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トヨタ カローラ 50周年記念祭 PART3

2017年02月22日 | クルマネタ

カローラ50周年記念の3回目です。思ったより長文になってるうえに、違うネタを挟んだりしてて、なかなか前に進んでませんが、1980年代に入っていきます。

4代目 KE/AE/TE/CE70系 1979年3月~1983年5月(バン、ワゴンは1987年9月まで)


(4ドアセダン1500SE、1979年~81年頃)


(4ドアセダン1300DXエクストラ、1982年?83年?)


(2ドアハードトップ1600GT、1979年~81年頃)


(3ドアクーペ1500SR、1979年~81年頃)


(バンGL、1983年~)


(ワゴンGL、1985年~)

1970年代の終わりにカローラは4代目へ移行しました。排ガス規制が一段落したこともあり、中身の充実を図り、攻めの姿勢に転じていきました。
先代同様に2/4ドアセダン、2ドアハードトップ、3ドアクーペ、3ドアリフトバック、バンの各ボディタイプを設定。いずれも直線基調のシャープなイメージに一新され、空力の向上も追及されました。セダンとバンは歴代唯一の丸型4灯ヘッドライトで高級感をアピール、他は角型2灯ヘッドライトでした。
フロントにエンジンを搭載してリヤを駆動するレイアウトは踏襲しながら、乗用モデルのリヤサスのスプリングをようやくリーフ(板バネ)からコイルの5リンクに変更、また、1.3リッターにはラック&ピニオン式のステアリングを新たに採用されました(他はボールナット)。パワーステアリングの採用もたしかこの代からでした。ブレーキは前輪は全車ディスクに、一部モデルは4輪ディスク化されました。
エンジンは1.5リッターOHC(3A-U)が搭載されたのが目玉といえました。意外にもOHCはカローラ初でした。他は先代と同じ1.3リッターOHV(4K-U)、1.6リッターDOHC EFI(2T-GEU)、バン用の1.6リッターOHV(12T-J)などを用意。スポーツ系の2T-GEUはクーペがレビン、他ボディがGTのグレード名でしたが、この代からセダンにも搭載されました。遅れて1979年8月には1.8リッターOHV(13T-U)も仲間入りしました。
1981年8月にはマイナーチェンジが行われ、セダン/バンのヘッドライトを角型2灯に変更して表情を一新、1.5リッターモデルにも新たにラック&ピニオン式ステアリングを採用するなど機構面の変化もありました。ただし、せっかく追加設定された1.8リッターモデルは販売が振るわず、ラインナップから落とされました。
1982年になるとカローラ初のディーゼルエンジンが追加設定されました。1.8リッターOHC(1C)でした。また、このディーゼルには同じくカローラ初となった4速ATが採用されました。
それと、新たなバリエーションとして、バンをベースにした乗用車登録のワゴンが登場、機構面はバンそのものでしたが、後のカローラフィールダーの始祖となりました。エンジンは1.3リッターのみでした。
モデル末期にはカローラ生産累計1000万台を突破されました。それを記念して特別仕様車『テンミリオンエディション』が発売されました。
1983年5月、5代目へバトンタッチされますが、バンとワゴンは引き続き当モデルが継続されました。


5代目 EE/AE/CE80系 1983年5月~1987年5月


(4ドアセダン1600GT、1985年~)


(4ドアセダン1500SEサルーン、1985年~)※公の機関の車両なので、ナンバーの画像処理はしていません。


(レビン3ドア1600GTV、1985年~)


(FX3ドア、1600FX-GT)


1970年代以降、小型車の世界では、軽量化や室内スペース確保の観点で、FR(後輪駆動)からFF(前輪駆動)化の流れが加速していました。トヨタはFF化は慎重な立場をとっていましたが、1978年に遅ればせながら同社初のFF車、ターセル/コルサを発売しました。ただ、ターセル系はFR車と同じエンジン縦置きででした。FFで一般的なエンジン横置きは1982年発売のカムリ/ビスタが初となりました。トヨタにとってもカローラのFF化は避けては通れない大きな課題でしたが、この5代目で一部モデルがFF方式を取り入れ、カローラの歴史上のひとつの転換期となりました。
バリエーションはセダン(4ドアと5ドア)、レビンの名称に統一されたクーペ(2ドアと3ドア)、新登場となるハッチバックのFX(3ドアと5ドア)で構成、バン/ワゴンは先代モデルを継続されました。当モデルから8代目までは各ボディタイプ別に解説をしていきます。

