(25)証明

2006-09-26 20:44:37 | 考える

③証明する

難しい。何か書くことを放棄したいほどです。
以下、中学の数学における証明くらいの話でお茶を
濁しますね。

最も直接的に証明を勉強できるのは数学です。
最近は一時ほどひどくはありませんが、まだまだ
証明は軽く扱われているように思います。

まず、できるようにすることが難しい。
時間がかかる。
概念自体が手におえない(←私です)

こんな理由からか、中学での証明の勉強を先へ
おくる傾向があります。
改善されてきているとはいっても、まだ甘い
ですね。

本当は証明を勉強することで、ものを考える力がつく
ので、どんどんと勉強してもらいたいところです。
この辺りが甘いことが大学生の学力に結びついている
ように思います。
いや、論理的に考える力を育てていないから、証明の
ような大切な勉強が浅くなってしまうのでしょう。

もちろん、ことは数学に限りません。
ただ、証明を勉強するのは数学が一番分かりやすい
というだけです。
他の分野では、本当に証明したことになるのかの判断
が難しいことが多すぎますね。

「これで証明できた」と言っているのだが果たして?

例えば、日本の経済力が強いことの証明が外貨準備高
であるといわれてきました。
それが本当に証明になっているのかアヤシイですよね。
米国はドルを印刷すればよいので除外するとして
日本と中国と経済力は拮抗しているのでしょうか?
外貨準備高ではそう言えますよね。
そうです!経済力とは、という定義もあやふやなまま
「証明」なんてできるハズがありません。
でも「証明している」と言われると「そうかなー」
と思ってしまいますよね。

話を中学数学に戻します。
数学で学んだ証明を実社会でそのまま使うことは少ない
でしょう。

とはいえ、勉強とはおおむねそういうものです。
習ったことがそのまま役立つわけではありません。
けれども、基本が入っていなくては話にならないという
ことはよくあります。

地理の勉強をして県がどこにあるか、広島の人間なら
関東以北は苦手ですね。
同様に関東の人は中国地方が分からない。
広島と岡山の東西が分からないのには呆れましたが
なに、こちらの人も群馬と栃木が分からない。
ただ、社会に出たら恥をかく恐れが強いですね。


苦手だと思うと話が横道にばかり入ります。
なぜ好きでないかと言うと、幾何のテストの答合わせ
からかもしれません。何百人もの証明の答案を続ける
と頭が変になりそうでしたから。

それでも「証明」の勉強は大切です。
カッコを埋める、などという「証明」はいけません。
それはフェイクファーを毛皮というに等しい!
頭がヘンになっても、フリーで証明させないと力は
つかないのです。
採点する側の都合でカッコ穴埋め問題にするなど
本末転倒ですよね。
誰のためのテストでしょうかね?

証明については、形式ということを述べねばなりませ
んが、重要であるということだけを述べておきます。
というか「形式が命」なんですよね。
何故か?
・・証明とは他者に伝えることでもあるからです。
10.11