C57135[岩一]の最終日バージョン、昭和50年12月14日日本最後の蒸機旅客列車室蘭本線225列車を牽いた時の姿が本日発売されました。
何故本日かと申しますと、本日が12月14日だからです。
日本の現役蒸機客車列車の命日なのです。
製品ではメインロッドのみ「赤」の色差しが為されています。 (画像は拡大できます)
メインロッドのみ;こんな感じです。
ヘッドマークは取付台ごと取り外せるようになっております。
テンダーのみナンバープレートは赤でした。
C57135車歴;
1940-05-27 製造(三菱重工業神戸造船所=製造番号285) → 配置;高崎
1952-04-10 小樽築港(着04-13)
1952-08-20 重油併燃装置取付け(小樽築港機関区)
1968-10-02 室蘭
1969-10-01 岩見沢一
1972-05-17 苗穂全検出場、重油併燃取外し、デフ切詰
1974-05-15 C57149廃車 → このテンダーを譲り受け振り替えたと思われます。
1975-10-10 山口百恵&加藤芳郎列車走る、数日のちNHK放映(10-14の鉄道記念日か)
1975-12-14 日本最後の旅客列車;室蘭本線225レ牽引
1976-03-31 廃車;岩見沢一
1976-04-04 保存のため東京都須田町「交通博物館」へ向けて出発
2007-10-14 移管保存;埼玉県大宮市「鉄道博物館」
C57135は高崎線電化(1952-04-01)により小樽築港へ転配、長く函館本線、根室本線で活躍した機関車です。
当時小樽築港機関区はC62(乙組)を差し置きC57が甲組でした。
函館本線の急行〔大 雪〕〔アカシア〕〔まりも〕(根室本線に入り富良野まで)をはじめ、釧路までという日本の蒸機史上最長428kmという超ロングランを含む運用でした。
狩勝峠を越える為、ボイラー上ドーム後方に重油タンクを搭載した機関車が多くC57135もその1台で重油タンク撤去後もドーム後方の欠き取りがそのままでした。
(C5757も同じ経緯で重油タンクを撤去していますが、ドームの欠き取り方が違います)
よんさんとおで函館本線が電化され室蘭に転属。
翌年岩見沢に転属。 その後しばらくは小樽築港時代のままの姿で活躍していました。
(全検は無かったのです)
昭和47年5月全検、その時に重油タンク撤去、デフレクタを切詰めました。
その後テンダーを二次型の廃車発生品に振り替えています。
狩勝で活躍していた時代から昭和47年5月全検前までの姿です。
(この製品は一週間後12月21日に発売となります)
本日発売の最終日バージョン(メインロッドに「赤」が入ります)
C57135は昭和47年5月17日全検出場して暫くの間はオリジナルの一次型のテンダーを付けておりました。
いつの間にか板台枠台車を履いた二次型のテンダーに替わっていました。
これは昭和49年5月15日廃車のC57149のテンダーという説が有力だと思います。
テンダーヘッドライトへの電気配管の先、最後のコードの「曲り方」が同じなのだそうです。
その後C57135は平凡な機関車として何事もなく廃車されるはずだったと思われます。
昭和50年10月NHKの番組で山口百恵と加藤芳郎を乗せて走りました。
それからは「百恵ちゃん機関車」「百恵ちゃん」「山口百恵」などと呼ばる様になりました。
‘135’がNHKのディレクターの誕生日に関連する数字なので135が選ばれたという話が伝わっています。
(結構可能性が有る話ですよね)
当初語呂から言って、また所属が苗穂だったためにデフレクタを切詰めずに残って居たC5757が最終列車牽引機として意識されていましたが、この線区での最有名機関車が「百恵ちゃん機関車」C57135になってしまった為135が最終蒸機旅客列車牽引の栄誉に輝いてしまったのです。
そしてそれが現在の“保存”に繋がりました。
C57144、C57135、C5757は保存されました。
結果として山口百恵が1台の蒸機を解体から救ったのかもしれません。
昭和50年12月14日 225レ 『あざやかな場面』より 白老~社台
