01逢いたや2012

2012-12-29 | 海外蒸機
01逢いたや2012  text&photo;水沼信之

1980年3月、東ドイツザールフェルト近郊、
 冷たい霧雨の中から長いデフレクター、真っ赤な動輪のパシフィック、01型蒸気機関車がいきなり現れた。隣にいた地元のファンが呆然とつぶやいた。
「ドレスデンの動態保存機だ、01型原型機の01 2204だ!なぜ、ここにいるのだ?」
 当時はオイルショックと呼ばれた世界的石油不足で、共産国だった東ドイツでは石油節約のため蒸気機関車を次々と復活させていた。このニュースを聞いて私は観光旅行のヨーロッパ巡りの2日間だけを東ドイツに割り当て、幸運なことに世界で最も有名な蒸気機関車01原型機に出会えたのだ。 01原型機は本当にバランスがとれた美しい機関車だった。 01 2204は特に丁寧に磨かれた状態で、後年見た中国やアメリカのSLより遥かに美しかった。「いつかまた01に逢いたや」という気持ちは年が経つほど強くなり、立派な01中毒になっていた。(RailMagazine2012-4掲載01逢いたや2011より)

 2011年秋には‘アイゼンバーンロマンティック’というSLツアーに参加した。ドイツ南部の国営放送『SWR』の定期放送‘Eisenbahn Romantik’(アイゼンバーンロマンティック)が放映20周年を記念して計画した大周遊旅行だった。ここでぴかぴかの01原型機、バイエルン鉄道博物館所属のの01066号機に出会った。しかし、わずか数分の出発シーンを撮っただけだった。 却って中毒は悪化した。
 それから9ヶ月が過ぎ、Eisenbahn Romantikは2011年末に放映された。 なんと名誉なことか、私は2回出演していた。 律儀なことにキャスターのオルトロフさんはDVDを送ってくれた。 御礼に記事を書いたRailMagazineを送ると今度はSWRのホームページにRailMagazine2012-4の表紙をでかでかと載せてくれた。

アイゼンバーンロマンティックのサイト;
http://www.swr.de/eisenbahn-romantik

 ネルトリンゲン訪問

 2012年春再び、ドイツで医学会議が開催されることになった。
 幸い一日だけ余裕がある。
 東十条の会でおなじみ井門さんがデトレフ氏にメイルを入れてくれた。
 幸運なことに出発の前日デトレフ氏よりメイルが帰ってきた。 今度の日曜日は博物館開放日で、もしかしたら博物館にいるとのことだった。 メイルには携帯の番号も書かれてあった。
 飛行機は早朝にフランクフルト国際航空に着いた。 時間があるのでフランクフルト中央駅へ行き、切符売り場で尋ねると2回乗り換えで列車でネルトリンゲンに行き着けるらしい。
 そのまま一番早い急行列車(IC)に乗った。 食堂車の中でデトレフ氏に電話をすると運良く彼が電話にでた。
「今どこだい?シュツットガルト?なら次はウルムだよ、駅をおりたら改札で待っているから。」
 待ち合わせの場所へ行くと長身でメルクリンのTシャツを着た男性が手を振っていた。 彼がデトレフ・メゴウ氏、このウルムに住んでいて、ダイムラーベンツ社に勤務しているそうだ。
 愛車も黒のベンツのオープンカーだ。 車は幌を開けたままアウトバーンを飛ばす!飛ばす! 渋滞を避け下の道を走る! バイエルンの農村風景は美しい。



(1)ヘルズフェルド博物鉄道


Mr. Detlev Megow デトレフ・メゴウ氏と(社員割引で購入したと聞く)愛車

 小さな町が現れた。外れに駅があり煙が上がっている。 メーターゲージナローの線路が現れた。 かわいいSLとレイルバスがいる。







 ここがヘルズフェルド博物鉄道Die Härtsfeld-Museumsbahnだった。

 運転台の載せていただき、機関車がバックで給水場へ向かうのを撮影した。 一度は廃線になったが、ボランティアを中心に復活させているらしい。

ヘルズフェルド博物鉄道のサイト:
http://www.hmb-ev.de

(2)バイエルン鉄道博物館

 車は再びアウトバーンへ乗り、1時間ほどでネルトリンゲンへ着いた。 ネルトリンゲンはロマンティック街道沿いの小さな美しい町だ。
 駅はローカル線の小さな駅で駅の裏に目立たない感じで博物館の入り口があった。 ターンテーブルを中心に長方形の大きな機関庫があり、中へ入るとずらりと機関車が並んでいた。