【セダン】
基本形となる4ドア、先代のリフトバックの発展系といえる5ドアを設定、セダン系はカローラとしては初めてのエンジン横置きFFを採用されました。
FF化で従来よりもフロントノーズが短くなり、キャビンのボリュームが増して、スタイリングは大きく変化されました。フルカラードバンパーも新たに採用されました。若々しく生まれ変わった姿は市場では賛否両論あったようですが、FF化による新しいパッケージングを巧みに表現されました。FF化の恩恵で室内空間も広がりました。
FF化に伴い、機構面は大きく一新され、サスペンションが4輪ストラット、すなわち、4輪独立懸架となった他、ステアリング機構も全車ラック&ピニオンに統一されました。
横置きに搭載されるエンジンは、1.3リッターOHC(2A-LU)、1.5リッターOHC(3A-LU)、1.6リッターOHC EFI(4A-ELU)、ディーゼル1.8リッターOHC(1C-L)、ミッションは4速MT、5速MT、3速ATに加えて4速AT(一部モデルは電子制御のECT-S)が幅広く採用されるようになりました。
快適装備も、パワーウインドウやパワードアロック、オートエアコン、オートドライブ、間欠ワイパーの時間調整機能、デジタルメーターなど大きく充実されました。
1984年になるとスメ[ツツインカムの1.6リッターDOHC EFI(4A-GELU)を搭載したGTをラインナップされた他、4速ATを1.5リッターにも拡大採用実施。
1985年5月のマイナーチェンジでは1.3リッターを12バルブの2E-LUに換装。1986年、生誕20周年を迎え、特別仕様車『1500SEサルーンリミテッド』を発売されました。

【レビン】
もともとはクーペのスポーツグレードだったレビンの名称はこの世代から搭載エンジンに関わらずクーペ系の総称となりました。2ドアと3ドアの2種のボディを設定。
上に書いたように、カローラもFF化の波が押しよせてきたわけですが、生産台数の多いカローラを全シリーズFF化にするのはコストや生産設備の問題で困難だったこともあり、まずはFF化のメリットの恩恵を受けやすいセダンをFFに切り替え、さほど実用性が求められないレビンは先代と同じFRを継続されました。
シャーシは先代70系の改良型でしたが、ステアリングギヤボックスはすべてラック&ピニオンへ変更、エンジンはスメ[ツツインカムの1.6リッターDOHC EFIが2T-G系から新開発の4A-GEUへ変更、カローラシリーズ初の16バルブを採用(今までは8バルブ)。他は1.5リッターOHC(3A-U)を用意。
一部エンジンこそは新しくなったものの、機構面は当時としても古風でした。しかし、FF化の波で、軽量小型のFRライトウエイスポーツが当時でも少数派になりつつあったこと、チューニングカーとしても最適だったこと、モータースポーツでも活躍した事などでスメ[ティ派のユーザーから注目されました。新車で販売されてた当時でも人気が高かったですが、生産終了後も現在に至るまで支持を集め、歴史に残る快挙になった事は言うまでもないでしょう。

【FX】
1970年代以降、ホンダシビックやフォルクスワーゲンゴルフの登場で、小型車の新たなスタンダードとして2ボックスのハッチバックが欧州を中心に普及しました。そのため、欧州や豪州などの海外市場をターゲットにしたハッチバックモデルをカローラのラインナップに加えることになりました。日本国内でもFFファミリアをきっかけにハッチバックの市場が拡大されており、1984年10月、カローラシリーズに2ボックスのハッチバック『カローラFX』が登場しました。
FFのセダン系をベースにボディ後半をハッチバックに仕立てたという成り立ちで3ドアと5ドアの2種ボディをラインナッップ。エンジンはセダン系同様に1.5リッターOHC(3A-LU)、1.6リッターOHC EFI(4A-ELU)、1.6リッターDOHC EFI(4A-GELU)を搭載。スポーティさを重視した上級志向のハッチバックとして位置づけられました。


