福島のお酒

2011-04-25 | 喰いだおれ
飲みました

非鉄です

銀座です


福島のお酒

いただくのは出来る限り東北のお酒、東北の食べ物といきたいところです。


とっても美味しかったです。


いつもありがとうございます。


あれっ・・・おかわりでしょうか・・・


こんなお店です。




たちあがろう東北~磐西燃料輸送~続

2011-04-23 | 今鉄

雲が低い重苦しい天気の中、この辺りを散策します。


川桁駅に通じる道です。


川桁駅です。 駅前には駅に比して余りに立派な沼尻軽便鉄道記念碑が建っています。


沼尻軽便鉄道記念碑にはコッペルと思わしき蒸汽機関車が見えます。

それにしても決して「磐梯急行電鉄」記念碑ではないんですね。


沼尻のコッペル現役;沼尻のコッペルは2005年にIMONで製品化しているのです。


猪苗代~翁島

返空列車です。 足場を見つけられず猪苗代湖をバックにしては撮れませんでした。


後追いです。 1200tの電機牽引列車を2分割して600tとして重連でぎりぎりですからDD51の非力が際立って感じてしまいます。

DLの場合、無理すると機関トラブルになるので蒸機のような無理かな?という使い方が出来ないこともハンデとなっています。


東長原~広田


DD51852 [門]
1972-08-29 三菱重工業三原工場で落成 新製配置;厚狭機関区
1987-04-01 JR貨物に移行(幡生機関区厚狭派出所 現在;門司機関区所属)
  

DD51759 [吹]
1972-02-20 三菱重工業三原工場で落成製造 新製配置;熊本
1980-11-17 東新潟機関区 (現在;吹田機関区)
このカマも先月城東貨物線で撮ったばかりです。


天気予報が雨模様だったのでこの日は「鉄」は少なかったのですが、平日も含めて燃料輸送列車運転期間中は通常の〔ばんえつ物語〕号の数倍、数十倍のファンが押しかけました。

本気モードの「現役」だったこと

各地から駆り集められたDLが所属表記もそのままに使われたこと

がこの大フィーバーに繋がったのではないでしょうか。




広田~会津若松


HDW-750出撃中! 今回、本命はビデオです。

荷物の重量も神経の使い方も「私の92%」はビデオです。

足場もビデオ中心、DD51の力行音を録りたかったので比較的線路に近い位置中心です。




会津若松~堂島 機関車も貨車も会津若松で向きが変わってDD51759が先頭に出てきました。


「がんばれ東北」のスローガンを掲げた三重ナンバーのドイツフォード。

東日本大震災 巡回訪問診療と書かれています。

会津地方には多くの被災難民が来ています。

http://www.minyu-net.com/news/topic/0314/topic4.html


姫路ナンバー 高砂消防署の消防車が磐越道を行きます。

磐越道を西会津で下りて野沢のスーパー「リオンドール」(別名ライオン堂)に立ち寄りました。
首都圏のスーパーと比べて物資は驚くほど豊富で、買い物制限も緩いです。 中でも納豆は無制限で、地元野沢産の納豆を3パックと馬刺しをお土産に買いました。 荷物が大きく重いのでそれ以上は買えませんでした。


