食物アレルギー

2014-10-14 | 喰いだおれ
写真のない書き込みを一つ。

私は時々何等かのアレルギーに襲われます。 一旦そうなると暫く刺激物を食べられなくなります。

食べ物なのか、植物か昆虫(毛虫の毛とか)などの接触物なのかも判りません。
皮膚科で
「どう見ても植物などの接触によるものだ」と言われますが、よく検討してみるとすべての患部は普段の生活で刺激を受ける場所と完全に一致していますので、とてもそうとは思えません。

・・・第一発症した時間と植物に触れた時間の時間差に納得がいきません。


食物に対してアレルギーが有るかどうか徹底的に調べました。 (実は2度目です)

やはり全くアレルギーが有りません。

内科医(家内の従兄です)の意見として“食品添加物”が怪しいとの事。



!!!!
そうかもしれません。

業務用食品材料には“生”のものでも「生食用」とそうでないものが有ります。
その両者の間には鮮度の差は無いのだそうです。
「生食用」の食材には抗菌添加物が入っているのだそうです。
どうもそれが一番怪しい!

と、言うのは今年になってやられた2回は
一回目;出前の寿司を食べた時
二回目;寿司屋で寿司を食べた時
に絶対間違いないのです。

まぐろ、アジ、タコ・・・イワシ、寿司屋で出てくるかな、もしかするとあるかもと思われる数十種類の食材に対しては一切のアレルギー反応が無いのです。

家で食べる刺身には一切関係が無いことが判ります。
(アレルギーが起こった時は絶対に判ります)
たぬきも一切関係ありません。
第一アジなどは水槽から掬って調理、動く状態で出て来るのですから・・・

アレルギーに苦しんでいる方がどれくらい居られるのか判りませんが「生食用」と表記された様な業務用食材には気を付けた方が良さそうです。

私は“たぬき”以外ではもう刺身や寿司は食べない事にしようと思います。






もうすぐ合同運転会

2014-10-09 | 鉄道模型
鉄道模型、関東合同運転会は明後日10/11が搬入日、12~13が運転会でいつもの埼玉県民活動センター(けんかつ)で行われます。

HOJCの競作「蒸気機関車」で完成された姿をみせたいと考えて居る井門としては最後の追い込みに必死です。


黒艶有りで塗装するところまでは「まあまあぼちぼち」の経過だったのですが・・・


昨日、ナンバー貼り付け、インレタ転写後のオーバーコートは大トラブルでした。


皆既月食の始まり。 コレを見ながら「しめしめ今日は塗装日和かな?」と思いました・・・

ところが皆既月食は時折見られたりという情報が耳に入ってきます。 曇った?

様々な準備を整えてオーバーコートの吹きつけに掛かったのは夜10時半頃でしょうか?(時計を見ていないので判りません)

私は純粋オーバーコートは割合アクリル塗料を愛用するのですが今回は何となくラッカーを使いました。

ベタッと塗面が全面平均にぴったり濡れた状態に持って行くのが私のやり口ですが、天候悪化中と感じて25cm程離して濡れた面が出来ないような吹き方で吹き付けました。

小物から塗り始めて最後に一番重要な流線形カバーを塗るところで「白化」が感じられはじめました。

いきなりの天候急変!怖ろしい湿気の襲来です。


ブラシ類を動員して表面をこすり、白化した部分を結構落とした状態の流線形カバーです。

テンダーの屋根は吹ききれずに今日再度吹きます。

こんな状態で果たして「完成」まで持って行けるのか・・・










軽便祭2014

2014-10-08 | 鉄道模型
もう一件、駆け足ですが報告いたします。

第10回軽便祭に行ってきました。 でもそれは駆け足で回っただけになってしまいました。
朝はラグビー部の試合で13:00から大事な宴席が有ったのでその間に回ったのです。

