教育権は親にある

2010-06-09 10:30:53 | 塾あれこれ
まず、子供に生きる権利があります。
次に、親は子供への教育権を持ちます。
そうして、国家は教育に責任がある、だけです。

当たり前すぎる話。
が、どうもここがアヤフヤな日本でもあるようです。
流行りの言い方をしますと、仕分けができていないのかも
しれません。

よそ様のことながら、今の学校ってどうなんでしょう。
上からの都合が色濃くて、官僚主義になってません?


塾だと「仕分け」は、かなり明確に行えます。
けれども細かく見始めると幾重にも課題が浮かんできます。

塾の考え方と保護者のお考えとは大むね一致するでしょう。
同じ社会に住むのですから一致しないほうがおかしい。

たとえば
「勉強は、したほうがよい」
当たり前ですね。

万一、違うとか、微妙に留保したいとか仰るご家庭があれば
話を承って、保護者の教育権を優先させるだけです。
その対応が取れない場合は通塾を止めればよろしい。

価値観が違う恐れのあることを、子供に話す場合には
ふつう(両論併記)しておけば大丈夫です。

これも例えば
「ゴミの分別。みなさん正しいと考えてやっているし
我が家ももちろんやっているけれども、
大人の中には違う意見の学者もいるらしいですよ。」

しかし、自分にとって当然と思われることでも、
違う意見もありえます。
このあたりは無神経にならないようにしたいですね。
教育権は親にありますから。

例えば・・ん~、何があるか・・二酸化炭素の排出量制限。
我が家も、まだまだ十分とは言えないまでも努力中です。

それはしなくて良いのだ、というお考えもあるかも
しれません。
自分の意見は持っているべきですが、絶対に正しいと
子供に押し付けるまでのことではないようです。

保護者のお考えも良く知り、必要な対応が望まれます。

(これに関して)
子供に「○○はすべき」という時にはその言葉に自分も
責任を持たねばなりません。

合成洗剤は良くない、と説くならば自分は使ってはいけない。
もしくは必要最低限に留めるべきです。


上記のことぐらいは簡単なことですが
塾をやっておられる方なら難しいケースをたくさん
ご存じと思います。

(・・書きにくいですがね)

ピアノか受験か、どちら?とか
合格可能性を参考にしない受験をしようとしていたら?
受験と実力養成とどちらが大切か?

授業を受ける態度は、いかにあるべきか。
勉強よりも、まず人間性ではないか。
暴力はいけない、か、場合によっては可、か。
日本文化優先か、国際性か。

いくらでも、課題は浮かびます。

しかも、テストのように、あるいは心情調査のように
一律な対応で済むことではないはずです。

その子供はいまどういう状態であるか、により
対応が変わってくることも多いのです。


例えば、この子のために今の状態では受験はお勧めできない
という場合、正直に申し上げるか?
申し上げても、よそに変わって受験されるだけでしょう。
だったら、お金を考えて自塾のために子供を食い物に?

伝えたいことがあるから塾講師になったのに
それが自由にできない、というジレンマに陥ります。

保護者と塾とがかなり、すり合わせをしても 
自分のほうが2番目以降。
正直、愉快な状況ではありませんけれども。

つい、自分が絶対だと思いますよね。
己を客体化することは難しい。
理想をもつことは塾の講師としては必須の条件です。
けれどもノーテンキに振り回せません。

自分はただの通りすがりのおじさんであって
その人の一生に最後まで付き合うわけにはいかない
・・のではありますが
もしかするとその意図の一生に影響する部分に
関わっているのです。

たとえ保護者の方が受験請負だけでよいから
教育なんて一切望まないからと仰られても
ただ通ればよいという仕事はしたくありません。

「ですから」受験生は第一志望に通さねばなりません。
 絶対に!

落ちたら、ああた、何を云われるか・・・
くらいの覚悟は最低限必要です。

広島の公立高は競争率が低いですね(1.2倍程度)
それを落としてヘラヘラしている塾を見ると
ぶん殴ってやろうかと思うくらい腹がたちます。
60過ぎたジジイだと返り討ちに遭うから止めますが。