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20年前の撮影旅行

2023-01-06 | 海外蒸機

今日は何も出来ませんでした。 精神的に落ちこんで何かする気合いが入らないのです。

とはいえ、暮れの6788会に参加してもらった 車 作寛 さんに2003年2月の中国火車撮影旅行の時の写真を送る都合で縮小したのでそれを観てください。

正襄白旗です。 内蒙古自治区経営になる1000kmの蒸機専用鉄道“集通鉄路”でも西野終端集寧から200kmの正襄白旗は内陸深い事と標高が高いことから大変寒いところでした。 チャーターした3台の軽自動車がいい感じです。

左から車さん、ザハトラーの三脚、イモンの相方オクイです。

移動途中のお昼ご飯です。 車さんはグルメだからハズレは無いです。 イモンが持っているのはアントンバウアーの充電器、寸暇を惜しんで充電です。

葦河ウェイホーで客車をチャーターしました。 左が車掌さん(と思ったら林鉄局の偉い人かも)

途中駅でその場にいた日本人グループと白人グループを交えて記撮。 右端が車さん

こうしてみると全員がここに写っているわけでは無いかも・・・我々は16人グループだったし、別口で来てるはずの宮村さんが写っています。 もしやカメラマンは都築さんでしょうか? カマに取り付いているのがイモンです。

たまにこういうのも面白いですね

 


5年ぶりの“中国鉄宴会“ もうお前は死んでいる(なんじゃ?)

2023-01-01 | 海外蒸機

イモンは野糞していますが、これ以上しゃがめません。 都築雅人写真展 @ 品川 キャノンオープンギャラリー

https://www.jps.gr.jp/kaiin_tell/tsuzuki-masato_2023/

https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/tsuzuki-enjo6

実はこの後何人か加わり、通行人の若者に撮ってもらいましたが私のカメラではありません。

17:15 「頃合い」と見て体調万全ではない感じの浅野氏と遠来の阪上氏とタクシーで渋谷を目指します。

ところがこれは大失敗!どこへ向いても大渋滞! ついに諦めて目黒駅に向かい、山手線で渋谷へ向かいます。

(残念ながこれが大失敗だったようです。 私の体が大ダメージを受けました)

18:20 パンダ到着!(所要65分)

最初に私が挨拶して都築さんが乾杯の発声です。

乾杯!

ご両人は何故か隣にいます。

中鉄大宴会は常にテンション最高潮で通常の宴会と比べて声量が10倍です。

他宴会に出席している加藤さんは先輩悪魔に根性注入されていました。

ちなみに今回一所懸命に画像登録しても写真が登録されていなくて大苦戦のブログ書きでした。 写真アップに漏れている人大変失礼いたしました m(_ _)m 。 それ以上に

とりあえずまだ到着していない人も居ますが、早めの記撮!

もしや土曜日と思っている人が居たか!

稲門のご両名

我らが連隊長!

声の大きさは伝わりません。

日頃の溜まったものを全部放出する楽しさは何者にも代え難いです。 この宴会はやめられない宴会と言えそうです。

でも皆、大人です。

大阪へ帰る仲間

今回は参加人数は34人ほど

我々よりずっと若いと思っていた人も大雑把には同じ世代と感じるようになりました。

楽しみに直結する宴会であることは変わりません。

この場を共有できるのは最高です。

仕事から抜けられなかった人も到着! 平均年齢より30歳若い仲間です。

片付け中ですが記撮にシャオチェーに入ってもらいました。

この記撮写真は私のカメラにはありません。 残念! なかなか良い記撮になったのでは?

外は土砂降りでした。

この宴会をまたやりたいです。 しかし、私にはもう無理そうです。

誰かに引き継ぐしかないです。

阪上さんのエスコートももうこれ以降は不可能そうです。

帰宅してブログを書いて、入浴してみて体の異変に気がつきました。

大失敗です。

肩の腱は80%切れていて繋がっているのは20%でしたが、もはや96%まで切れています。

色々経験しているのでよくわかります。

整形外科的な手術、あの嫌な全身麻酔が何度も待っています。

そして足の爪がやばいです。

私が悪いのですが、そんなことではない(もはやそれを論じる段階ではないし、その意味もない)、今年中の宴会は全部アウトの感じになってきました。

旅行も全てアウトだと思います。

手術は避けられませんが今年は多忙でそれも無理なのは冷静に考えればわかります。

 


SAR 26形撮影

2022-10-06 | 海外蒸機

私の名前馬で(までとも言います)刻印された模型。

メーカーは“MiniWorldModels.com“と言います。

https://www-miniworldmodels-com.translate.goog/?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

行儀が悪くて時々こうやって飛び出してきます。 ケースが滅びそうでもあるので「金箱」に移しました。

スポンジはやばそうです。

箱入れと撮影をしてみました。 1DXにアオリ付きレンズ「TS~E50mm F2.8L」です。 この角度だとこのくらい煽りを聞かせないとピントが来ません。

眠くてギブアップです

南アは世界最大規模の3ft6inゲージの国です。 日本では3ft6in→1067mmとしましたが、南アフリカは1065nnです。

日本と同じサブロクの狭軌です。

サブロクが別名「ケープゲージ」と呼ばれるのは路線長が南アがトップだからです。

日本が中途半端で投げ出した“強度狭軌“を実現して居り、この26形の軸重は19tです。

南アは重量列車のギネス記録を持ちます。 7万トンだそうです。

アメリカの長大な貨物列車が1万〜2万トンだそうです。

なんのことはない鉱石列車でEL牽引です。 ELはDLの「4〜5倍」の力があるからそうでしょう。

 