前夜祭にも参加出来ませんでした。 厳しい毎日が続いて居ます。


目黒さつき会館です。


来年は取り壊し(改装?)中と言うことで別会場になると聞いています。


特殊狭軌のイベントをやるのに相応しい特殊狭軌に改軌されたC55の動輪。


メイン会場入り口です。


受付です。


まだ開店間際で行列しているお客様も入り切って居ませんので閑散としています。


色々配置が換わっていました。 ステージ上手前は諸星さんです。


まずはIMONのブースに行ってみます。


だんだんお客様が増えて身動きしにくくなりそうです。


ぐるっと回って見ます。


開始直後は一番忙しい時間と言っても良いかと思います。


不思議な位置に木曽モジュールクラブが配置されていました。


南軽出版局はいつもの場所に有りました。


ステージ上は0ナロー、ノーブルジョーカーとけむりプロのコラボレーションです。 どちらも高校鉄研の先輩ですぅ


基隆の本が置かれているのが良いですね。


茂みがあるところには時折蛇が居ます。


驚きは下島さんのブース。


全ての植生はホンモノで生きています。 光の当たり方など調整して育てた苔等だそうです。


リアルな池だなと思ったらホンモノの水で鯉が泳いでいます。 (メダカです)


地下へ伸びるインクラインもこの大きさだとど迫力です。


人が乗ったモーターカーが交換していました。


こちら受付隣接のブースには


ダージリンの2ftがいろいろ展示されて居ます。

別の部屋を覗きに行きます。


Oナローが増えている感じがします。


佐久砿業軌道、分割式になってます。


軽便モジュールクラブ。


カメラマンが集中しています。


竜東石灰軌道 KBMCメンバー


乗務員がさぼっている車両・・・あさま号です。


こんな椅子の配列があるんですね。 ‘あさま’は放置されていたとき塾高鉄研でもらい受ける寸前まで行ったようですが学校が怖じ気づいて実現しなかったと聞いています。




栂森鉄道初代カバン線


The Critter's Ciub




これは列車も回るがレイアウト自身もターンテーブルで回っています。


庶茂内村営軌道広加内とナローの電車コレクション


桜山軽便鉄道 尾小屋と井笠と駿遠線・・・


桜山軽便鉄道軌道線と沼尻コレクション。




上の1/80ナロー下津井の解説です。


ようやく拝見。


The Critter's Ciubに戻ってきました。


車両の運動場?・・・原宿店のレイアウトみたいなモノでしょうか。

メイン会場に戻って


IMONで作りたかった北丹2号機、ワールド工芸。


IMONのブースに寄って後事を託して次の目的地へ向かいます。


井笠コッペル7号機


井笠コッペル6号機




久喜鉄道祭

2014-10-07 | 国鉄時代
ドイツへの割り込みを一つ

(今日は特記無き写真は井門義博撮影です)

先日日本信号久喜工場の鉄道祭に出掛けてきました。


上野発高崎線と並走で大宮駅進入です。


バスに乗って久喜工場に到着しました。

P;奥井
N700Aはエアで膨らませてある子供の遊び場です。 これなどもビックサイトに持ち込んでも良いかなと思ったりします。

P;奥井
コンベンション会場にあっても良さそうなもののひとつ、乗用の新幹線只今準備中です。

S棟とN棟を結んで走って居ました。


テントでは東北物産鉄道グッズコーナー等有ります。

P;奥井
今年は秋田内陸縦貫鉄道、小坂鉄道などのグッズが加わったと聞いています。


おやっ?コレは何?

P;奥井
午前中は連発していたそうですが

P;奥井
新幹線0系のタイフォーンです。 女の子が耳を塞いでいます。

P;奥井
S棟入り口ではライブスチームが走ります。


IMONも大きく関わったレイアウトです。

ホンモノの運転台を使って信号機に従って模型を運転します。


運行終了後に改めて見てみると


ヤードの上にアクリル製の埃避けを考えた車庫が新設されていました。


S棟1階では


鉄道風景画家松本忠作品展が開かれていました。


終り頃に撮った記撮です。

P;奥井
こちらはN棟で子供達の塗り絵コーナーです。

塗り絵の下絵は今年のJAMコンベンションに出展していたコスモサウンドです。 コスモサウンドさん全面協力で実現しました。

P;奥井
N棟での鉄道模型工作教室です。

バンダイさんの協力でBトレインショーティーを題材に使って居ます。

P;池崎
講師はすっかり減量にハマってスマートになったIMON秋葉原店関口宏です。


S棟3階では講演会が開かれています。 入場希望者が集まっています。


現在中村博士の『未来の鉄道』講演中です。 こちらも聴きたかった!