先代モデルを継続されてたバン/ワゴンのその後の経歴も触れておきます。

【バン/ワゴン】
世代交代は見送られ、先代の70系を継続されました。FF化はレビンの項で書いたように生産設備の都合、さらには耐久性、信頼性が重視される商用車に採用するのは機が熟してないという判断もあったのでしょう。
乗用モデルが世代交代された後の1983年8月、マイナーチェンジを実施され、屋根をハイルーフ化するなど、リニューアルされました。エンジンもラインナップも見直され、バンには新たに1.5リッターOHV(5K-U)を搭載、ワゴンには1.8リッターディーゼル(1C)を追加しました。その後も1985年に再度マイナーチェンジを実施、1987年の世代交代でようやくFF化されるに至ります。

さらに続く…。





トヨタ カローラ 50周年記念祭 PART2

2017年02月09日 | クルマネタ

カローラ50周年企画の続きです。2代目と3代目を取り上げます。

2代目 KE/TE20系 1970年5月~1974年4月(一部モデルは1977年12月まで)


(4ドアセダンSL、1970~71年頃)


(4ドアセダンデラックス、1971~72年頃)


(2ドアクーペ1600レビン、1972年~)

初のフルモデルチェンジでカローラは2世代目へと移行されました。基本的には初代のキープコンセプトでしたが、より大きく豪華に発展していきました。さらに、東名高速道路の開通などハイウエイ時代が本格的に到来した時代背景もあり、より高速走行を重視した設計となり、全体的にスポーティーさも増しました。ボディ形態は2ドアセダン、4ドアセダン、2ドアクーペ、バンを設定。エンジンは当初は初代から継承された1.2リッターOHV(3K型)でしたが、1970年9月に1.4リッターOHV(T型)を追加設定、エンジン排気量の拡大が続くようなりました。
なお、初代後期に登場したカローラスプリンターは、この世代から『スプリンター』としてブランドが独立し、カローラの姉妹車としての位置付けに。以後、約30年に渡り、カローラとの姉妹関係が続いていきました。
話をカローラに戻しますが、1971年になると1.4リッターにスメ[ツグレードのSRを追加、それにあわせてカローラ初となる5速MTのミッションの採用も始まりました。
1972年3月、クーペに本格的なスポーツモデルが登場となりました。その名も『レビン』で、エンジンはセリカ用だった1.6リッターDOHC(2T-G)を搭載、カローラとしては初のDOHC(スポーツツインカム)でした。セリカより小さく軽い車体だったこともあり、高い走行性能を誇り人気を集めました。また、モータースメ[ツでも大活躍でした。
1973年4月には、1.6リッターOHV(2T)搭載モデルを追加され、エンジン排気量の上限がアップしました。
1974年4月、カローラは3世代目へモデルチェンジされますが、2代目も廉価版としてバリエーションを縮小しながら併売、1977年末まで継続販売されました。


3代目 KE/TE30系、50系 1974年4月~1979年3月


(4ドアセダン1400?1600?ハイデラックス、1977年~78年頃)


(ハードトップ1600レビン、1974年~75年頃)



(クーペ1600レビン、1977年~)※2017年10月画像追加

最初にお断りしておきますが、この3代目は販売台数が多かったにもかかわらず見かけることが皆無なため、自分で撮影した画像はわずか3点のみとなりました…。本当ならリフトバックなども掲載したかったんですけどねえ。