左てこの26形は5000馬力です。 C62の三倍です。 テンダーが背が高過ぎです。(本物はここまで差は無いです)

線路は天賞堂のビッグボーイの展示用線路です。

26形の精悍さはわかりますが、機関車とテンダーの高さの差はすごいです。

斜め上から見ても激しいです。

メーカーはHOスケールと言っていますが、OOより大きい感じです。

走るのは調子よく走ります。

レッドデビルは25NC形を1980年代に最新技術で大改造して生まれた機関車です。

煙突は前後にV字形に持ちます。

元の25形と各部が改造されて、元の性能から格段に上がったので26形を名乗り、真っ赤に塗って「レッドデビル」と呼ばれました。

 

 


東ドイツに逃げ込む!

2022-08-24 | 海外蒸機

あんまり忙しいので共産趣味の優等生、東ドイツに逃げ込みます。

武蔵新田駅とデハ3500三連は帰ってきましたが、スピコンマシンやその現場整備用に持って行った工具が手元に帰ってきていないのでできることが少ないという状況もあります。

JAM実行委員会のメンバーは暫く「倒れ」になる賈・・・(賈は「か」とも言います。サスがはアップルの変換です。

府川は今日は渋谷店の応援だったかもしれません。

 

共産趣味の優等生DDRですが、最近レコ車・・・旧型客車の再生車(オハ60&61に相当)・・・がBRAWAから発売されました。

それは「良い出来」で「まあまあの色」なのですが、少し明るくて彩度が強いのです。

コンパートメント(長距離用座席車・・・Y形)はTillig(ティリッヒ)が定番的に50年にも亘って提供してきましたが、それにもリバロッシとピコという大メーカーの侵入を受けています。 それら新しい製品は色が「黒い」のです。

折角ゼロイチ牽引列車の編成が実現できるのですが、解釈が違うのか?本当に全然違うのか?

レコ車は明るい緑と暗い緑がありますが、その暗い緑の車両(BRAWA)と比べてリバロッシとピコの2社の車は大差をつけて暗いのです。

レコ車の色は50年も売っているTilligのDR客車の色とほぼぴったりです。 しかし、そのTilligの塗り分けはもっと古い時代のものです。

そんな嘆きぶしの中、古いRoco製品のY形と古いTillig製品

 

Gooブログのヤロウは全部此の以降消えてしまいました。

苦労して書いていて何の前触れもなく消えるのは不可解です。

DRグリーン

箱無し

左上から

① BRAWAレコ車

② Roco Y形ABm

③ リバロッシY形Am

右上から

① ザクセンモデルY形Bm

② ザクセンモデルY形ABm

というわけで微かな希望が見えてきました。

左②のRocoと左③のリバロッシは実際の肉眼では色は全然違い、左②のRocoと右①②のザクセンは近いです。

Y形4両をレコ車7両で囲んだ国内急行が遠く微かに見えてきています。

 


矢野登志樹さん亡くなる

2022-08-10 | 海外蒸機

矢野登志樹さんといえば、お立ち台通信などでずいぶん写真を出していたりご存知の方も多いと思います。

私が知り合ったのは1994年2月、二人組(奥井+イモン)と四人組(矢野さんと他三人)が付かず離れずで訪中した時でした。 凄いメンバーだったのですが、四人組の方は山下修司先生の立てた計画に従ってのツアー、二人と四人は最初と最後は同行ですが、二人組は今行かなければ無くなると恐れて大寒冷じゃなくて大観嶺と紅房子を両方やる、そのためには夜行、夜行、夜行、民家、夜行、夜行と続く強行軍でした。 夜行3つ目は南岔を18:30頃乗車ハルピン着午前1時、乗換午前2:40で牡丹江へという無岔なコースでした。 我々が師匠であったK国Kさんはこんな欲張った計画は絶対失敗すると忠告されましたがなんとか生還しました。 話が逸れますね。

矢野さんです。

白血病でここ4〜5年でしょうか闘病していました。

1994年に初めて会った時から大好きでした。 「世の中には良い矢野と悪い矢野が居る」と言う人もいましたが、イモンには矢野さんは全部良い人だと思います。

四平の駅前、カメラを構えるイモンの背後が駅舎です。 矢野登志樹さんは左から二人目。

四平構内です。ここから夜行で南岔に向かいますが、二人組と四人組は別々の汽車に乗った記憶があります。 なかなか想像を絶する世界だったと写真を見ると感慨深いです。

案内してくれる中国の人達は驚くべき強行軍でこの人達は何がしたくて来たのか理解できなかったんじゃないかと今になって思います。

 

「ドイツ」が矢野登志樹さんにとってまさに活躍の場でした。

2014年の蒸機祭りの時、途中何度か会いました。

成果物を見せびらかす矢野登志樹さん。

ドイツの国道沿いの食堂に停まる我々の車を目敏く見つけて合流、一緒に食事、情報交換となりました。

矢野さんがかなり集中していた“ハルツ”などの写真集が追悼でできたら何よりのように思います。

通夜が8月14日18時〜19時、告別式が8月15日12時〜13時、エヴァホール津田山です。

「鉄」仲間で送ってやれればせめてもです。