(26)なぜ?と訊けるか

2006-09-24 22:40:35 | 考える
F発想する
 ①なぜと思う

人間は小さいときから「なぜ?」という発問ができま
す。「何?」とも訊きます。
これは知ること自体が人間にとって喜びだからです。

少し大きくなって「なぜ?」と訊いたときに「良い質
問だ」と褒められればもっと嬉しいですね。
納得できる答えを貰えばなおさらです。

ところが、多くの場合、学年が進むにつれ、質問が
出にくくなってきます。
知識の量が増えつづけて行くこと、知識を得るルート
が増えることなどが第一の要因でしょう。
他に興味があることが多くなるのも一つ。
また、良い答えを与えられなかったり、ヘンな質問を
してしまった経験も足を引っ張るかもしれません。

受験生になると、更に訊きません。
直接自分に係るとか、入試に係ることしか頭にない様
子です。当面の目標である受験に関係のないことは
ムダであると思っているようです。

本当にムダでしょうか?

入試を考えれば「不経済な」質問はあります。
それは質問された側が、その旨説明すればよいことで
試験が終わってまだ疑問であれば改めて説明を受けれ
ばよいことです。
質問することの自主規制はいけません。

もし、入試に関係ないことは考えるな!という塾が
あるとすれば、それは間違いです。
もっとも生徒が塾へ「その考えはおかしい」とは
言いづらいでしょうけれども。

以前、私は気取ってこう言ったことがあります。
「生徒の成長の向こうに入試があるはずではないか」
キザですね。でも考えは変わりません。
「問う力を育てること」と「入試」と
どちらが大切なのでしょうか?

それに近年は考える力を問おうとする出題も
増えています。
入試に詰め込み式はまだまだ有効ですが
それだけでは途中で成長が止まるかもしれません。
東大生の三分の一が真の学力に欠ける時代です。
何が大切か見なおさねばなりませんね。

なぜ、と発問することは、すぐに出来るものでは
ありません。時間をかけて育てることです。
10.12


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