さて、この3代目が登場した時代背景は、高度経済成長期から一転して、公害問題やオイルショックによる原油高騰、自動車の普及による交通死亡事故の増加など、自動車の存在自体が疑問視される風潮が芽生え、モデルチェンジは無駄な消費という声もあがってきました。しかし、安全性、経済性、快適性を進化させる観点からモデルチェンジはむしろ必要な事でした。
この3代目モデルは機構面は先代を発展させ、車体サイズはわずかしか変わらないものの、ひとまわり大きく重厚な印象に生まれ変わりました。
ボディ形態は2ドア/4ドアセダン、バンの他、新たに2ドアハードトップが加わりました。エンジンは先代同様に1.2リッターOHV(3K)、1.4リッターOHV(T)、1.6リッターOHV(2T)、1.6リッターDOHC(2T-G)を搭載、ミッションは4速MT、5速MT、2速ATに加え新たに3速ATも採用。なお、スポーツグレードのレビンはハードトップに設定されました。
安全面も重視され、車体は衝撃吸収構造となり、巻き取り式の3点式シートベルトも新たに採用されるなど、様々な試みが行われました。
さて、公害問題の深刻化から、国内でも排ガス規制が本格化していきます。そのため、当モデルは目まぐるしい変化が続いていきました。
1975年末、昭和50年規制に対応するため、低公害技術のTTC-C(触媒方式など)を採用、これでツインキャブやDOHCは中止、結果、レビンも一時中止に。
1976年1月には新たなボディタイプとしてスポーツワゴン風の3ドアリフトバックを新設、スタイリッシュさと実用性を両立したのが目新しい部分でした。同時期にTTC-L(希薄燃焼方式)を採用した1.6リッター(12T)を追加搭載しました。
1977年1月、マイナーチェンジを実施。ここから型式が30系から50系に変更。新ボディタイプとして2ドアクーペを新設。全車51年規制対応となりました。一時中止だったレビンはカローラ初のEFI(電子制御燃料噴射)を採用した1.6リッターDOHC(2T-GEU)を搭載することで復活、今度はクーペに設定となりました。また、同じエンジンをリフトバックにも搭載されました。GTの名称でした。
続いて1977年9月、1.2リッターが1.3リッター(4K-U)に拡大され、53年規制をクリア。1978年5月にはまたマイナーチェンジを実施され、1.4リッター以外の全車が53年規制をクリアされました。
全部は記載出来てませんが、こうしてみると3代目は排ガス規制との戦いでした。ここでの苦労があったからこそ、さらなるレベルアップに繋がっていくのでした。

ここで一旦区切ります。次回へ続く。


トヨタ カローラ 50周年記念祭 PART1

2017年02月07日 | クルマネタ

トヨタの、いや、日本を代表する小型乗用車のカローラが1966年11月のデビュー以来、2016年11月で生誕50周年を迎えられました。


カローラはごく普通の存在の実用車ながら、信頼性の高い手堅い設計、求めやすい廉価な価格設定、日常での使い勝手の良さや高い経済性、プラスアルファの付加価値、多種多様なバリエーション展開などの多くの要素で、老若男女幅の広い世代から、それも国内にとどまらず世界中で高い支持を集めてきました。

自分で撮影した画像を中心に並べながら(もっとも、全バリエーション揃ってないですが)、我がブログでその軌跡を辿っていこうと思います。途中で違うネタを挟むかもしれませんが、複数回の連載となります。

ひとくちにカローラといっても、バリエーションが多彩です。現在のカローラアクシオに該当するセダン系をメインに扱いますが、カローラフィールダーならびにワゴン/バン系、半ば独立した系統ながら歴史的経緯からレビン(クーペ)、ランクス/FX(ハッチバック)、セレス(4ドアハードトップ)も取り上げます。ただし、明らかに姿カタチが異なるハイトワゴン系のスパシオとルミオンは対象外とします。それと、カローラⅡはまったくの別車種ですので、これも対象外。また、長年の姉妹車だったスプリンターも取り上げたいところですが、今回は外すことにします。もっとも、手持ちの画像が足らん…(ただし、初代のカローラスプリンターは記載)。


前史(カローラ登場前夜)

さて、順番からしたら初代を…、と言いたいところですが、カローラを知ってもらうにはカローラが登場するまでの時代背景を振り返っておく必要があるでしょう。
時は終戦の混乱が一段落した高度経済成長期の1950~60年代、トヨタはクラウン、コロナと立て続けに乗用車のラインナップを拡充していきましたが生活水準の向上に伴い、市場では廉価なオーナードライバー向け小型大衆乗用車の登場が求められるようになりました。1961年、トヨタのボトムラインを担う大衆車、パブリカが登場しました。


(初代パブリカ UP10系)

