(27)悩みましたが「なぜ」の続きを少し

2006-09-23 14:35:55 | 考える

なぜ、と発想できる力は幼い時にいったん芽を摘むと
あとはなかなか育たないようです。
浮かんでも、それを自分で考えつづけたり、人に質問
したりを出来る人は、さらに少ないはずです。


私が若い頃聞いた話で、今でも通用するだろう、と
思うことがあります。
農民は、お上の言うことの反対をすればよい、という
のです。
豚を飼えと奨励されたら、今まで飼っていたものを
処分する。
米作りから離れよ、といわれたら米作りに工夫を
こらす。

この法則が正しいならば、国民年金を考えなおす人
が多いのも頷けます。
ホント、将来の保障が不安なのに払う金額はきつい
ですよね。
仕事柄、国民の義務は果たしておかないと、子供達
に大きな口をきけないので払ってはいますが社保庁
があれで、なおかつシステムも不安だらけなのに
金を払いつづけるのはアホラシイですねえ。

余談はさておき「学習」に戻ります。
ここでも似たような現象があります。
文科省が「考える教育を」といい始めたあと、生徒
の考える力が落ちているのです。
教壇の方から「さあ考えよう!」なんて言われたら
トタンに思考回路がシャットダウンするのです。

お役所が旗を振ったらモノゴトの悪化が進む・・・

それは何故か、簡単な事ですが悪口は止めましょう。
黒澤映画『生きる』の課長が解決策ですよね。

現在、検討が進められているであろう「教育改革」
現場が少しでも良い方向に進むものなら良いのですが
期待薄のような気がします。

朝飯食って百マスやって美しい国と唱えれば解決する
ような問題を今まで放置していた、ちゅーこと?
それだけでは小手先に過ぎません?

「なぜ?」という自由な発想が出来ない時代
田舎に生まれただけで格差を付きつけられる政治
国際化という名の一神教
経済活動の自由、による環境破壊

しなやかに発想するための土壌が汚染されています。
10.14


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