天賞堂の箱入れ

2024-03-26 | 鉄道模型

天賞堂さんは素晴らしいお手本だと思います。

良い点はいっぱいありますが、キャブの天窓が開いていたりキャブの側窓が開いていたりするところは素晴らしいし、渡り板が綺麗に作動するところが凄いと思います。

天賞堂は鉄道模型を作って売っているわけではないと思います。

工芸品を作って売っていると思います。

鉄道模型よりはクラシックカメラに近いかな?と思います。

悪いところはスポンジがすぐ腐るところです。

それと箱が大きいところです。

鉄道模型において、箱が大きいこと=売り易いです。

そんな安直な方向に走ればすぐにお客様は買えなくなります。

価格の50万円よりお客様から奪う生活空間の方が何倍も高いです。

エンドウのSE、SSEなど正気の沙汰ではないと思います。

箱入れ=「天賞堂の箱から安全な箱に移すこと」です。

邪魔なので私は膨大な数の天賞堂の銀箱を分解してゴミに出しました。

名取さんに「箱は鉄道模型に於いてはとても重要だから捨てるな」と言われて捨てないことにしました。

ネームランド? 黒地に金文字にすればもっとずっと良かったんじゃないかと思います。

やばい色になっています。

危ない危ない!

マレー9850形です。

驚いたことに直ぐに腐って中身をダメにする「幸せの黄色いスポンジ」じゃないです。

KATOやIMONと同じ硬い安全なウレタンです。

私は委託品を買いました。

前のオーナーは天賞堂にナンバー貼り付けを依頼して、石炭は積ませていません。

石炭を積んでいない蒸気機関車は廃車体です。

だからIMONの蒸機は絶対に炭庫内は作りません。

こんな構造です。 写真に撮るのは重要です。 積んでしまうからです。

消臭剤の活性炭の様なものです。 軽いことから静電気で始末に負えないです。

黒ラッカーで固めようとすると一滴に吸い付いて塊になってこれはひどいです。

IMONのHO石炭(税別120円)が断然使い易いと思います。

D511086、D5147、「J」ゲージの9850形です。

まだラッカーは流していません。

D51の石炭は、減って、石炭の前寄せをしてさらに減った姿です。

なんて、実は半田付けが不味い部分を隠す積み方なのです。

自分で組んでいればそのことまで意識して組みます。 残念!

黒いラッカーを流しました。

D51は芸術祭前には流せなかったたっぷりのラッカーで固めました。 まだ流したばかりです。

本当は豆炭です。

昨日遂に80kgを切ったのに今日はあかん!

「いいわけ」は「理由を思いつかない」でした。

眠くて書けません・・・

 


D511086の苦しみ、それと秘密の作業

2024-03-25 | 鉄道模型

東口(宮益坂方向)から西口(道玄坂方向)へ抜ける途上、銀座線軌道敷上辺りを見る。

赤いヤクルトの看板は渋谷駅前ビル、その陰に“109”があります。

渋谷駅の惨めな姿

ガイジンさんがスクランブル交差点を鑑賞中。

エスカレーター付近はゲキパ。

救急車が色を添えます。

このエスカレーターに並ぶのは嫌だなア

元来需要が全然読めていない、お粗末丸出しです。

おっとこの大問題のD511086を見ます。

池袋へ持ち込む時は大丈夫だった・・・と思ったらよく見るとダメな萌芽が見えますね。

分解してみても問題点が見えません。

配線の止め方を変えてみたり

ウェイトのネジを緩めて0.4mm厚のボール紙を2枚挟んでみたりします。

(モーターやギアボックスの為の余裕スペースを作ります)

思えば、マッハの鉛板が有れば挟めますね。

分解してみて・・・あまり障害は無さそうに見えます。

この辺り、自分で組立ていない怨みが煮えたぎります。

摺動面は黒染めのみで塗装したくないところ・・・

それにしても恨めしいのはバルブギアのネジ締めが強すぎて手に負えません。

3点支持のイコライザーの後二つの支点が怪しいと思いますが(特に助士側)

取り敢えず今は戻しておきます。・・・

秘密の作業をばりばり進めました。

天賞堂箱からIMON箱に移し替える作業もいっぱい残っている・・・まだやっていないのは正気の沙汰ではないですね。

 


蒸機を語る会

2024-03-24 | 国鉄時代

山下修司さんが居て、松尾よしたかさんが居る宴席だからカテゴリー;国鉄時代・・・・

林山尭さんより開会の辞

参加者は40名です

宇田賢吉さんより“慶慶”に折り紙で作った薔薇をプレゼント。

渡辺支配人にも薔薇!