野沢~上野尻


鹿瀬~津川


親子鉄いいですね! 津川駅で30分ほど停車しますので機関車の近くへ行ってみます。




ぴかぴかのタキ1000




800番台 貨物用にSG非搭載で死重を積んだDD51852


500番台 旅客用全重連型、SGがキャブの中を埋め尽くしているDD51759


最終日だからヘッドマーク付という噂があったのですが、此処でようやくヘッドマークが登場しました。


NHKの要請で乗務員が造り、初日の会津若松→新潟ターミナル間だけ掲げられたという話を聞いています。


‘鉄ちゃん’登場


馬下~猿和田 馬下発新津行2239D


西に行くにしたがって天候は回復しつつありますが「ギラリ」はこの程度です。


天候が思わしくないので皆様はこちら(前向き側;後追いではなく)を狙っています。


しずしずとやってきました。


よい具合に光りました。 私のビデオカメラは最初からこちらを向いて居ました。


予定より佳かった後追い! 皆で得をしました。


高圧線鉄塔マニア向けの写真。

わざわざ車を止めて降りて撮影しています。 日本中にはびこる高圧線鉄塔、好きな人も居るんです。


思いがけないことに追いついてきてしまいました。

スジの角度は〔ばん物〕とほぼ同じです。 速度が遅い代わりに殆ど停車がありません。


もう少しで併走ですが機関車までは届きませんでした。


踏み切りで万事休す。


信越本線さつき野~荻川 追いついたように見えて殆ど追いついていません。 あと1秒あれば! いや2秒かな。






長岡発新潟行 451M  コンデジです。


新潟発津川行 2240D


新潟駅近くのガソリンスタンド、看板が消灯してありますので見つけるのが大変でした。

今日は仕事で東京に行っていた新潟在住の友人に連れられて一杯やって帰ります。


わっぱ煮です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%B1%E7%85%AE


新潟駅の忠犬タマ公像


偉い犬ですね。 「公」が付くので辛うじて犬の名前になっています?


【Maxとき352号】で帰りました。







たちあがろう東北~磐西燃料輸送~

2011-04-22 | 今鉄
根岸精油所から郡山へ磐越西線経由の燃料輸送最終日が4月16日でした。

DD51の全力運転「実見しなければ話にならない」と撮影に行ってきました。


東京駅6:08発【とき301号】で出発です。 結構200系が活躍しています。

朝一の新潟行きに乗ると10年少々前、通ったハルピンを思い出して感無量です。


早起きのご褒美にバナナダイエットはお休み。 東京の駅弁としては出色の出来「深川めし」をいただきます。


この早朝に売られている駅弁、調理は深夜0時なんですね。


割合軽めなので朝御飯にはぴったりです。 美味しくいただきました。


一瞬の併走。 越後滝谷~宮内間を行く上越線1723M。


大宮で乗車して長岡で下車したバトミントン部。

新潟からは駅レンタカーです。


上野尻~野沢 いかにも「磐越西線で撮りました」という写真を撮っておきます。


DD51832 [愛] 名古屋からの応援ガマです。
1971-01-12 日立製作所水戸工場で落成 新製配置;吹田第一機関区(大阪) 
1987-04-01 JR貨物に移行
1988-03-11 稲沢機関区に転属
1994-05-02 稲沢機関区が愛知機関区に改称、現配置;愛知機関区


DD511188 [吹] 大阪からの応援ガマです。
先月城東貨物線で撮影したばかりです。 3月12日の電化で仕事を失っていました。
1977-07-15 日立製作所水戸工場で落成 新製配置;福知山
1987-04-01 JR西日本に移行
1990-03-23 米子運転所
1997-03-08 米子運転所が後藤総合車両所に改称
2007-10-18 JR貨物に譲渡、配置;愛知機関区 現配置は吹田機関区


山都~喜多方

この日の天気予報は「朝のうち晴れ間もあるが曇り時々雨」でした。
DD51がエンジンを吹かす姿が目的ですから回数よりも「山都の奥」を選びました。

燃料輸送列車は会津若松駅で方向を変えなくてはなりません。

重連の機関車はそのまま列車の反対側に連結され、今度はDD511188が先頭の重連総括制御で郡山へ向かいます。

会津若松で約1時間停車します。

目的とも言える磐梯町周辺の上り勾配区間至近に道の駅「ばんだい」がありますので其処で昼食にします。


食堂の見本です。


こんな店です。 昼食中にぱらぱらと雨が落ちて来ました。 風も強くなってきました。


手前が「喜多方ラーメン&半カレー」¥900
奥が「喜多方ラーメン&半ソースカツ丼」¥1000です。 「半」じゃないところが嬉しいじゃないですか!


