乘工社C59祭

2020-05-11 | 鉄道模型

今日は散歩開始時は霧雨状態でした。 悪ノリして青山通りを超えて六本木通りまで来て、此処まで来たからには青山トンネルを抜けてみる事にします。


青山トンネルを抜けると六本木ヒルズが雲の中に入っていました。


最初の角を左へ、車で1000回は通ったと思われる道を歩きます。

車では見えないものが目に入ります。 街路樹かと思ったらこの家の敷地の木で大事に守っています。


アイビー通り、アイビーホール。


凄い緑に囲まれた家があります。


今日の青山通りです。 連休中と比べれば人も車も6~7倍と言う感じです。


狭い工作台スタジオ、長いC59を先に撮って楽になりたいです。


乘工社の記念モデル、ブラウンのC5967とグリーンのC5979のセット。

これはセットで撮るという曲芸に近い行事になりました。

この後“ホビーショップモア“から鮮やかな色のこの2両が発売されました。

その時の色もこの乘工社の色もそうらしいですが、ブラウンはぶどう色2号、グリーンは湘南グリーンです。

私も敬愛する元国鉄大宮工場長(モデラーです)が「テストとして塗ってみるにあたって既存使われていない色をわざわざ調合して塗る事は有り得ない」とおっしゃっていますが絶対正しいと思います。


イモンの使い慣れたキャプチャーNX2とかIBMデジカメの達人が無いので使いこなせていないライトルームで、しかも縮小方法がわからず、Teacupの自動縮小任せの画像ですがそれなりに一所懸命撮りました。

TGー5深度合成モードの手持ちです。

私が中学生だった時、クラスに8人の「鉄」が居ました。 3年間クラス替え無しでした。 イモンと相方の「深野様」さんの2人が1番のヒヨッコでした。(残り6人は師匠様です) そんな時皆の話題によく出てくるのが蒸汽機関車で何が好きか?どれが格好良いか?という話題です。
私はC59推しだったのです。
それだけにC59の「どこが良いか」ではなく「何が欠点か」という事にはものすごく詳しいです。 中坊の頃以来の強烈な付き合いなのです。

乘工社代表 倉持尚弘さんは言いました。「井門君はC57が好きなようだが絶対的な格好良さではC59だよ」

私は何も言わなかったのですが、心の中で「倉持さんがC59のどこを知っているの?」

孤独なC59推しだったイモンはC59の欠点ばかりが気になってしまいます。

それから言えばC62もC53もC51もC55(誰も眼中には無かったです・スポークだと思えないから)もC57も「コレ」と言った欠点が見えて来ません。


C59の2番目に目立つ欠点は「キャブの重ったるさ」です。 それを解消してみせるのが広島工場による採光改善改造です。
C5967は窓枠2枚引き違いです。


C5979は窓枠3枚引き違いです。

C59最大の欠点はフロントデッキ周りの「せせこましさ」です。 パシフィックの全世界的欠点として動輪3軸の前が軽く後ろが重い事です。
燃焼室を設けることが出来ていたら此処まで前に重心を持ってくる歪な造形にならずに済んでいたのに。

まあ蒸機たるもの(姿形が良いかどうか程度の話ですが)全てが欠点と長所を持ち合わせているのです。


さて、乘工社といえばこのテンダーモーターです。

面白い構造を考えたものです。

倉持尚弘さんが高校時代に作ったC56の模型を見せてくれました。

それはテンダーモーターだったのです。

倉持さんが慶應義塾高等学校を卒業したのは昭和34年です。 それより前にその工作をしていたのです。

今、その模型はどこに行っているのだろう・・・



乘工社蒸機C59とD51はモーター(CNー22、ENー22です)をテンダーに積んだために機関車本体全部 鉛のウェイトが詰まっています。

果たしてIMONでC60を作る時、タングステンウェイトが乘工社C59の目方を超えられるかどうか見ものです。

IMONの蒸機は乘工社の土台の上に作られています。

実際見比べるとまるで別物になっているのは間違い無いですが、乘工社蒸機は面白い試みの大集結だったのだなと感心します。


追記;塾高鉄研時代に倉持尚弘さんが作ったC56はたしか「13mmゲージ」だったと思います。 塾高鉄研で倉持さんの一か二つ上の代に白取剛さんが居ます。
白取剛さんと言えば有名な日本の「1/80 13mm」13ミリゲージの始祖、TMSに記事を書いたものが衝撃的でした。 当然同時に鉄研に居たわけです。