集合写真無し、二次会はこのメンバーです。

二次会のおつまみ;ピータンを頼んだら厨房が応じ切れず渡辺支配人が切ってくれました。

めちゃくちゃに忙しかったみたいです。

12:00から始まっていますから二次会終了時間も早いです。

シンガポールから来た外人観光客さんが撮ってくれました。

酒酔いなのでキハ43000ははじめません。

余興でPKPのPm2(独逸のゼロサン)にさわります。

パーツが多そうでゾッとします。

こんな収納方法。

この引き出しにマニュアルが入っています。

こんなに入っていました。

リングカプラーはダメなのでもちろん交換します。 分解が必要でした。

ドレインコックを取り付けます。 でもクロスヘッドと干渉するので一部カット。

ちょっとだけ墨入れしました。

墨入れは大変ですが(簡単です)効果は抜群です。

PKPのPm2は増田泉・井門義博組だけが走行写真を撮っているという深い縁のある機関車です。

また仕舞います。 写真撮る元気はないです。

 


毎晩ちょっとずつの作業で

2024-03-23 | 鉄道模型

Roco は大事なメーカーだと思っています。

今年はJAMに出展してくれることを期待しています。

買って協力しようと思っています。

買っても最後の組立をしないと完成にならない点では「現地球上のダメダメな模型メーカーの代表」でもあります。

1年前に発注してあったものがゾロっと入荷して、忙しいから放り出すのも「手」なのですが、それを続けているとイモンの模型全体が崩壊する危険があるのでたまにはちょっと手をつけます。

1両で3時間程度は掛かります。 9両到着しましたから結構な地獄です。

室内灯はIMONパネルライトにピッタリですが、客室内が塗り分けられていないのがつまらないのでやめます。

この客車を発注したのは、リバロッシの中古(ヤフオク落札だったかな・・・)でミットローパの食堂車+ミットローパの寝台車✖️2+DR荷物車の4両セット(エポックⅢ)を使う相手を探していたところに発売されたので発注してしまいました。

外国形は発売を逃すのは即アウトですので仕方が無いです。

あっという間に破損して諦めかけたパーツ;梯子ですが、「まてよ」と考えてKSモデルの帯板で直すことにしました。

黒染めしてG-17で接着、梯子ホルダー健在のフリです。

唯一残った片脚で立っているのです。

この位置にセットしてから瞬間接着剤「アルテコ」を1mmの細いドラバーで接着面に流し込みます。

一等車2両の行先表示板は高い位置と低い位置に貼りました。

行先表示板の貼る先説明図を見ると、高い位置、低い位置両方あります

高い位置=車体右、デッキ寄り1番目客室の窓下

 (高い位置=プラットホームが徐々に高くなる事が原因かな)

低い位置=車体右、デッキから2番目客室の窓下

号車番号板は右左あります。

メーカーは写真で検証して、その通りの位置を指定したのではないかと推理します。

「実物行先表示板は点対称、号車表示板は線対称に貼られているな」と推理しました。

行先表示板は戦前は低い位置です。

この車はAB4u(一二等車)ですが、製造時は一二三等車。 7号車(一等車は5・6号車)

2等車、製造時は三等車、8号車。

二等車、製造時は三等車。 9号車。

9号車は無いので6号車をひっくり返して貼ってあります。

208形、所属はドレスデン・アルトシュタットなのでザクセン王立鉄道由来かな。

241形はクリーム色の一等帯が無い

208形はクリーム色の一等帯が有る

ですから、二等車は融通できますが一等車は融通できません。

そんな事からKSモデルの帯板で復活させなければならないと思い直したのでした。

同じエポックⅢでも時代が違うのでした。

 


車が踏んだもの・・・

2024-03-22 | 鉄道模型

昨日、江戸川区小岩の林工房へ往来しました。

2ヶ月に一回ほどの模型キット組立依頼品の受渡です。

昨日は嵐でした・・・中央環状線入口が「強風」につき封鎖されていました。

止せば良いのに「予定していた」ので往来して暴風で飛ばされた落下物を避け切れず踏んでしまいました。

その時からタイヤ一回転に一回異音がする気持ち悪い状態となり、今朝ポルシェ高輪に予約して夕刻入場しました。

泉岳寺交差点付近渋滞で往生しました。

01 120 入場します。

待合場所からは工場の作業を見られる様になっています。 うちの車は見えないところにいます。

原因を探してもらっています。

なんと、コレがタイヤに刺さっていました。 100円玉でも置いて大きさがわかるようにして撮ればよかった・・・

タイヤ修理してもらって、タイヤ交換(4年経過しているので時期でもあります)を予約して帰ります。

Rocoから届いたDRの旧型客車をBRAWAの旧型客車と比較しています。

(両方とも?)東独でお馴染みだった近代化改造客車のタネになった車両だとおもいます。

両者時代が近いが、似ても似つかないスタイル。

同じRocoの一年前に発売されたDRB(第二次大戦直前期)の客車とも比較してみます。

全然違うものだということがよく分かりましたあ。

同じ形式のゲルリッツ台車に見ますが、ホイールベースをはじめ別物と感じます。

手前(DRB)は元々フライシュマンで、奥はRocoじゃないかと推測します。

カプラーは逆のものが付いていますが。