E
③証明する
難しい。何か書くことを放棄したいほどです。
以下、中学の数学における証明くらいの話でお茶を
濁しますね。
最も直接的に証明を勉強できるのは数学です。
最近は一時ほどひどくはありませんが、まだまだ
証明は軽く扱われているように思います。
まず、できるようにすることが難しい。
時間がかかる。
概念自体が手におえない(←私です)
こんな理由からか、中学での証明の勉強を先へ
おくる傾向があります。
改善されてきているとはいっても、まだ甘い
ですね。
本当は証明を勉強することで、ものを考える力がつく
ので、どんどんと勉強してもらいたいところです。
この辺りが甘いことが大学生の学力に結びついている
ように思います。
いや、論理的に考える力を育てていないから、証明の
ような大切な勉強が浅くなってしまうのでしょう。
もちろん、ことは数学に限りません。
ただ、証明を勉強するのは数学が一番分かりやすい
というだけです。
他の分野では、本当に証明したことになるのかの判断
が難しいことが多すぎますね。
「これで証明できた」と言っているのだが果たして?
例えば、日本の経済力が強いことの証明が外貨準備高
であるといわれてきました。
それが本当に証明になっているのかアヤシイですよね。
米国はドルを印刷すればよいので除外するとして
日本と中国と経済力は拮抗しているのでしょうか?
外貨準備高ではそう言えますよね。
そうです!経済力とは、という定義もあやふやなまま
「証明」なんてできるハズがありません。
でも「証明している」と言われると「そうかなー」
と思ってしまいますよね。
◎
話を中学数学に戻します。
数学で学んだ証明を実社会でそのまま使うことは少ない
でしょう。
とはいえ、勉強とはおおむねそういうものです。
習ったことがそのまま役立つわけではありません。
けれども、基本が入っていなくては話にならないという
ことはよくあります。
地理の勉強をして県がどこにあるか、広島の人間なら
関東以北は苦手ですね。
同様に関東の人は中国地方が分からない。
広島と岡山の東西が分からないのには呆れましたが
なに、こちらの人も群馬と栃木が分からない。
ただ、社会に出たら恥をかく恐れが強いですね。
◎
苦手だと思うと話が横道にばかり入ります。
なぜ好きでないかと言うと、幾何のテストの答合わせ
からかもしれません。何百人もの証明の答案を続ける
と頭が変になりそうでしたから。
それでも「証明」の勉強は大切です。
カッコを埋める、などという「証明」はいけません。
それはフェイクファーを毛皮というに等しい!
頭がヘンになっても、フリーで証明させないと力は
つかないのです。
採点する側の都合でカッコ穴埋め問題にするなど
本末転倒ですよね。
誰のためのテストでしょうかね?
◎
証明については、形式ということを述べねばなりませ
んが、重要であるということだけを述べておきます。
というか「形式が命」なんですよね。
何故か?
・・証明とは他者に伝えることでもあるからです。
10.11
③証明する
難しい。何か書くことを放棄したいほどです。
以下、中学の数学における証明くらいの話でお茶を
濁しますね。
最も直接的に証明を勉強できるのは数学です。
最近は一時ほどひどくはありませんが、まだまだ
証明は軽く扱われているように思います。
まず、できるようにすることが難しい。
時間がかかる。
概念自体が手におえない(←私です)
こんな理由からか、中学での証明の勉強を先へ
おくる傾向があります。
改善されてきているとはいっても、まだ甘い
ですね。
本当は証明を勉強することで、ものを考える力がつく
ので、どんどんと勉強してもらいたいところです。
この辺りが甘いことが大学生の学力に結びついている
ように思います。
いや、論理的に考える力を育てていないから、証明の
ような大切な勉強が浅くなってしまうのでしょう。
もちろん、ことは数学に限りません。
ただ、証明を勉強するのは数学が一番分かりやすい
というだけです。
他の分野では、本当に証明したことになるのかの判断
が難しいことが多すぎますね。
「これで証明できた」と言っているのだが果たして?
例えば、日本の経済力が強いことの証明が外貨準備高
であるといわれてきました。
それが本当に証明になっているのかアヤシイですよね。
米国はドルを印刷すればよいので除外するとして
日本と中国と経済力は拮抗しているのでしょうか?
外貨準備高ではそう言えますよね。
そうです!経済力とは、という定義もあやふやなまま
「証明」なんてできるハズがありません。
でも「証明している」と言われると「そうかなー」
と思ってしまいますよね。
◎
話を中学数学に戻します。
数学で学んだ証明を実社会でそのまま使うことは少ない
でしょう。
とはいえ、勉強とはおおむねそういうものです。
習ったことがそのまま役立つわけではありません。
けれども、基本が入っていなくては話にならないという
ことはよくあります。
地理の勉強をして県がどこにあるか、広島の人間なら
関東以北は苦手ですね。
同様に関東の人は中国地方が分からない。
広島と岡山の東西が分からないのには呆れましたが
なに、こちらの人も群馬と栃木が分からない。
ただ、社会に出たら恥をかく恐れが強いですね。
◎
苦手だと思うと話が横道にばかり入ります。
なぜ好きでないかと言うと、幾何のテストの答合わせ
からかもしれません。何百人もの証明の答案を続ける
と頭が変になりそうでしたから。
それでも「証明」の勉強は大切です。
カッコを埋める、などという「証明」はいけません。
それはフェイクファーを毛皮というに等しい!
頭がヘンになっても、フリーで証明させないと力は
つかないのです。
採点する側の都合でカッコ穴埋め問題にするなど
本末転倒ですよね。
誰のためのテストでしょうかね?
◎
証明については、形式ということを述べねばなりませ
んが、重要であるということだけを述べておきます。
というか「形式が命」なんですよね。
何故か?
・・証明とは他者に伝えることでもあるからです。
10.11
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