F発想する
①なぜと思う
人間は小さいときから「なぜ?」という発問ができま
す。「何?」とも訊きます。
これは知ること自体が人間にとって喜びだからです。
少し大きくなって「なぜ?」と訊いたときに「良い質
問だ」と褒められればもっと嬉しいですね。
納得できる答えを貰えばなおさらです。
ところが、多くの場合、学年が進むにつれ、質問が
出にくくなってきます。
知識の量が増えつづけて行くこと、知識を得るルート
が増えることなどが第一の要因でしょう。
他に興味があることが多くなるのも一つ。
また、良い答えを与えられなかったり、ヘンな質問を
してしまった経験も足を引っ張るかもしれません。
受験生になると、更に訊きません。
直接自分に係るとか、入試に係ることしか頭にない様
子です。当面の目標である受験に関係のないことは
ムダであると思っているようです。
本当にムダでしょうか?
入試を考えれば「不経済な」質問はあります。
それは質問された側が、その旨説明すればよいことで
試験が終わってまだ疑問であれば改めて説明を受けれ
ばよいことです。
質問することの自主規制はいけません。
もし、入試に関係ないことは考えるな!という塾が
あるとすれば、それは間違いです。
もっとも生徒が塾へ「その考えはおかしい」とは
言いづらいでしょうけれども。
◎
以前、私は気取ってこう言ったことがあります。
「生徒の成長の向こうに入試があるはずではないか」
キザですね。でも考えは変わりません。
「問う力を育てること」と「入試」と
どちらが大切なのでしょうか?
それに近年は考える力を問おうとする出題も
増えています。
入試に詰め込み式はまだまだ有効ですが
それだけでは途中で成長が止まるかもしれません。
東大生の三分の一が真の学力に欠ける時代です。
何が大切か見なおさねばなりませんね。
なぜ、と発問することは、すぐに出来るものでは
ありません。時間をかけて育てることです。
10.12
①なぜと思う
人間は小さいときから「なぜ?」という発問ができま
す。「何?」とも訊きます。
これは知ること自体が人間にとって喜びだからです。
少し大きくなって「なぜ?」と訊いたときに「良い質
問だ」と褒められればもっと嬉しいですね。
納得できる答えを貰えばなおさらです。
ところが、多くの場合、学年が進むにつれ、質問が
出にくくなってきます。
知識の量が増えつづけて行くこと、知識を得るルート
が増えることなどが第一の要因でしょう。
他に興味があることが多くなるのも一つ。
また、良い答えを与えられなかったり、ヘンな質問を
してしまった経験も足を引っ張るかもしれません。
受験生になると、更に訊きません。
直接自分に係るとか、入試に係ることしか頭にない様
子です。当面の目標である受験に関係のないことは
ムダであると思っているようです。
本当にムダでしょうか?
入試を考えれば「不経済な」質問はあります。
それは質問された側が、その旨説明すればよいことで
試験が終わってまだ疑問であれば改めて説明を受けれ
ばよいことです。
質問することの自主規制はいけません。
もし、入試に関係ないことは考えるな!という塾が
あるとすれば、それは間違いです。
もっとも生徒が塾へ「その考えはおかしい」とは
言いづらいでしょうけれども。
◎
以前、私は気取ってこう言ったことがあります。
「生徒の成長の向こうに入試があるはずではないか」
キザですね。でも考えは変わりません。
「問う力を育てること」と「入試」と
どちらが大切なのでしょうか?
それに近年は考える力を問おうとする出題も
増えています。
入試に詰め込み式はまだまだ有効ですが
それだけでは途中で成長が止まるかもしれません。
東大生の三分の一が真の学力に欠ける時代です。
何が大切か見なおさねばなりませんね。
なぜ、と発問することは、すぐに出来るものでは
ありません。時間をかけて育てることです。
10.12
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