後のスターレットやヴィッツの源流ともいえたパブリカは、安価な実用車として企画され、現在の軽自動車に近いサイズの2ドアセダンでエンジンは空冷の0.7リッターを搭載、駆動方式はオーソドックスなFR(フロントエンジン・リヤドライブ)でした。また、パブリカ登場に伴い、販売網の整備も行われ、トヨタ店、トヨペット店に続く新たなディーラーとして『パブリカ店』が設立されました。これが後へカローラ店へ発展していくわけです。
しかしながら、パブリカはトヨタの期待に反して販売は伸び悩みました。当時、クルマといえば高嶺の花といえる存在で、せっかく購入するのなら実用性だけじゃなく、所有する事の満足感も求められていました。パブリカはあまりにも機能性優先かつ必要最低限に割り切っていたため質素すぎたのでした。まったく売れてなかったわけでもないのですが、大衆車というジャンルを開拓したかったトヨタにとっては誤算でした。
パブリカ自身も後にマイナーチェンジで商品力を高めていく努力はしていき、販売は回復していきますが、パブリカでのつまずきとその反省がカローラの登場につながっていくのでした。

以下、本編となります。画像を並べながらカローラの軌跡を辿っていきましょう。なお、グレードや年式は推定です。それと、搭載エンジンのシリンダーは歴代通じて直列4気筒です。ミッションはマニュアルはMT、オートマはATと記載します。

初代 KE10系 1966年11月~1970年5月


(2ドアセダン1100デラックス、1966年~69年頃)


(4ドアセダン1200デラックス、1969年~)


(3ドアバン、1967年~)


(カローラスプリンター1200SL、1969年~)

1966年11月、パブリカよりも大きく、コロナよりも小振りなサイズとなるブランニューモデルの乗用車、カローラが登場しました。
実用性、快適性、走行性能などなど、クルマに求められる各要素において、平均点以上を目指す『80点主義+α』の設計思想で開発されました。80点主義というと、平凡という印象を与えてしまいますが、実際には『平均点』ではなく『平均点以上』、むしろ高い完成度を目指したハードルの高い目標でもあるんです。まして、カローラは幅広い層をターゲットにしたクルマです。多くの人の要求に応えるというのは想像を絶する苦労があったことでしょう。その一定以上の水準を満たしたうえで、高級感や上級感を盛り込んで、所有する満足度を高めたのがカローラならではのこだわりでした。
パブリカよりやや大きなサイズの車体は発売当初は2ドアセダンのみの展開でした。搭載エンジンは新開発となる1.1リッターOHV(K型)を採用しましたが、1リッター級のエンジンが多いライバルに対抗するため、少し排気量を高めたのでした。それゆえ『プラス100ccの余裕』という売り文句が生まれたのでした。それも上級志向のカローラのコンセプトにはふさわしかったのでした。
駆動方式は当時としてはオーソドックスなFR(フロントエンジン・リヤドライブ)、フロントサスはマクファーソンストラットで、今ではスタンダードな形式ですが当時は革新的だったそうです。リヤサスはオーソドックスなリーフリジットでした。ミッションは4速MTで、これまた当時では先進的なフロアシフトを採用されました。
そうして登場したカローラでしたが、高い完成度、手頃なサイズ感、比較的手の届きやすい価格設定など、クルマそのものの魅力と緻密なマーケティング戦略で、トヨタの目論見とおりにヒットして、大衆乗用車の決定打となりました。
販売はパブリカと同じパブリカ店で取り扱われていました。
翌1967年には早速バリエーションを拡大、4ドアセダンと商用バンをラインナップに追加、ミッションも新たに2速ATが設定されました。
さらに1968年にはツインキャブレター装着のスポーツグレードのSLの追加やフロントディスクブレーキの採用など高性能化を図られました。
また、同じ時期に派生モデルとしてスペシャリティな2ドアクーペ『カローラスプリンター』が登場して、市場の拡大に対応しました。同じカローラの一員でしたが販売はパブリカ店ではなく、新たに新設されたオート店(現在のネッツ店)で扱われました。
1969年9月には『プラス100ccの余裕』だったエンジンの排気量を拡大、1.2リッター(3K)へ進化されました。
1969年、取扱販売店だったパブリカ店は販売の主力がカローラに移行したため『カローラ店』へ名称を変更されました。また、パブリカは同年2代目へモデルチェンジされますが、カローラの登場もあり、ファミリカーというよりはエントリーカー的な位置付けにコンセプトが変わりました。販売もスプリンターを扱ってたオート店へ移管される事になりました。

カローラは日本国内だけでなく世界各国でも販売され、1代でそのブランドを築き上げ、自動車史に名を残す存在となりました。

思ったより長文になったので、2代目以降は次回へ…。



きのうのゑもの(クラウン2題)

2017年01月28日 | クルマネタ
クラウンを2点ほど捕獲したので、取り上げてみましょう。

街中で何やら黒い四角い物体が近づいてきたので、目を凝らして見てみたら…。
なんと、6代目のハードトップが現れました!