磐梯町~翁島

この区間で初日列車が登れなくなり、DE10が1両応援に加わって登りきりました。

二往復ある燃料輸送列車のうち、夜明けの下り1番列車(積車;600t牽引)はDE10を最後尾に付けることが多いようです。

時折襲う「雨」と激しい「風」の中やってきましたが、常紋のように軽々ではないものの、やはりDLはあまり迫力はありませんでした。

やはり【北斗星】の方が凄いかもしれません。


磐梯町~翁島 二回目


サミットを越えたのでスピードがどんどん乗ってきます。


関戸~猪苗代湖畔


猪苗代湖畔駅近くの猪苗代湖湖畔に行ってみました。 手前は松ぼっくりです。

燃料輸送列車は郡山に向かって坂を下り、上り一番列車と磐梯熱海で交換します。 「撮影」も我々も折り返し地点です。


会津若松方向を見ます。

雲は低く、時折雨がぱらつきます。 天気予報が悪いことから「最終日」と噂された今日の〔たちあがろう東北〕号撮影を諦めた方が多いと想像します。


反対側です。

風が強いことが判ると思います。


レンタカー‘マツダ・デミオ’です。


引き上げられたボートがよい味を出しています。

キャプテン以外は首がなくなっています。



続へつづく




ラグビー成城学園B戦

2011-04-20 | ラグビー
中等科のラグビー春季都大会が始まりました。

(高等科ラグビー部は練習での怪我人が多いせいで春季大会は棄権しました)

ところで
ハードディスク&DVDレコーダーの寿命が尽きた様で、DVDレコーダー部分が使用不能となりました。
この機会に同じく「使い倒し」寸前だったDV(デジタルビデオ)カメラの使用をやめ、ハイビジョン化をすることにしました。
どちらも普通では考えられないたくさんの仕事をこなしてきました。 よく保ったと思います。

ハイビジョンムービーを家庭では使っていたのですが、明るい屋外、動きの激しいラグビーの撮影で「液晶のみ、ファインダー無し」では非常に難しかったです。

動画撮影が余りにも困難で、そちらに神経集中しすぎてスチル撮影がお粗末になってしまいました。

佳い点は「動画撮影中にシャッターボタンを押しての撮影」でも革命的に綺麗なスチル撮影が出来る事です。

撮った写真のほとんどをUPいたします。


相手は成城学園Bチーム、グラウンドは成城学園グラウンドです。

中学ラグビーは20分ハーフです。
最初の10分は一進一退互角の展開でしたが、成城学園Bが左隅にトライしてからは続けて3つトライを奪われ、前半で4トライを献上しました。

学習院 0-22 成城学園B


ハーフタイム

前半良かった事は、途中敵フォワードにオーバーされ失い続けたボールを低い姿勢で押すことによって対抗できるようになったこと。

そして一回モールで20mも押して前進することが出来たことです。

ただ、少し「オカシイな」と思ったのはそのモールが前進している途中なのにレフェリーから「Use it!」と声が掛かり(モールの前進が止まった時、ボールを出して展開しなくてはなりません。その判断をしたよという合図です。普通は停止2回目で声が掛かります)ボールを出さなかった為に相手ボールのスクラムにされてしまったことです。

中学ラグビーの場合、対戦相手に体格差がある場合も有るのでモールに対するルール適用が違うのかもしれませんが、4年間で初めて感じた明らかに敵寄りのレフェリングでした。

昨シーズンのラグビー大学選手権に於ける帝京大学の対慶應、対早稲田戦のスクラムでの「アーリープッシュ」の反則を取らない平林主審の不可解な笛を上回る不可解さでした。
(この笛だったら早稲田と明治の歴史的対戦成績数字が大きく変わっていることは確実です)

