一人で勝手に思い違いをして一喜一憂しているイモンです。
昨夜はIMONセキ3000インレタが無いとどれも一歩も進めない感じがして最近買ったドイツ型に目が行ってしまったのですが、勘違いだったことが判明して「セキ」に戻ったものの、やはりしばらくお預けになる激しい1日でした。
初めて買ったBRAWA(ブラバ)の模型です。
違った!昔45年も前、BRAWAのトロリーバスの模型を買っていました。
多分家のどこかから出てくるはずです。
鉄道模型は初めて買いました。
驚くべき細密さに呆然です。
なぜこの客車を買ったか?
1996年5月バイエルン鉄道博物館に招待されてS3/6+0!-066の重連ドイツ一周ツアーに参加した時、14両編成の客車の中にこの形のクラシック客車があったのです。
特徴は2等室デッキのドアが2連になっていることです。
床下器具も驚くべき細密さです。
しかし、左右のコックを結ぶ真鍮線が一つ飛んでしまいその修繕に酷い目に遭います。(そんな些細なことは省略で写真も撮っていません)
なぜこの客車を触っているか?
それは、車体内部でウェイトが暴れているからです。
最近の模型は、わざわざ分解して最深部にあるウェイトを床板にゴム系接着剤で固定してやらないとダメなものがほとんどです。
床板は外れません。 したがって屋根から、上から攻めていくことになります。
室内装置を上に引き抜くと暴れるウェイトが現れました。
取り外した室内装置です。
およそこの世のものではないほど弱く細く華奢な作りです。
残念ながらそれを生かすほどの注意深さで組み立てられてはいないので全車ともどこかが曲がっています。
この車体の内装も網棚の脚が一本折れて失われました。
私が真っ直ぐにしようとしたためです。 折れた脚は「鼻毛のサイズ」で一瞬で失われ見つかりません。 片脚ですが真っ過ぐに近づきました。
一本脚でも強度は50歩100歩です。
そして手前に2両現れたのは流線型蒸機と同時代と想像される客車です。
リリプットの製品です。
リリプットはオーストリアの高級プラスチックメーカーでしたが何十年か前にバックマンに買収されました。
この客車が欲しかったのはやはり1996年のBEM特別列車に混ざっていたからです。
我家は機関車のカプラーはRocoに交換していますので、次位指定で郵便車のカプラーだけRocoに交換しました。
今後はドイツの模型屋の在庫を漁ろうかという算段です。
最近勢いがすごい“PIKO“です。
45年前、“PECO“(ピイコ)と区別するためにPIKOは「ピコ」PECOは「ペコ」と発音する様にと西ドイツの模型店で注意されたものが、今は“PIKO“を「パイコ」と区別するという解説が載っていましたが、私が思うに今でもドイツでは「ピコ」と「ペコ」だと思います。 「パイコ」は英語の発音だからです。
メルクリン、ロコ、フライシュマンに次ぐ4位と解説にありましたがカタログの重さはダントツ1位じゃないでしょうか。
“シヒト“(これもウィキでは“シフト“ですがドイツ人は「シヒト」でした)とPIKOはドイツ民主共和国DDRの国営企業だったのですが、見事生き残っています。
東ドイツの住人は再統一が成って失望したことも多かったかもしれませんが、最低限“PIKO“だけは再統一を謳歌して今でも幸せの絶頂にあると感じます。
“PIKO“のカタログにヨーロッパの鉄道模型が溢れ、NATO側がワルシャワ条約機構を圧倒しています。 まあDBAGもNATOだからかもしれませんが・・・・
昔、“PIKO“は作る物があまりありませんでした。
01-5 (人民ゼロイチ)
120 (ソ連製の貨物用電気式DL)
132 (ソ連製の貨客両用電気式DL)
そしてこの形の客車です。
この形の客車もレコ車なのかなあと思います。
東独のレコ車というと二軸三軸と19m開放室になりますが、この21.5mコンパートメント客車もデザインが似ています。
断面が違うのですが。 それと車体前後が絞られていることが違いますが。
ハンガリーブダペスト発チェコスロバキアプラハ経由ベルリン経由ロストック(デンマークへの港)行のD1274【Metropol】がこの客車を多く使っていた様に思います。
D1274は冬季国内急行D924となりますが、その編成がこれも混じったグチャグチャだったです。
1976-12 ヴァインベーラの大築堤を行くD924
この3両目、5.6両目がこの形の客車かな?と思います。
昔、東独国営時代のPIKOのこの客車買いましたが、今回2等車は手に入りませんでした。
この客車の驚きはこれです。
ストラルズント発ベルリン経由ライプチッヒ行です。
ザスニッツまで行かない事とベルリンがリヒテンベルク駅使用というところがこの「客車の格」を示しています。
この印刷は効果的です。 とても好ましいです。
おっと突然セキに戻りました。
筆塗り用に調合して筆での修正をします。 その後黒も筆塗りします。
石炭積み込み用の底板に“いさみやロコワークス“の方眼ペーパー0.4mm厚を使います。
これをはめ込んで
隙間埋め埋め用の用紙も切り出して
塞ぎました。
これで目的には十分です。
私は身動きままならないので写真資料を集めることができずに一旦ここで終了です。
昨夜はIMONセキ3000インレタが無いとどれも一歩も進めない感じがして最近買ったドイツ型に目が行ってしまったのですが、勘違いだったことが判明して「セキ」に戻ったものの、やはりしばらくお預けになる激しい1日でした。
初めて買ったBRAWA(ブラバ)の模型です。
違った!昔45年も前、BRAWAのトロリーバスの模型を買っていました。
多分家のどこかから出てくるはずです。
鉄道模型は初めて買いました。
驚くべき細密さに呆然です。
なぜこの客車を買ったか?
