『ゲゲゲの女房』快調ですね

2010-06-02 10:46:08 | 塾あれこれ
『ゲゲゲ・・』と『龍馬』と、ブログネタのないおりから
有り難いヒットです。
つまらないものは悪口さえ書く気になれませんしね。

とはいえ「ブログ書かねばならないの?」と聞かれると
ん~、困るけど。


『ゲゲゲの女房』
貸本業界が落ち目でナカモリさんはいなくなるし
生活の先行きが見えません。

それに、子供が出来たのに水木さんは初めは喜ばない。

厳しい話ですね。

確か、あと数年後には良い世界が開けてくる(?)のに
当時はこころ細いことだったでしょう。


新聞で、かなりの文化人らしい方が『ゲゲゲ』に触れ
当時は日本が右肩上がりだったからみんな頑張れたのだ
という意見を書いておられました。
今とは違う、まだ良い時代だったということでしょう。

彼は多分、まだ若い方なのでしょう。
よって、仕方がないのかもしれませんが現実の真っ只中
では、右が上がろうが下がろうが関係ありません。

みんな、必死で生きるだけです。

少なくとも右かた上がり、でなきゃ頑張れない、
などという甘い発想はなかったハズですね。

これひとつとっても「今の若い者ときたら・・・」

苦しいとか云いつつ、旅行はするは、外食はするは
ケータイを買いかえの、化粧品に金をつぎ込みの・・

嫌がられるのを承知で、団塊ジジイが説教めきますが
私ら、家族で旅行など一度もしたことなかったぞ。
年に何度か、一杯50円のラーメンを食べに出かけるのが
どれほど嬉しかったか。
(宇品海岸通りに「中村屋」という小さな店がありました)


小学校で同じクラスにY君という明るい子がいました。
転校してきた私は知らなかったのですが、その子の家には
遊びに行ってはいけない、というウワサが聞こえました。

隠れて見に行きますと、100M道路の公園部分に掘立小屋
が並び、その一軒がY君ちでした。
子供ながらに絶句しました。

でも、そんな家もまだ多かったですね。

私だって父が勤める会社の裏の作業小屋の二階を借りて
そこに一家5人が住んでいたのです。
(四畳半二間。トイレと台所は会社事務所と共用)

クラスの友達が遊びに来て肩身が狭かった。


ディズニーへでも連れてかなきゃ、子供がイジメにでも・・

そうかもしれませんが、私らのころだってイジメはあった。
デパートの屋上程度だって、一度だけ行ったことがあるけど
イジメがあろうがなかろうが、金がなきゃ親だってそれ以上
連れて行けないのです。
仕方のない現実でありました。

父母は結婚した時にちゃぶ台がなくミカン箱で代用していた
とか聞きました。

脚が折りたたみ式の(金属製の細長いU字の脚)ちゃぶ台を
買ったのが私が小学6年ではなかったかなあ。


たしかに後から振り返れば、頑張ることで世界が広がった
良い時代ではあったのですが、私たちアラカンの父母世代は
その当時は、貧しい中をひたすら駆けるだけでしたね。

水木さんが実際にどれほど貧しかったかは存じませんが
かなり厳しい生活だったハズです。

TVでは一見何とかなりそうにも思えますが、本当は
もっと大変だったのではないでしょうか。

「子供はキツイ」というのは正直な感想ではなかったか。
だから奥さんも話を切り出しにくかったのでは?


『団塊は ビンボウまでも また自慢』

とか言われそうですが、懐かしい古き良き時代だったろー
などと勝手に思わないでくれい!
貧しさゆえのセコイ話哀しい話は山ほどあるぞ、なのです。

今は、夢のような良い時代です。

我々の父母世代の日本人に感謝!
団塊世代の仲間たちにも感謝!

小中学校ではこれを教えてほしいなあ。んとに。