なぜ、と発想できる力は幼い時にいったん芽を摘むと
あとはなかなか育たないようです。
浮かんでも、それを自分で考えつづけたり、人に質問
したりを出来る人は、さらに少ないはずです。
◎
私が若い頃聞いた話で、今でも通用するだろう、と
思うことがあります。
農民は、お上の言うことの反対をすればよい、という
のです。
豚を飼えと奨励されたら、今まで飼っていたものを
処分する。
米作りから離れよ、といわれたら米作りに工夫を
こらす。
この法則が正しいならば、国民年金を考えなおす人
が多いのも頷けます。
ホント、将来の保障が不安なのに払う金額はきつい
ですよね。
仕事柄、国民の義務は果たしておかないと、子供達
に大きな口をきけないので払ってはいますが社保庁
があれで、なおかつシステムも不安だらけなのに
金を払いつづけるのはアホラシイですねえ。
余談はさておき「学習」に戻ります。
ここでも似たような現象があります。
文科省が「考える教育を」といい始めたあと、生徒
の考える力が落ちているのです。
教壇の方から「さあ考えよう!」なんて言われたら
トタンに思考回路がシャットダウンするのです。
お役所が旗を振ったらモノゴトの悪化が進む・・・
それは何故か、簡単な事ですが悪口は止めましょう。
黒澤映画『生きる』の課長が解決策ですよね。
◎
現在、検討が進められているであろう「教育改革」
現場が少しでも良い方向に進むものなら良いのですが
期待薄のような気がします。
朝飯食って百マスやって美しい国と唱えれば解決する
ような問題を今まで放置していた、ちゅーこと?
それだけでは小手先に過ぎません?
◎
「なぜ?」という自由な発想が出来ない時代
田舎に生まれただけで格差を付きつけられる政治
国際化という名の一神教
経済活動の自由、による環境破壊
しなやかに発想するための土壌が汚染されています。
10.14