 鉄道博物館というより有名モデラーのHO巨大レイアウトにお邪魔したようだ。 所狭しと機関車が並べられている。 機関庫も長方形だ。 古典機Fussenを初め、無火機関車や有名なS3/6型;バイエルンの女王と呼ばれる緑色に塗られた3673号機やドイツ制式機関車がずらりと並ぶ。 44、50、52は数台ずつ並んでいる。 しかし展示というより集めて保存しているという感じでぎっしり機関車が詰まっている。 引きがとれず写真にならない。 01はなんと3台保存されている。

















 昨年のアイゼンバーンロマンティックツアーで逢った01 066が客車に挟まれて待機線に置いてあった。 ボイラーを破損して居り修理中とのことだった。 かなり予算がかかるらしく今年は動く見込みがないらしい。 ナンバープレートは去年は東ドイツ末期の表記[01 2066-7]だったが、今はオリジナルの[01 066]になっている。 東ドイツ時代とオリジナルの違いだ。 気分によって付け替えるらしい。 ほとんど1/1のライブスティームの乗りでいじっている。






01066の第2動輪右側(公式サイド)

日本の大径スポークもこの様に作られていればと思います・・・C55を見る度に動輪を見てがっかりします(井門)



これは砲金製プレートです。 東独時代の[01 2066-7]はステンレス製です(井門)

 博物館の隅にほとんどスクラップ状態の01が居た。 [01 066]もこの状態から作り直したらしい。 にわかに信じがたいが記念撮影した。





 3台めは[01 180]で旧西ドイツに居た原型機だ。
 

01180





 最近スイスのマニアから購入したらしい。 SL時代の末期にスイスの富豪が自分の愛息の誕生日にプレゼントしたものだという。 以来何十年もスイスで良い状態に保存されていたらしい。 この機関車も動態に向け修繕中らしい。

 この博物館は電気機関車も保存してあり、有名なTEE牽引機103型をはじめ古典電機も結構居る。


103


194 ドイツのクロコダイル


塗装中の動輪


44 1524

 彼は貨物用機関車44型の担当で今日はメインテナンスの予定とのことだった。 少し雲もでてきて居りここで撮影は諦めドイツのナッパ服に着替えて彼の修理を手伝うことにした。 この44にはチームがありデトレフ氏はドライバーで助士もいるらしい。 修理も昔ながらの方法で直す決まりらしい。 私は古いドライバーとネジを渡された。 ランボード上の四角いパーツを銀色から黄色のものに換える作業だった。 キャブに乗ってみるとかなり高い。 ちょっと怖いがランボードを渡り取り替え作業に入る。 ネジは数十年経過しているのだろうか、すでに錆びて全く動かないものもある。





この黄色い中継ボックスは東独仕様への「コスプレ」かもしれません(井門)

 しばらく作業に集中しているとドイツのファンがやってきて不思議そうにこちらを見ている。 変な東洋人だとでも思っているんだろうと見返すとなんとアイゼンバーンロマンティックで同席したゲルハルト シュバルツ(Gerhard Schwarz)氏だった。 偶然の邂逅に驚き合う。 しかしドイツのテツ世界もかなり狭いのかもしれない。 44の前で記念写真を撮る。 本年のアイゼンバーンロマンティックツアーはオーストリアだそうだ。


Mr.Gerhard Schwarz


44 2546

 もう1台の44(44 2546)をライト点灯テストし作業を終了とする。
 日も暮れて、作業を終え、ウルムへ引き返した。 川沿いのレストランでソーセージとビールで楽しむ。 彼も車好きなので日独のスポーツカーの話になった。 私が911の空冷サウンドをいうと、デトレフ氏は指を上げ「次のツアーは3気筒44の重連でアルプスを駆け上るのさ、何万馬力のサウンドショーさ、ノブははまるぜ!」と大笑いした。
 デトレフ氏はウルム中央駅へ送ってくれた。 ICEを待っていると、デトレフ氏に電話。 なんと今からくるICEの運転士は“チーム44”のメンバーらしい。
 にわかには信じがたかったがホームにICEが到着すると、運転席の窓が開いて運転士がデトレフ氏と親しく話しだした。



 日本でいえば、名古屋駅に着いたのぞみの運転士席から運転士が話し始めて、その運転士は休日は大井川でC11の運転をしているようなものか?どうも日本とは蒸気機関車運転に対する敷居の高さが違いすぎる。
 列車は音もなくウルム駅を出発していった。

バイエルン鉄道博物館のサイト;
http://www.bayerisches-eisenbahnmuseum.de/