余りの大盛況で椅子をどんどん運び込んで席を増やします。


大石和太郎さんの講演が始まりました。

大宮機関区の庫内手時代の話から始まり、東北本線蒸機機関助士時代、田町電車区時代、新幹線開業準備室時代、そして新幹線開業一番列車運転士の話まで、最初から最後まで想像の10倍以上面白いお話の連続でした。


これは鉄道祭会場で配られていた葉書です。 開業日一番電車【ひかり】運転士は大石和太郎さん。 0系電車の鼻でテープカットして新大阪を出て行くところです。


同じ一連の葉書を紹介してしまいます。


500系も有ります。


子供に一番人気、蒸機も登場します。

バッチなど色々な車両があっても必ず蒸機だけが早く無くなる事が経験上知られています。




江戸東京博物館でも新幹線でお祭りをやっています。 こちらにもお邪魔して近々飲む話で盛り上がっています。 


講演終了後に大石さんと写真を撮る光栄に浴しました。


大石さん自身からお借りしている0系モデルが展示されていました。


ほかにも色々なものが展示されて居ました。 これは見た事ありますが。


ホンモノの保安装置は見てもさっぱり判りません。


大石さんご提供の写真と撮り鉄“奥井さん”の昔からの成果物でしょうか。

P;奥井
この椅子は300系の椅子のようです。 B席が少し広いです。

P;奥井
奥井さんと久喜で打ち上げ

P;奥井
なんだか異様に美味しかった様な気がします。


帰りは残念ながら上野行きですが。 (渋谷~久喜はG車570円)


二次会は“じゅっちゅ”で宴会です。 ちょっと飲み過ぎか・・・

(“じゅっちゅ”→酎ハイのこと)






01逢いたや2014⑥ノイシュタット

2014-10-04 | 海外蒸機
毎度遅くなってすみません。

いつものように特記無き写真は水沼先生です。

P;井門
こちらベンツ組

マンハイムの街中を抜けてノイシュタットに向かっています。

ハイデルベルクからアウトバーン656号線で終点に至り、市街地を抜けてアウトバーン650号線、9号線、65号線と走らなければならないのです。

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84/@49.4173564,8.4938997,11z/data=!4m2!3m1!1s0x479a721ec2b1be6b:0x75e85d6b8e91e55b

ノイシュタット:
 結構飲んでしまった私と林先生はこのまま電車に乗り、機関区のあるNeu Stadt Weinstrase 駅へ向かう。 帰宅時間で通勤列車は若者達で結構混んでいる。 空はどんどん明るくなって車内に夕日が差し込んできた。
 30分位だろうか。 黒煙が何本も上がっているのが見え、ノイシュタットに着いた。 林先生の腰の調子が悪く、近いがタクシーに乗って機関区に行く。
 ちょうど夕日が山に沈んだばかりだ。 残照に照らされて、01 118が停車している。 息を飲む美しさだ。 さっきの“ドイツ鉄”と同様に“She is the most beautiful engine in the world. ”とつぶやいてしまう。 手前にいたファンが振り返り、そうだろうともという様に深くうなずく。



涙モノです!




デフが少し傷んでいる感じでしょうか・・・

P;井門
ベンツ組、ダンプスペクタケル撮影会用の駐車場を発見! 停めることが出来ました。

もう駐車場は一杯です。 出遅れてるなァ・・・という感じがします。

P;井門
駐車場から何処にあるのかよく判らない機関区を目指して歩きます。

撮影が終って帰る人波かと思ったら残念! これから向かう人波だったのでした。

P;井門
こんなところに機関区が有るんでしょうか。

P;井門
受付、並んでいます。 此処には写っていませんが団体がぞろぞろっと纏まって入って行きました。

P;井門
20€だったか30€だったかの寄付をすると入場できます。 寄付済みの判子を手に押してくれます。


これが判子です。 手帳にも押して貰いました。

P;井門
入るといきなり 01 118 が停まっています。

昔から西独のゼロイチは知っていました。
でも小さなデフが太く長いボイラーに不釣り合いで「C59124やC6113みたいな奴等だなァ」と思っていました。

“C53の様な横長の立派なデフを付けた原形機が残って有るのかもしれない”

と言われた時「見たい」「撮りたい」もしそんな場に行ったら夜中も撮るぞ!と燃えました。

ペンタ6×7を担いでC53の【燕】【富士】【櫻】を撮れると言うのですから・・・

P;井門憲俊
いきなり面白い写真を一枚!

この変なあんちゃんが20歳の私です。 Berlin Ostbahnhofです。 (何で目線が横へ?)

