sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

いらっしゃいませ。カフェという名のブログです。
ごゆるりと御覧くださいませ。
掲載画像等の無断転用はダメですよ。

防長交通バス撮影ツアー

2013年03月17日 | バスネタ

本日はpineさまからのお誘いで、バスツアーに参加しました。防長交通の貸切車で同社の各営業所を訪問、撮影という内容のツアーでした。長文かつ駆け足になりますが、しばしお付き合いくださいませ。

本日使用された車両はこちらです(途中休憩地の錦帯橋にて撮影)。

山口22う2560、日野ブルーリボンP-RU638BB、1989年。
当車はかつて防石鉄道が所有していた車両です。防長交通に吸収合併後はそのまま防長交通に引き継がれ現在に至っています。
同じブルーリボンRUでも防長交通の自社発注車とは細部でいろんな差異があったりします。
(以下、2560号と命名します)

なお、防石鉄道はかつて山口県内に存在していた鉄道事業者です。防府⇔堀を結ぶ鉄道線を運行していましたが、当初は石見地方へ延ばして陰陽連絡を目指すつもりだったようです。結局は陰陽連絡の夢は実現しませんでしたが。バス事業も兼務してましたが、やがて鉄道が廃止されバス専業に、1992年頃に防長交通に吸収合併され防石鉄道の名は消滅となりました。


今回のツアーの行程は以下の通りでした。
防府駅みなとぐち(乗車)→徳山駅新幹線口(乗車)→周南営業所→平生営業所→錦帯橋(昼食休憩)→防長観光バス広島営業所→広島駅新幹線口(下車)→徳山駅新幹線口(下車)→防府駅みなとぐち(下車)

ワタシら広島組合員(?)は徳山駅から乗車しました。ワタシらが到着したらすでに2560号は待機していました。


団体名が独特ですネ!



徳山駅で参加者は全員揃い、出発しました。過去には広島電鉄をはじめ、各地で多く普及していたブルーリボンRU、生産中止から20年以上経過することもあり一気に数を減らしてきました。それでも防長交通は自社発注車、防石鉄道車、近鉄からの移籍車などバリエーションが豊富で、ある程度まとまった数が在籍しています。昭和の香りが漂う乗り味や雰囲気を久しぶりに堪能することができました。

最初に向かったのは周南営業所です。防長の一大拠点だけあって広大な面積の車庫に多くの車両が集結していました。


撮影した車両を全部掲載するのはキリがないのでほんの一部を。
ここ数年で増えた未撮影車両が何台も捕獲できました。




萌え要素たっぷりなラッピングバスもいました。


自社発注車以外にも親会社の近鉄バスからの移籍車もまとまった数が存在します。なお、この個体は競艇専用車だそうです。ゆえに姿を捕獲しにくい珍車だそうです。


方向幕をグルグル巻いて行先を変えて遊んだりしました。





周南の次は平生営業所へ。こじんまりとした雰囲気の営業所です。車両の大半は屋根付きの車庫に駐車されていました。


ここでも未撮影車両を何台も捕獲できました。このエリアはなかなか足を運べないので今回の訪問は大変ありがたかったです。




最近導入されたエアロクイーンⅡが現れました!塗装から分かるように同じく近鉄グループの奈良観光からの移籍車です。田布施⇔広島の高速路線で運用されてます。



次に向かったのは岩国の錦帯橋です。ここで昼食休憩となりました。せっかくなので橋を渡ってみるなどちょっぴり観光もしてみました。


ツアーのオプションで用意された昼食の弁当です。500円ですが中身は充実していました。ごちそうさまでした~。


広島ナンバーの貸切車も現れました。昨年導入された新車です。


そして、今回のツアーの主役となる元防石鉄道の2560号、防石鉄道の社紋を取り付けて少しでも往年の姿をリバイバルしてみました。



岩国から山陽道を使い広島県内へ突入しました。次は最後の訪問先となる防長観光バス広島営業所です。
最近広島ナンバーの新顔が登場したという話を聞きつけ、おじゃましましたが、しかし、貸切車はフル稼働しており残念ながら一台もいませんでした。いるのは高速車だけでした。
とりあえず、2560号は空いてるスペースに駐車されました。しかし、よく見たら…。

4台とも防長交通の生え抜き車両ではなく、すべて他事業者からの移籍車です!
つまり、向かって右から元近鉄関空リムジン、我々が乗ってきた元防石鉄道2560号、平生で午前中遭遇した元奈良観光、元近鉄貸切車という並びです。しかも、同じ防長交通でありながらカラーリングも全部バラバラ!決して狙ったわけじゃないんですが、結果的に濃い並びとなってしまいました!

