金子達一おじいちゃま23回忌

2023-07-10 | 鉄道模型

豪徳寺10:00集合です。 英子の母方のおじいちゃま金子達一さんの23回忌法要です。

23年乗っているトヨタ・グランヴィアです。 アルファードと比べると大きく、広いです。 買い替えるならアルファードなのですが、アルファード・ベルファイアの類はプリウス以上に多くて、下手で遅くて迷惑な運転をする車が多く(特に緑ナンバー)あまりにもイメージが悪くてとても買う気になりません。

本堂での法要が終わったところです。

お塔婆を持って墓参りに行きます。

左手前の植生は金子家の植えたつつじです。

お清めで渋谷に向かいます。 世田谷線の電車の速さに意表を突かれています。

渋谷エクセルホテル東急“旬彩”です。

献杯

晩年の写真と位牌

窓からの眺め、中央に“109”手前側やや左に薄青い壁が見えるのが“渋東シネタワー”(今は名前が違いますが東宝です)その左隣が井門道玄坂ビル(低層階に何段か緑の植ったバルコニーが見える建物・・・IMONロゴ・・・1980年代に私がセラミック製の文字を貼り出したはしり)が見えます。

金子達一さんは1899年の生まれ、没年は2000年で満101歳、19世紀に生まれ21世紀に亡くなりました。

生まれは萩市(元長州藩)

長く日本鋼管で活躍してこの写真は1952年4月の報道写真です。(今日アルバムを撮影させてもらった写真)

私はまだ生まれていません。

これは1961年7月、やはり報道写真まだ英子も生まれていません。

IMONの古い社名(株)大丸百貨店の店番04川崎駅ビル店(我々は“KB”と呼んでいました)の社長もやっていた時代の金子達一さんに私はお会いしていましたので金子達一さんは存じて居りました。

英子と婚約する時金子達一さんは「おう、井門さんか」とご存知の様子だったとのことです。

私の祖父井門富士逸と長く親交があってそのことから私もお目通りに預かっていたのでした。

1989年11月これは卒寿で孫達に囲まれていますが、英子はステージ衣装? 結婚前です。

生まれて初めてパノラマ写真を撮りました。 意外なほど回っていってしまっているのでこうなったという写真です。

金属インレタを探していて、見つからないので、天賞堂完成品(売られているのは完成品ではないですね、みかん製品・・・イモンは全部完成させます)の付属金属インレタの残り、EF65とEF60の組み合わせでEF65515にしようと企みます。

ここまで使います。

置いてみました。 メンディングテープで位置を極めています。 あれっ???デカくない??

シャープペンシルで転写! 五反田工房宮代工房長がボールペンNG、シャープペンだという教えに従っています。

メンディングテープ剥がしていますが文字と元の台紙部分は剥がれてくれません。 文字と透明台紙のくっつく力はメンディングテープよりも常に強いです。

EF60の文字から「15」をもらってきましたが、唖然とするほど文字の大きさが違います。

EF65の文字は1/68位?。

EF60の金属文字からだけで構成しようとします。

大きさはこちらは大丈夫と思われます。

「0」だけ残してしっかり擦ります。

全く転写できませんでした。 ピンセットでつまんで「5」をまん中に貼ってみましたが、接着力は全く弱いです。

修羅の道・・・これは流石に無理か・・・

探しているうちに探していた金属インレタ(右;トレジャータウン)とTOMIXを発見しました。

TOMIXはベストのようですが、「5」が足りません。 残念!

インレタには「1」「2」「5」が大量に必要です。 IMONのインレタはそうしていますが、かつてはそういう趣味者なら知っていることを知らないメーカーしかいなかったのが日本の鉄道模型界だと感じていましたが、ここでもその罠に引っかかっています。

いまだにイモンの所有車両は16番の方が多そうだということを思い知らされる捜索結果でした。

メンディングテープにEF65を切り出して貼りました。

あれっ?格好がつきません。

実はEF65の「6」と「5」の文字間とDD51の「5」と「1」の文字間が違うのです。

泣きながらバラバラに貼ることになります。

不満ですがこれで精一杯。

文字間がテキトウではなく国鉄ルールに則ってくれていたらどんなに助かるか・・・

バラバラに貼ります。

この新品の金属インレタでもメンディングテープを剥がすと透明台紙が残っていて、カッターの刃先で根気強く剥がしていかなくてはなりません。

まあ仕方がないです。

EF65の

も字が打てなくなってきました。 明日に続きます。(Gooの限界? iPadの限界?)