この頃現役時代の118番はコンピューター№で 01 2118-6 と付番されています。 ドレスデンからベルリン行D-zukに乗ってきたわけです。 1977年8月ですが、増田さんが居なくて井門兄弟で動いて居た時も有ったのですね・・・

背負子だったんですね・・・井門憲俊は私同様に118番と一緒にカメラに収まり、西ベルリン経由自由世界へ脱出して行きました。 私は壁の向こうに居残りです。

この頃も私は太っていましたが「東」へ行く度に最低15キロほど痩せて帰っていた筈です。 朝は04:37の列車で撮影地に向かい朝食昼食は抜きだったのです。

P;井門
熱心なドイツ人“鉄”が砲列を布いて頑張ります。

P;井門
おやっ?日本人ですね。 鈴屋さんです。

P;井門
1台欠けていますが凄い眺めです。

P;井門
右寄りの空中に何か浮かんでいます。 リモコンによる電動ヘリコプターです。

インド人が操作して空中からビデオを撮影しているらしいです。 地対空ミサイル心配は必要無いのでしょうか・・・怒りのパチンコ攻撃とか。 

P;井門
高いところ全てに“鉄”が犇めいています。

P;井門
こんな砂利山にも・・・

P;井門
何処から見ても親子“鉄”はっけん!

P;井門
カマ達の正面に回ってみます。

P;井門
1台分欠けていますがなかなかの壮観です。

P;井門
振り返ると転車台! でその向こうにも人垣が出来ています。

P;井門
ドイツ人鉄の高い壁です。




 機関区には蒸機が7台が並べられているが、 全部は揃わず先ほど見送った01 202がまだ側線で火床整理中だ。 この機関車には黒山の人だかりだ。 アッシュピットに蛍光灯が照らされていて足回りが美しく見える。




これはまだアッシュピットに移動する前です。


アッシュピットまで来ました。


あの台に群がっていた人達は此処で蒸機が灰を落とす事を知っていたのですね。




日本では稀に「磨き出し」をしますがこれは銀色塗装(正確にはアルミ色塗装)かもしれません。


スイスの車両らしくA3/6の表記が有ります。

Aはスイスの速度種別で80㎞/h以上を表します。 01後期型は最高速度130㎞/hですが曲線通過速度の問題からか最高の‘R’ではなく次の‘A’に分類されています。 

http://homepage2.nifty.com/SPECIALSTAGE/HTML/DATAFILE/DATABOOK/EL-NO.htm#DBAG:ドイツの機関車・電車

ドイツに残っている01にはS3/6の表記が有ります。 Sはシュネルツーク(急行)で3/6は6軸中3軸が動軸(まあパシフィック)です。







 地元のてつに混じって動輪やデフを撮らせていただく。 この動輪は銀色に磨き出している。 この機関車はスイスのミューレベルクに所属しているという。 西独型の美しい機関車だ。 残る3台が52型、2台が41型だ。 こちらもいかにもドイツという感じの好ましいスタイルだ。


P;奥井
こちら、真面目に撮らないで記撮にうつつを抜かす人達です。

(私は写る側に回っていますが、全て私が悪いんです・・・)

P;鈴屋さんかな
鉄研三田会チームとも出会ってしまいました。

  P;井門
大森さんと同行の小西さんも登場! 一転名刺交換の場になりました。


すっかり薄暗くなっても動く気配を見せない01 202。 閉場の22:00まで動かないのでは?





 ドイツは9時を過ぎてもまだ明るい、なかなか本格的な夜間撮影とはいかないが林先生の腰痛がひどく退散することにした。
 ボランティアの方に頼んでタクシーを頼む、 ノイシュタットまでいくらか
と交渉すると50ユーロちょっとだという。 疲れきった二人はぐったりとタクシーのシートに身を横たえた。

P;井門
21:45頃だったかと思います。 突然 01 202 が動きそうな気配になってきました。 マンハイムに帰る最終電車に乗るにはぎりぎりという時間です。
 
P;井門
撮影者を下がらせて動きそうな感じです。

P;井門
遂に動きました。

P;井門
ターンテーブルを経由してゆっくりとクラへ向かいます。

P;井門
時に22:00 今日は無いかな?とさえ思った8台並びが実現しそうです!!

