鉄子の旅より酷い 北海道旅行1977

2018-08-02 | 国鉄時代
鉄子の旅はご存知でしょうか。

鉄子が旅をする話ではありません。

強引な“乗り鉄”さんに“鉄”ではない女性漫画家が引っ張り回され、恐るべき体験を重ねる話です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%97%85

それに類する、いやもっと酷い行いをした息子(←私)の話です。


大間のフェリー乗り場です。 1977年、3月中頃と推測されます。

我家は祖母、父、母、私、弟、妹、従姉妹の7名で構成されていました。

このときの旅行は祖母と弟(高校3年受験生)が留守番、父は仕事で後から追掛けて合流でした。

最初の数日間は当時大学2年生の私が引率者でした。

しかも、旅行そのものが私の計画通り実行されたのです。

記憶があやふやですが、そのときのルート始まりはこんな具合だったと想像されます。

上野→野辺地 【ゆうづる】

野辺地→大湊 大湊線DC

大湊→大畑 大畑線DC

大畑→大間 下北交通バス

大間→函館 東日本フェリー

この写真は東日本フェリーの切符を買いに立ち寄った時と想像されます。

何故ならばこの後写真には大間周辺の海岸線が写っているからです。


大間港です。

かなりへそが曲がったルートで渡道しています。


これは五稜郭です。

カメラは35ミリを持たず6×6のみだった様です。


五稜郭にて、へんてこりんな旅行添乗員に連れ回される可哀想な家族です。

しかし、観光地に連れて行き私は鼻高々だったでしょうね。

(実は観光地は此が唯一なのです)


函館の市電が写っています。


このみぞれ模様の中、家族は私に連れ回されている様ですが、どこに泊まったか記憶が全くありません。


これは函館駅前ですね。

宿泊に記憶が無いということは、無関心だったに違いありません。

つづく・・・