(このシーンはズームを引きながら撮影していますのでスチルは撮っていません)
12月に入って殆ど運用に就いていないC57135はランボードに白線を入れられた状態で前日の228レDD51の前位を占め、有火で回送されました。
夜、室蘭でヘッドマーク枠を組み、早朝にヘッドマークを組み付けました。
本来D51のスジだった225レは室蘭7:50発岩見沢11:42着(所要3時間52分)で、本来D51牽引のスジという事も有ってか割合遅い列車でした。
それでも「さよなら列車」は途中大幅に遅れました。
『あざやかな場面』より 苫小牧発車 約1時間遅れ
(この時のスチルは‘バケペン’でしっかり撮っていますがRMで使っていただいてから何処へ仕舞ったのか判らず困っています)
客車編成 (たしか全て札ムロ)
① オハフ62 10
② オハ62 119
③ オハ62 105
④ オハフ33 1031
⑤ オハ35 714
⑥ スハ32 836
⑦ スハ32 847
⑧ オハフ62 13
『あざやかな場面』より225レ岩見沢到着寸前。
苫小牧を12:00過ぎに出る特急【北 斗】で札幌へ、13:00発【いしかり】で岩見沢に向かいました。
遅れは拡大するはずだと見た読みは的中し、岩見沢進入、到着、切り離されたC57135が客車を置いて去っていくところまでしっかり撮影できました。
『あざやかな場面』より客車から離れ、引き上げていくC57135。
テンダーだけナンバープレートが赤い事が判ります。
テンダーの赤プレートが現在保存中のC57135のプレート「赤」に引き継がれているのだと思いますが、そのテンダーの赤プレートがいつからなのかは判りません。
10月10日NHKのロケが有った日からかもしれないと考えています。
『あざやかな場面』は国鉄時代Vol.4の付属DVDに入っておりますので今でも手に入ると思います。
「さよならSL」ヘッドマーク取付枠組みは本物は黄色く塗られていたのですが、模型では黒く塗ってしまいました。
思いもよらぬことから翻弄され続けた北のC57。
ひたすら寡黙に疾走した‘駿馬’達はみんなとても可愛いです。
何故本日かと申しますと、本日が12月14日だからです。
日本の現役蒸機客車列車の命日なのです。
製品ではメインロッドのみ「赤」の色差しが為されています。 (画像は拡大できます)
メインロッドのみ;こんな感じです。
ヘッドマークは取付台ごと取り外せるようになっております。
テンダーのみナンバープレートは赤でした。
C57135車歴;
1940-05-27 製造(三菱重工業神戸造船所=製造番号285) → 配置;高崎
1952-04-10 小樽築港(着04-13)
1952-08-20 重油併燃装置取付け(小樽築港機関区)
1968-10-02 室蘭
1969-10-01 岩見沢一
1972-05-17 苗穂全検出場、重油併燃取外し、デフ切詰
1974-05-15 C57149廃車 → このテンダーを譲り受け振り替えたと思われます。
1975-10-10 山口百恵&加藤芳郎列車走る、数日のちNHK放映(10-14の鉄道記念日か)
1975-12-14 日本最後の旅客列車;室蘭本線225レ牽引
1976-03-31 廃車;岩見沢一
1976-04-04 保存のため東京都須田町「交通博物館」へ向けて出発
2007-10-14 移管保存;埼玉県大宮市「鉄道博物館」
C57135は高崎線電化(1952-04-01)により小樽築港へ転配、長く函館本線、根室本線で活躍した機関車です。
当時小樽築港機関区はC62(乙組)を差し置きC57が甲組でした。
函館本線の急行〔大 雪〕〔アカシア〕〔まりも〕(根室本線に入り富良野まで)をはじめ、釧路までという日本の蒸機史上最長428kmという超ロングランを含む運用でした。
狩勝峠を越える為、ボイラー上ドーム後方に重油タンクを搭載した機関車が多くC57135もその1台で重油タンク撤去後もドーム後方の欠き取りがそのままでした。
(C5757も同じ経緯で重油タンクを撤去していますが、ドームの欠き取り方が違います)