P;井門
サンタのおじさんかと思ったらおばちゃんですか。

P;井門
並びました。

P;井門
良い子は早く帰りなさい!

P;井門
熱狂的な騒ぎになっています。

P;井門
汽笛を鳴らし始めました。 最後の最後に物凄い盛り上がりです。

P;井門
キリが無いのでぼちぼち撤収します。

P;井門
マンハイムのホテルに帰ってきました。 (と言うより)新しい別の部屋に3泊します。

P;井門
もう深夜ですが宴会は欠かせません。

P;井門
まずは部屋で飲むための水を確保します。 駅のスーパーが閉店しているので高いですが仕方が有りません。

P;井門
なんと!ドイツだと言うのに生ビールが無い!瓶ビールをかき集めて乾杯します。

ここもお店の人はあきらかにドイツ人ではない感じ。

P;井門
キャップがドイツと日本ばっかり・・・あとは中立国?連合国側は排除か?

P;井門
ともかく乾杯です。

 11時近くになって井門組が帰ってきた。 いろいろ成果があったようだ。 全員が揃って、駅前のトルコ風?の安そうな店へ入る。
 ピザやソーセージをしこたま頼んでビールで乾杯。 治安の良いドイツだから、12時過ぎても飲んでいられるが、入れ墨をした若者がたむろしている。 アメリカでは絶対に危なくて居られない様な店だ。 ビールが回ってくると皆が元気を取り戻す。 阪上さん、奥井さんはドイツが初めてで、何もかも面白いらしい。
 阪上さんいわく、関西ではゼロワンというらしい。 他の人がゼロイチだよと言っても納得しない「ゼロワンちゃうかー?」を繰り返している。 確かにドイツのファンも英語ではゼロワンスティームロコモティブと言っている。 こちらのドイツ語でヌルアインス(Null Eins)と呼ぶ。親切なドイツのファン達は「今度はしばしばゼロワンが来るよ」と英語で教えてくれる。 「ヌル アインスかい?」と聞き返すとにっこりと「ヤー!」と返事が帰ってくる。 ゼロイチという言葉は名文「01逢いたや」、増田泉さんの鉄道ファンの記事「01は東独に生きる」に出てくる。共にゼロイチだ。 蒸気機関車を愛する日本人ファンがしごご、しろくに、でごいちのように独特な言い回しの英、日混ざったゼロイチという造語をしたらしい。
 このドイツたぬき会は盛り上がって1時を過ぎた。 翌朝は皆朝一番から行くという。 私は明日、シカゴへ移動しなくてはならない。 こうなってくると、後一日が惜しい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%9B%BD%E9%89%8401%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

↑かなり正確に書かれています。 なぜ「ゼロワン」ではなく「ゼロイチ」なのかも判る感じです。 01がゼロワンだったら41はフォーワン、52はファイブツーでなくてはならなくなりますし・・・・

ゼロワンではない機関車は「ゼロワンちゃう方」という言い方もあるかもしれません。

P;井門
ピザ。

P;井門
スポークの中心がずれたピザ。

P;井門
昔のドイツには無かったピザ。 まあなかなか美味しいです。

P;井門
こんな店です。

P;井門
ヴルスト・・・ドイツで食べるヴルストっぽくないヴルスト。

P;井門
ステーキライス?

P;井門
お店の人にシャッター押してもらいます。 阪上さん元気! 

P;井門
マンハイムの駅です。 まだ1時前ですね。

P;井門
各自水を持って部屋に帰ります。

P;井門
モーニングコールをセットします。

今日は林先生がポルシェだったためにベンツは純粋一人ドライバーでした。 流石に疲れました。「こんなに日の長い季節に来るものじゃないな」と思います。

ドライバーに換えが居ないとなると飛ばせないのがつらいです。 事故っては拙いので自分に疲労が溜まらない事を意識した走りになってしまいます。

明日、増田さんは単独行動でレーゲンスブルクの友人に会いに行きます。 (実は私も1976年に会っています) 

西ドイツ人は東ドイツに入獄いや入国出来ません。
彼等西独の“鉄”の思いに答える為、彼等から知恵や情報の提供を受けつつ我々が壁の向こうに突撃して出版したのが増田/井門写真集なのですから私にとっても無関係ではないのですが・・・・増田さんよろしくお願いいたします。

水沼先生は疲れが取れないので52形の朝の列車はパスして01の列車から撮る事にして朝別行動です。