1996年5月バイエルン鉄道博物館に招待されてS3/6+0!-066の重連ドイツ一周ツアーに参加した時、14両編成の客車の中にこの形のクラシック客車があったのです。
特徴は2等室デッキのドアが2連になっていることです。
床下器具も驚くべき細密さです。
しかし、左右のコックを結ぶ真鍮線が一つ飛んでしまいその修繕に酷い目に遭います。(そんな些細なことは省略で写真も撮っていません)
なぜこの客車を触っているか?
それは、車体内部でウェイトが暴れているからです。
最近の模型は、わざわざ分解して最深部にあるウェイトを床板にゴム系接着剤で固定してやらないとダメなものがほとんどです。
床板は外れません。 したがって屋根から、上から攻めていくことになります。
室内装置を上に引き抜くと暴れるウェイトが現れました。
取り外した室内装置です。
およそこの世のものではないほど弱く細く華奢な作りです。
残念ながらそれを生かすほどの注意深さで組み立てられてはいないので全車ともどこかが曲がっています。
この車体の内装も網棚の脚が一本折れて失われました。
私が真っ直ぐにしようとしたためです。 折れた脚は「鼻毛のサイズ」で一瞬で失われ見つかりません。 片脚ですが真っ過ぐに近づきました。
一本脚でも強度は50歩100歩です。
そして手前に2両現れたのは流線型蒸機と同時代と想像される客車です。
リリプットの製品です。
リリプットはオーストリアの高級プラスチックメーカーでしたが何十年か前にバックマンに買収されました。
この客車が欲しかったのはやはり1996年のBEM特別列車に混ざっていたからです。
我家は機関車のカプラーはRocoに交換していますので、次位指定で郵便車のカプラーだけRocoに交換しました。
今後はドイツの模型屋の在庫を漁ろうかという算段です。
最近勢いがすごい“PIKO“です。
45年前、“PECO“(ピイコ)と区別するためにPIKOは「ピコ」PECOは「ペコ」と発音する様にと西ドイツの模型店で注意されたものが、今は“PIKO“を「パイコ」と区別するという解説が載っていましたが、私が思うに今でもドイツでは「ピコ」と「ペコ」だと思います。 「パイコ」は英語の発音だからです。
メルクリン、ロコ、フライシュマンに次ぐ4位と解説にありましたがカタログの重さはダントツ1位じゃないでしょうか。
“シヒト“(これもウィキでは“シフト“ですがドイツ人は「シヒト」でした)とPIKOはドイツ民主共和国DDRの国営企業だったのですが、見事生き残っています。
東ドイツの住人は再統一が成って失望したことも多かったかもしれませんが、最低限“PIKO“だけは再統一を謳歌して今でも幸せの絶頂にあると感じます。
“PIKO“のカタログにヨーロッパの鉄道模型が溢れ、NATO側がワルシャワ条約機構を圧倒しています。 まあDBAGもNATOだからかもしれませんが・・・・
昔、“PIKO“は作る物があまりありませんでした。
01-5 (人民ゼロイチ)
120 (ソ連製の貨物用電気式DL)
132 (ソ連製の貨客両用電気式DL)
そしてこの形の客車です。
この形の客車もレコ車なのかなあと思います。
東独のレコ車というと二軸三軸と19m開放室になりますが、この21.5mコンパートメント客車もデザインが似ています。
断面が違うのですが。 それと車体前後が絞られていることが違いますが。
ハンガリーブダペスト発チェコスロバキアプラハ経由ベルリン経由ロストック(デンマークへの港)行のD1274【Metropol】がこの客車を多く使っていた様に思います。
D1274は冬季国内急行D924となりますが、その編成がこれも混じったグチャグチャだったです。
1976-12 ヴァインベーラの大築堤を行くD924
この3両目、5.6両目がこの形の客車かな?と思います。
昔、東独国営時代のPIKOのこの客車買いましたが、今回2等車は手に入りませんでした。
この客車の驚きはこれです。
ストラルズント発ベルリン経由ライプチッヒ行です。
ザスニッツまで行かない事とベルリンがリヒテンベルク駅使用というところがこの「客車の格」を示しています。
この印刷は効果的です。 とても好ましいです。
おっと突然セキに戻りました。
筆塗り用に調合して筆での修正をします。 その後黒も筆塗りします。
石炭積み込み用の底板に“いさみやロコワークス“の方眼ペーパー0.4mm厚を使います。
これをはめ込んで
隙間埋め埋め用の用紙も切り出して
塞ぎました。
これで目的には十分です。
私は身動きままならないので写真資料を集めることができずに一旦ここで終了です。