっちもどっちだよね。

それぞれのお立場も分かるような気がしますが
なぜスッキリしない感じがするのだろう?

旧来と全く変わらない政治抗争に終始していると
見えるからでしょう。

一寸先は闇、何があるかわからない世界だから
いろいろアリなのですがね。
裏の裏もありうるし。


今回は首相の側がどうもおかしい気がします。

一つ、前政権の方向を引き継ぐのではなかったか?

一つ、党首会談をし、郵政を確認して連立合意だったはず。

(念のために書いておきます。
 前政権の方向が良いとか悪いとか
 郵政の法案は通すべきものだとかそうでないとか
 そういうタグイの話ではありません。
 信頼性と政治手法の話です)

一つ、「言葉の軽さ」を反省して出直したのではなかったか

一つ、国会審議より党利が優先していないか

一つ、党の議員をコントロールできないのか

一つ、まず数を制することを優先させる、のは小沢的な
   手法ではないのか。

一つ、組閣を延ばしたのは国会審議に入らないつもりで
   そうしたのだろうか。

一つ、内閣支持率の予想外の高さに自らがそれをメッキと
   認識しているのだろうか。

一つ、名前が自民→民主と変わっただけで同じことをしている
   名前が小沢→菅と変わっただけで同じことをしている

などなどキリがありません。

国会をやったらボロが出そうなので、その前に選挙をする
というのは国民をバカにしてやしませんか?

正しいことを云っても国民は分からないのだ、人気だけで
右往左往する程度の国なのだ、と政治家が思っているのが
見えるような気がします。

亀井だってべったりそのクチですがね。


選挙モードが本気になったら国会を開いておられない
とはよく聞く話です。
政治家にとって生死にかかわる一大事でしょう。

でもね、それってご自分の都合=利益を考えていることで
国民にとり必要なことの国会審議をしない、ということに
なるのではないでしょうか。

政治家に二世議員が多いハズで、自分たちが旨い汁に
ありつく事が何より優先されるのでしょう。

さも分かった風に「誰がなっても同じ」などと言いたくは
ないのですが、そう言われても返す言葉がありませんね。

この国の民主主義は、財政と同様の深い危機に直面している
ようです。