これにて営業所巡りは終了となり帰路への行程となりました。ワタシら広島組合員(?)をはじめ数名の方々は広島駅新幹線口で下車しました。残りのみなさまは山口方面へ帰られました。2560号の出発を見届けた後にワタシらも帰路へと向かいました。



今回ツアーに誘ってくださったpineさま、今回のツアーを企画された主催者のみなさま、ツアーに御協力いただいた防長交通のみなさま、このたびはありがとうございました。当ブログ上ではありますがお礼申し上げます。
そして、ツアーに参加されたみなさま、一日中お疲れ様でした。

コメント (5)
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トヨタ スタウト

2013年03月13日 | クルマネタ

先日のランクル50の記事で、ぽるナズンさまが画像の隅に写っていたスタウトに注目されていたので、せっかくなので出してみましょう。

はい、コレです!


1960年~1979年の間に製造されてた2代目モデルです。ヘッドライトが4灯式に変更された1963年以降のモデルとなります。

しかし、ナンバーは付いてましたが、生きてるのか死んでるのかよく分からない個体でした。


この場所にはもう1台スタウトが潜んでいました。車体の腐食はおろか、屋根が曲がっていて哀愁が漂っていました。



さて、スタウトですが積載量2トン級のボンネットトラックでハイラックスよりひと回り巨大なトラックでした。スタウトの初代は1959年の登場ですが、それより前に登場していたライトトラックからの名称変更によるものでした。そして、前述のように1960年に2代目モデルが登場しました。2代目は15年以上のロングセラーとなりました。派生車種として、後のハイラックスの始祖となる軽積載のライトスタウトも加わりました。
しかし、トラックの主流はスペース効率と小回り性に優れるキャブオーバー型に移行が進んでいったためスタウトもだんだん需要が少なくなり、1979年に登場した3代目では合理化のためか、キャビンがハイラックスと共有化されてしまいました。最終的には1986年頃にスタウトはフェードアウトとなりました。
大きめの車体で重積載かつ堅牢なクルマだったので消防車など特種用途で重宝されてたそうです。しかし、トラックにしては珍しく最後までディーゼルエンジンは搭載されす、ガソリンエンジンのみのラインナップでした。

マトモな現役車両の画像もありました。1967年以降のモデルかと思われます。普通に仕事車のような出で立ちにおったまげてしまいました!


コメント (3)
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1700突破

2013年03月11日 | バスネタ
当ブログ上にて全部を掲載するのは不可能ですが、たまにはバスネタを。申し訳ありませんが長くなるので型式等は割愛します。

広島ナンバー(大判)は昨年初頭に1500番を突破したかと思えば昨年夏に早くも1600番台に突入、そして最近1700番台に突入しました。

その記念碑となる1700はこちらです。
広島電鉄の日野ブルーリボンⅡワンステップです。
広島200か1700(24840)。今吉田線に導入されました。


ついでにこの約1ヶ月間のうちに導入された広島電鉄の新車を取り上げてみましょう。全部はキリがないので、一部のみを。

広島200か1701(24841)。
くすの木台線です。上記1700と同型です。他に同型車は五月が丘線に1702(24843)も入ってます。


同じブルーリボンⅡでもノンステップを。市内線用の車両から。
広島200か1695(74832)。
曙に配属で市内2号線で運用されます。曙には同じく市内2号線に1697(74833)と1698(74834)が導入されました。


仁保に市内12号線用が導入されました。
広島200か1696(54831)


ブルーリボンⅡノンステ、郊外線の車両から。
広島200か1692(14838)。
熊野に配属されました。


山田団地・美鈴線にも導入されました。
広島200か1689(14835)。
同路線には他に1690(14836)、1691(14837)も入ってます。


いすゞエルガCNGノンステ、広島200か1679(66750)
例年通り市内線は江波に配属、市内6号線で運用されます。同じく江波には1677(66748)、1678(66749)も入っています。