もっとも大学選手権に於ける平林主審がその後「埋め合わせ」的な笛を吹いたのと同様、この試合でもオフサイドに対してはやや甘い判定をしていた感じです。

中学ラグビーは「試合」であると同時に選手にラグビーを経験させる事「勉強」である要素が大きく、秋の終盤は「勝負」も大切にするとはいえ、通常は劣勢なチームが「切れない」様に笛を吹く事が重要であると感じています。

このときの審判の笛は有利に展開中のチームが優勢なチームで一方的にずるずる押されているチームが劣勢なチームという錯覚を起こして「逆ひいき」の笛を吹いてしまったミスかもしれません。

それにしてもモールを押し続けることが出来たのに間違った笛を吹かれてわれわれのチームの正常な発展が阻害されたとすると大きな問題です。




さて、後半、早々にまた1トライを献上してしまいました。


去年から我々の切り札であった快速ウィングがスワーブを決めて外に勝負を掛けます。

味方バックスも必死にフォローしようとしています。


敵は外のスペースをきっちり塞いでいますのでやむなく内側へステップを切ります。


捕まります。

成城学園はBチームといえども鍛えられ方が半端ではないと感じました。

FWのボール獲得、球に絡む事とその後の腕力、体の使い方、バックスのディフェンス力、躊躇なく走り切る「思い切りのよい」バックスの攻撃、そしてパスも確実、どこをとってもすばらしい鍛えられ方です。

(この試合の後Aチームが早実と戦っていましたが、明らかに一枚上手です。中学ラグビーに於ける成城学園はみるみる強くなってきています)


スクラムになります。


展開して捕まりモールになります。


味方バックスが抜けるも、また捕まります。


モールになります。


成城Bオフサイド、レフェリーは成城には辛い。


突破を図る高さと足のある5番。


突破を図るウェイトのある4番。


3~4人がかりで止められます。 味方フォローが遅い!


こうなっては球を奪われます。


ヤーボー! (敵ボール!)


止めました。


敵ボールのモール。


敵ボールのモール。


味方FWが突進、されど味方のフォローが薄く周りは敵ばかりです。


当然ボールを奪われ攻守ところを変えます。


味方の「返り」がやや遅いです。 防御展開は明らかに敵に分がある。


敵ボールスクラムから球が出ました。


敵モール攻撃。


万事休す。

これまた10分ほどの互角の戦いが敵陣で展開されましたがどうしてもゴールを割れませんでした。


ゴール成功・・・

学習院 0-36成城学園B


中央部でまた敵ボールモール攻撃。


敵ボール。


互角のボール。


また一本とられました。

学習院 0-43成城学園B


味方突進、また3人がかりの防御。


なかなか抜かせません。


また突進!


無念!


試合終了です。


タッチを交わしながらすれ違います。


自軍ベンチ前で拍手を受けます。


反省するべき点について。


成城学園Bチームは体格の小さい子ばかりでした(Aチームは大きいんです)が、鍛えられ方はすばらしいかったと思います。

正直、チームとして力の差がありました。
しかし、1本取ることによって気持ちが変わり、チームとして未完成でも個々の能力でもう少し善戦できたはずです。

コーチから指摘されていたのは「練習時の(チームとして働きかける)意識」です、そして「ボールを大切に繋ぐ事」。

今年のチームはまだ1勝も出来ていません。 5連敗です。

成城学園Bチームは7ヶ月前、51-0と寄せ付けなかった相手です。
その当時の我々自慢のタレントを含めたメンバーが残っているのに完敗し、新チームの危機感は強いです。


成城学園→登戸→川崎→川崎球場へアメリカンフットボールを見に行きました。

親戚が出ています。

慶應義塾「ユニコーンズ」です。 専修大学に50-0で勝ちました。


「おまけ」に「怖い写真」があります。

三男はタックルを受けて後頭部から地面に激突し、以来頭がくらくらすると言うのでMRIを撮りました。

異常は無くほっとしています。

(更に幸いな事に渋谷区民は中学生まで医療費は掛かりません)