1979年秋に登場した通算6代目となる110系、前期型です。最上級モデルの2800ロイヤルサルーンです。したがって3ナンバー車となります。

しかし、この個体、改めて確認したら数年前にも撮影してました。逆にいえばまだまだ現役で生き延びてるともいえますねえ。

下記は関連記事。併せて参照されたし。
http://happy.ap.teacup.com/indigo-liner/650.html


もうひとつ。
パトカー仕様も現行モデルの210系にようやく世代交代されました。



通算14代目となる210系は2012年末に登場してましたが、パトカー仕様に関しては先代の200系が継続されていました。パトカー仕様は遅れてモデルチェンジされてるのが常のようですが、秋に遅ればせながら新型へ移行されました。広島県警にも導入が始まりました。

※白黒パトカーの画像の扱いですが、公の機関の車両でもあり、見てのとおりの用途、使用者で隠す必然性がない事からナンバープレートの画像処理はしていません。それと、当該画像は緊急走行中ではありません。



世界最小V6エンジン

2016年11月29日 | クルマネタ
ちょっと前に捕獲したクルマネタを出題。

画像の車両はミツビシのランサー、1991年~95年の間に販売されてた4代目CB系です(もっとも、○代目という表現も曖昧で、ランサーフィオーレも含めると実質的に6代目ともいえますが)。




この型のランサーも生産終了から20年以上が経過しており、さすがに見かけなくなってました。たまたま路上に現れたので姿を記録してみました。しかし、よく見ると…。

をゐ!!ちょっと待ちんさいや!アンタ!!

助手席ドアに注目。画像をトリミングしてみましたが、V6 DOHC 24VALVEの文字が!
(実際には見てのとおり、多少剥がれてはいますが)


な、なんと、1.6リッターのV型6気筒エンジン(6A10型)搭載モデルですよ!

大排気量エンジンの高級車などに採用されるV6エンジンですが、1.6リッターという小排気量は例が無く、当時は世界最小V6エンジンだと言われてました。こういうエンジンを実用化するあたり、それだけ当時のミツビシは勢いづいてたわけです。ランサーと姉妹車だったミラージュに搭載されたのでした。
そもそも、このクラス(いわゆるCセグメント)では6気筒エンジンというのは少数派でした。ワタシも過去に機会あって少し転がしたことがありますが、マルチシリンダーならではの滑らかなフィーリング、吹けあがりの良さは格別でした。
しかし、1気筒あたりの排気量が小さくて低速トルクは細い、エンジンは重たい、製造コストは高いなどデメリットの方が多かったのか、高価だったゆえに台数が出なかったのか、後にも先にも1.6リッターV6は1代限りで終了となってしまいました…。ただ、V6エンジン自体は諦めずに、次世代モデルでは1.8リッターのV6を搭載されましたが。

近年は環境性能の観点から、エンジンのダウンサイジング、つまり、排気量ダウンに加えてシリンダー数削減が世界的にトレンドになっており、もはやプレミアムブランドの車種でも4気筒エンジンは珍しくなくなってきました。場合によっては3気筒化も進んでいます。かつては数字が大きいほど偉かったという風潮がありましたが、この20数年のうちに価値観が激変しましたねえ。そう考えるとランサーのV6エンジンは、過去の豊かだった時代の生き証人の1台ともいえるでしょうか。

なお、画像の個体のグレードはMXサルーンですが、V6エンジン搭載車は最高級グレードとしてロイヤルも存在してました。ただ、ロイヤルはさらに高価(当時でも200万円以上だったか)だったから、どれくらい数が出たことやら…。