郊外線には例年同様、西風新都線に入りました。
広島200か1682(26751)。1683(26752)もいます。



路線車に続いて高速車から。
浜田線用に導入されたいすゞガーラです。有福駐在のようです。
広島200か1684(26753)。


三次線には日野セレガが入ってます。
広島200か1680(24846)。


松江線には日野セレガが導入されました。
広島200か1709(24845)。
1708(24844)も同時に入りました。松江線という事で車内後部にトイレが装備されます。



しかし、2003年頃に日野といすゞがバス事業を統合、それに伴い両者の車種が一部を除き統一されたために完全に金太郎アメ状態になってしまってるのはやむを得ないところでしょうか。

それと、新車ではないのですがクレアライン用のセレガが塗装変更されました。
元々は広電観光(2004年貸切事業廃止)の貸切車を転用したもので白い貸切カラーだったのがシマシマ緑に変わりました。
広島230あ1102(14624)、1999年式。





最後になりますが、そして、本文から逸れますが本日で例の震災から早いもので丸2年が経過しました…。月日が経つと話題が少なくなり風化しそうな気がしてしまいますが、しかし、大きな傷跡はしっかりと残っており、しかも現在進行形で課題は蓄積しています。決して忘れてはいけない事実なのでちょうど節目という事もあり、ちょっと触れてみることにしました。
被災地の方々にお見舞い申し上げるとともに、尊い命を失ってしまった方々の御冥福をお祈り致します。
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トヨタ ランドクルーザー50

2013年03月08日 | クルマネタ

数日前に広島市内を徘徊していたら、白い一台のクルマが視界に入りました。

その白い車両はなんと…、ランクルの50系です!


古いランクルはベストセラーだった40系を思いつくでしょうけど、50系はなかなかお目にかかれないレアな存在です。硬派に徹した40系と違って、こちらはゆったり感のある4ドアのロングボディで、快適性や乗用車志向を強めてたのが特徴でした。といっても、十分以上に硬派なクルマではありますが。

本当なら当モデルは『50系』ではなく、諸事情により『50型』と表記するのが正しいのかもしれませんが、話がややこしくなりそうなので当記事では50系で通します。

重量級のオフローダーながら珍しいことにディーゼル車の設定は無く、ガソリン車のみのラインナップでしたが、その事からも快適性を重視した50系のコンセプトが現れてるといえます。もっとも、それゆえに需要は限られてたようですが。
どうしても40系の影に隠れてしまうのは否めませんが、高級オフローダーとして君臨する後の60系、80系、100系、現在の200系のルーツといえる重要な存在でした。

後ろ姿も捕獲しました。バックドアが観音開きであります。




50系といえば消防ポンプ車が多かったそうです。現役車両の画像はありませんが、過去に沼隈町にて廃車体を捕獲してました。併せて掲載します。

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ポップンロールシンガー、逝く…

2013年03月04日 | レコード室から

ショッキングなニュースが舞い込んできました。掲載するか否か迷いましたが、一枚だけとはいえアルバムを持っているので当ブログでも取り上げます。

歌姫、須藤薫(すどうかおる)さんが亡くなられてしまいました…。



1979年にデビューされ、アメリカンポップを基調にしたゴキゲンで洗練されたポップナンバーが売りでした。デビュー当初は大滝詠一さんや杉真理さんなどから楽曲提供/プロデュースを受けていました。特に杉真理さんとは後年も縁が深く、1998年頃から『須藤薫&杉真理』というカタチでユニットを組んだりしていました。
あまり公に出てくる方ではありませんでしたが晩年までライブ等を中心に活躍されてたそうです。しかし、闘病生活中だったというのはまったく知りませんでした…。しかも、ひな祭り(3月3日)が命日になってしまったというのが、なんだか皮肉に思えてしまいます…。

なお、上に掲載したアルバムは1000円で販売されてた廉価版で、過去にたまたま店頭に並んでたのを発見して購入しました。

享年58歳、明らかに早すぎる死だと言わざるを得ませんね…。
御冥福をお祈り致します。

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