脳の断面写真を撮るというのはなかなか怖いです。 頭の中身を見られるようで・・・・

写真に添付された所見に有ったのは

「年齢相応」

という事でした。  →私は怖くて撮れませんね・・・(笑)




EF58カプラー交換

2011-04-14 | 鉄道模型

主にHO1067機関車群が入ったワードローブです。

余震で扉が開いて「再落下させない」対策です。

βマチックのテープ・・・もうあまり使う事もないだろうという事で・・・差し込んでおくとこれ以上は開きません。

早く余震が終わってくれればよいのですが。



さて、北海道蒸機群が地下に置いたままにしてあった理由は、それらが抜けた状態のうちにIMONカプラーへの交換や「架線注意」貼りをやってしまおう!

作業が終わってから合流させよう!   という魂胆なのです。

EF58もIMONカプラー化を企みました。


PEMP(プレスアイゼンバーンモデルプロダクツ)のEF58です。

元箱のラベルが内箱側面に貼ってあります。

ウレタンを使った巨大な箱を処分、体積で1/5のIMONの青箱に移しました。

屋根を車体色(青15号)ではなく黒に塗り分けるのは昭和50年前後以降の大宮工場で検査が行われた証です。


屋根が黒同志、比較しながら一緒に作業していこうと思います。

EF58173(高崎第二機関区所属、受持工場;大宮、PEMPブランド、製造;フクシマ模型製作所)

EF5835(長岡機関区、受持工場;大宮、IMONブランド、製造;フクシマ模型製作所)


カプラーは当然ケーディー#711が付いていますが、鉄製のヒゲを巧妙に曲げて取り付けられています。

この曲げ具合が人によっては「萌え」かもしれません。

相手のカプラー(少し前までは絶対ケーディー#711しか無かった)にヒゲが付いていたら(←ケーディーならニッパーなどで切り落とさない限りヒゲは絶対付いています)ヒゲがスノープラウに当たってしまって前に進めず、相手のカプラーに届きません。

ヒゲを許さない構造ならマグネマチックカプラーが取り付けられている意味は有りません。

私は「ヒゲ曲げケーディー」に「萌え」ないので、真っ先にIMONカプラーに交換!します。


EF58173のお面はフクシマの「深絞り」です。

この頃はおでこの曲面処理に「日立タイプ」と「東芝タイプ」という両極端が有った事がまだ判って居なかった時代ですから「どっちつかず」の「深絞り」になっています。

そしてその深絞り型は20年の歳月の間に失われてしまいました。

EF5835のお面はIMONが作ってフクシマに供給した「東芝タイプ」の深絞りです。



東芝も日立も共通の国鉄の図面通りに作ったのです。

国鉄は側面図で屋根頂部(=車体の中心線)の寸法を示しました。

日立は、それに従いつつ車体の肩は前後両端まで同じ高サで行きました。

東芝は、それに従いつつ車体の肩も屋根頂部と同じように車体両端で下げたのです。 

それ故おでこの傾斜部分は、日立では三角形をしています。

東芝は中心線で線対称になった平行四辺形2つになっているのです。

汽車/東洋や、三菱や日車、川車など、他のメーカーもそれぞれの解釈で作っていますが日立か東芝のどちらかに近いです。

(何故日立と東芝が全然違う屋根形状解釈の各々の代表選手に指名されているか? → ゴハチに於いてはこの「2社」だけが選ばれてロイヤルエンジン指定機を1両ずつ造ったからです)


