IMONカプラーに交換しましたが、両機のテンダー後面を比較してこれ程違うのか!と感慨も新たです。
C55一次型C558 1935-02-09 日立製作所笠戸工場 製造番号620
C55三次型C5541 1937-02-?? 川崎重工兵庫工場 製造番号1754
この時代、標識灯は赤ではなく白
(電球色)です。
C558はC551
(1935-03-29 川崎重工兵庫工場 製造番号1538)より落成が早く、最も早く落成したC55と思われます。
レールマガジン300号付録「機関車表
(沖田祐作)では「配置;;梅小路→ 広島局→1942-00-00 鹿児島→1945-04-01 現在;大分」と書かれています。
「;;」と2つ;が書かれているのは書きかけで、書きかけを気付かずに上げてしまったものと推測致します。
プレスアイゼンバーン「ライカ鉄道写真全集Ⅱ」
(西尾克三郎)P106に1935-12-23宮原機関庫にて撮影の宮原区名板が鮮明に写った
(公式側=機関士席側)写真が載っています。
おそらく新鋭C55が名門宮原に新製配置間違いないと思います。
日立製作所ではC55を2両受注しているらしく、5日後にC559が落成しています。
C559も新製配置先が不明ですが1938年9月宮原機関庫で撮影された非公式側写真が機関車の系譜図
(臼井茂信)に載っており、おそらくC559も新製配置先は宮原だったと想像されます。
(日立製作所では一次型は残り1両1935-12-27落成のC5519=一次型ラストナンバーを受注しています)
5日違いで落成したC558、C559の兄弟2両は写真で調べてみると配管の取り回しなどが同じだったと想像されます。
それに対して1935年2月汽車会社製のC557は配管の取り回しが大きく違います。
蒸汽機関車は後年、地域性の強く現われた“改造”や後付機器が工場毎に違う位置に取り付けられたせいで個性的になったと思われてきましたが、実は最初から製造所毎に、ロット毎に極めて個性的で、特定ナンバーにせざるを得ないのです。
そして、特定ナンバーにすることによって「楽になる面がある」という事も末期のカマを模型化するのと同じです。
C55原形を模型化するのにC558を選んだのは
“最初の落成機だったこと”
と
“左右両側の写真が不充分とは言え揃って居たロットだった事”
が理由です。
C558はC55一次“前期”型というべき形態で、複式コンプレッサー取付位置が高いです。
“前期”型は川崎製C5510、C5511
(1935-04-30落成)までです。
“後期”型は同じ川崎製のC5512
(1935-09-14落成)~18からです。
9両続けて川崎重工兵庫工場で受注して居り、川重と国鉄
(当時は鐵道省)の両者間で軽いモデルチェンジを考え、その内容を他のメーカーにも踏襲させたのだと思います。
美しい姿のC55原形。
C55から国鉄近代形蒸機になりましたが、最初から高い完成度の形態だったと感じています。
空気作用管はボイラーケーシングの中を通っています。
そんな「丁寧な造り」は製造後暫くの間だけです。
国鉄で工場入りすると外観より「整備性」を良くするため直ぐに露出させてしまいます。
この時に空気作用管をハンドレールの上を通すか下を通すかで大きな外観の差になります。
C5541
(三次型トップナンバー)をC558同様に撮影するため、同様にドローバーの機炭間を詰めた位置に連結したら「渡り板」がつっかえてしまい直線上で立つことも出来ません。
実物のC55は国鉄近代形蒸機の嚆矢で、少しずつの製造でどんどんマイナーチェンジを繰り返しています。
流線型として製造された二次型から全軸距を240mm縮小して地方に残る60ft形
(直径18m)転車台が使えるようにしました。
全軸距を縮小したのは機関車部分の台枠後部を縮小した事と後側テンダー台車を少し前にずらした事によります。
流線型をやめた三次型では台枠後部縮小分はキャブが小さくなった
(機関車を大きく見せる為にキャブを小さく作る流行を取り入れた)事が外観上一次型と違います。
一次型とホイールベースが変わった二次型&三次型を「作り変え」をしている事は評価できますが、上回り、下回りともに変化したのが「実物」ですから、それがどうしてこんな不具合に繋がったのか不思議です。
そして、私とスタッフが「完成チェック」に韓国に行っているのですが、こんなに大きな不具合を見落としてしまっていたことに衝撃を受けました。
お買い上げ頂いたお客様に深くお詫び致します。
まずはC558の写真と近いうちに外観チェックをさせてください。
小さくなったキャブ、低くなった複式コンプレッサー取付位置、後側テンダー台車が僅かに前に出てきています。
テンダーは12-17形
(石炭12t水17t)としては「完成度の高い」ものになり、多数量産されたC57一次型も同一のものを使って居ます。
気が付かれたかも知れませんが、機炭間を離す位置の穴にドローバーピンを差し込んでいますので少し機炭間が開いています。
ピンの位置を変えます。
1mm~1.5mm外に持って来られれば完璧
(一次型の状態)ですが2mmのネジ穴をもう一つその位置で開けるのは絶対不可能です。
そこで、ドローバーの外側の穴だけを使う事にして内側に2mmずらしてネジ穴を作る事にします。
0.7mmのドリルで穴を開け、その位置で1.5mmの穴に広げ、最後に2.0mmのタップを立てます。
0.7mmは気が抜けていても折る心配がない太さと正確な位置を確認しながら穴が開けられる太さだからです。 いきなり1.5mmのドリルをしたら必ず位置が狂います。
ところでこのテンダーはC5552のテンダーです。
ボルスターは前側が凹形、後側が凸形になっています。
絶対に3点支持にするためにしているようです。 前側が平らでも良さそうですが「絶対3点支持」の為ならコストを犠牲にする哲学が感じられます。
2mmずらしてタップ切ってドローバーピンをねじ込んでしまいました。
ボルスター先端部は黒染研きを掛けました。
さて、センターピンに組み込まれているスプリングがへたり気味なので私のスプリングボックス
(スプリングボクス・・・世界最強のひとつ南アのラグビーナショナルチーム・・・に似ていて素敵!)から代わりに適したスプリングを選ります。
これがスプリングボックスです。 常に使われている道具ですからきちんと綺麗に整理なんかしていません。
ついでに段付きビスボックスから色々引っ張り出してデジタルノギスで測ってみます。
2mmの穴、2.5mmの穴、3mmの穴、3.5mmの穴用まで色々あるようです。
しかし2.56mmの段付きは何を目的にしているのか判りません。
穴はぴったりの寸法、使う段付きビスは少し小さくして動けるようにするもののようです。
さてC5552はこんな仕上がりでした。
機炭間位置が2つ選べると言っても実際には使える位置は1つだと思います。
渡り板後端左右が斜めにカットされて居るのは私の指示です。
実物に比べて極端にカーブが急な「模型」ではこの様な実用的な「作り変え」は必要だと思います。 フランジが実物より高いのと同じ事です。
残念ながら つづく