よんさんとおで函館本線が電化され室蘭に転属。
翌年岩見沢に転属。 その後しばらくは小樽築港時代のままの姿で活躍していました。
(全検は無かったのです)
昭和47年5月全検、その時に重油タンク撤去、デフレクタを切詰めました。
その後テンダーを二次型の廃車発生品に振り替えています。
狩勝で活躍していた時代から昭和47年5月全検前までの姿です。
(この製品は一週間後12月21日に発売となります)
本日発売の最終日バージョン(メインロッドに「赤」が入ります)
C57135は昭和47年5月17日全検出場して暫くの間はオリジナルの一次型のテンダーを付けておりました。
いつの間にか板台枠台車を履いた二次型のテンダーに替わっていました。
これは昭和49年5月15日廃車のC57149のテンダーという説が有力だと思います。
テンダーヘッドライトへの電気配管の先、最後のコードの「曲り方」が同じなのだそうです。
その後C57135は平凡な機関車として何事もなく廃車されるはずだったと思われます。
昭和50年10月NHKの番組で山口百恵と加藤芳郎を乗せて走りました。
それからは「百恵ちゃん機関車」「百恵ちゃん」「山口百恵」などと呼ばる様になりました。
‘135’がNHKのディレクターの誕生日に関連する数字なので135が選ばれたという話が伝わっています。
(結構可能性が有る話ですよね)
当初語呂から言って、また所属が苗穂だったためにデフレクタを切詰めずに残って居たC5757が最終列車牽引機として意識されていましたが、この線区での最有名機関車が「百恵ちゃん機関車」C57135になってしまった為135が最終蒸機旅客列車牽引の栄誉に輝いてしまったのです。
そしてそれが現在の“保存”に繋がりました。
C57144、C57135、C5757は保存されました。
結果として山口百恵が1台の蒸機を解体から救ったのかもしれません。
昭和50年12月14日 225レ 『あざやかな場面』より 白老~社台
(このシーンはズームを引きながら撮影していますのでスチルは撮っていません)
12月に入って殆ど運用に就いていないC57135はランボードに白線を入れられた状態で前日の228レDD51の前位を占め、有火で回送されました。
夜、室蘭でヘッドマーク枠を組み、早朝にヘッドマークを組み付けました。
本来D51のスジだった225レは室蘭7:50発岩見沢11:42着(所要3時間52分)で、本来D51牽引のスジという事も有ってか割合遅い列車でした。
それでも「さよなら列車」は途中大幅に遅れました。
『あざやかな場面』より 苫小牧発車 約1時間遅れ
(この時のスチルは‘バケペン’でしっかり撮っていますがRMで使っていただいてから何処へ仕舞ったのか判らず困っています)
客車編成 (たしか全て札ムロ)
① オハフ62 10
② オハ62 119
③ オハ62 105
④ オハフ33 1031
⑤ オハ35 714
⑥ スハ32 836
⑦ スハ32 847
⑧ オハフ62 13
『あざやかな場面』より225レ岩見沢到着寸前。
苫小牧を12:00過ぎに出る特急【北 斗】で札幌へ、13:00発【いしかり】で岩見沢に向かいました。
遅れは拡大するはずだと見た読みは的中し、岩見沢進入、到着、切り離されたC57135が客車を置いて去っていくところまでしっかり撮影できました。
『あざやかな場面』より客車から離れ、引き上げていくC57135。
テンダーだけナンバープレートが赤い事が判ります。
テンダーの赤プレートが現在保存中のC57135のプレート「赤」に引き継がれているのだと思いますが、そのテンダーの赤プレートがいつからなのかは判りません。
10月10日NHKのロケが有った日からかもしれないと考えています。
『あざやかな場面』は国鉄時代Vol.4の付属DVDに入っておりますので今でも手に入ると思います。
「さよならSL」ヘッドマーク取付枠組みは本物は黄色く塗られていたのですが、模型では黒く塗ってしまいました。
思いもよらぬことから翻弄され続けた北のC57。
ひたすら寡黙に疾走した‘駿馬’達はみんなとても可愛いです。