そうは言っても露骨に形状を変えたわけではないので並べて見てもどちらもゴハチです。


左はIMON、右はPEMPです。

ダイキャスト製の台車枠や可動軸受は同一ですが、後から作ったIMONは拘って台車枠の位置を中心寄りに1mm寄せる(ですから全体で2mm狭い)工夫を凝らしています。

どちらもダイキャストのギヤボックスですが、「独立」ですからIMONギヤに歩があります。

加えてIMONはダミーモーターを表現しています。

(この辺りが20年の進歩ですね)

PEMPの車輪は真鍮+ニッケルメッキ(白車輪)です。 それを中古で買った私がいさみや常温黒染液で黒く染めてあります。
結構走らせているのでレール接触面が白く剥げてきています。

元の製品は実物換算70km/h程度しか出ません。
それを2条ウォームギヤに載せ替えてあります(140km/hではなくトルクが半分になって120km/hという感じになります)

IMONの車輪は洋白+黒ニッケルメッキ(黒車輪)で、速度問題を解決したPEMPゴハチと速度はほぼ同じです。


IMONの動力機構

シンプル故にウェイトを楽々搭載できて格段に重くなりました。

工夫に工夫を重ねたEF65より牽引力は「少し上」です。 (結構ショックでした)

ヘビーウェイト20系15連を牽いて原宿の勾配線をギリギリ上がれます。 (EF65よりちょっと楽に)

完全にひとまわり大きな(そして重い)16番のEF58の1.6倍~1.8倍の牽引力が有ります。

相手が韓国製なら倍かもしれません。

テストして計測結果が出ても信じられないと思います。

シリコンチューブを使って居り、それにドラッグが掛けてあるので一番ウェイトが乗らない第三第四動輪が生きているから強いのです。

(他にも色々秘密があります)

16番のEF58は6軸駆動ですが「実質ED」である他の電機・DLと同程度の牽引力です。
(実質EDでもEF81,EF61にはちょっと負けてしまいます)


このEF58以降構造に拘ったあのEF65も「もっと強力に出来たかな」と思い始めました。

ギヤボックスタワーに直接縣架したIMONコアレスモーター2個で「6軸を動かす」のです。

台車のホイールベースが大きく、台車同志が接近しているEF65ならではの駆動方法です。

かつてEF65が牽引するブルトレは、有楽町で音を聞くと

デンデデンデデンデ!タタン!  タタンタタン! とジョイント音が聞こえました。

EF66になると

デン!デン!デン!デン!デン!デン!タタン!  タタンタタン! と来ます。

EF65と66は台車のホイールベースはF級「最大」で「同じ」だったかと思います。
全長がうんと短いロクゴーは台車間がうんと短いのです。

話が逸れてしまってすみません。


PEMPのEF58です。 ギヤボックスタワーを片側2つ、合計4つ使って居ます。

ギヤボックスタワーが4つということは、交換用ウォームギヤが1両で4つ必要という事です。


ウェイトを積むスペースが限られています。 車体内側のウェイトに頼ることになります。


ふたつのタワーはトルク伝達の必要から泣き別れにならないようにタガを嵌めてあります。


左;上から、右;下から見た姿です。 どのビスで留められているのか判らない感じです。


上のビスで捕まえていました。

しかし、固定はせず前後左右にガタがあるのを許す構造です。


この部分の構造は思った通りPEMPもIMONも共通でした。


IMONカプラーに交換完了! 左PEMP、右IMONです。

つかみ棒が違いますね。

PEMPはロスト製なのであまり細くできないし「しゃっきっ」とはしません。

IMONのは乗工社が蒸機用に発見・確保した挽物屋さんの「挽物」です。
細く、シャープで、これはちゃんとゴハチのつかみ棒の形をしてます。


IMONカプラーなので安心して重量列車を牽いて勾配線に行けます。


線路幅が先台車の幅を決め、それがつかみ棒の間隔に影響せざるを得ません。

ですからゲージの広い16番とNゲージの場合各社色々工夫していると思いますが、ゴハチに相応しい「小顔」には出来ないんじゃないでしょうか。