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バケペンの話

2021-08-26 | 海外蒸機
今日はお休みです。

と言いながら


昨日だったか・・・大井町から撮ったブルーインパルスです。

スタジオでレリーズの代わりに使うセルフタイマー(2秒)を切っていなかったので・・・それに気がついたのはブルーインパルスが去った1分後でした。


昔のカメラバックを撮ってみました。

こちらサイドに増田さんの制作したエッチング板「ゲーゼルシャフト・フュア・アイゼンバーン・クンデ」の文字が貼られていました。 ドイツ語で「鉄道研究会」です。

増田さんの西ドイツの撮り鉄仲間の作文です。

西ドイツ人は誰も笑わないし、大真面目で「頑張って来い」と送り出してくれましたが、東ドイツの人民は誰もが指を指して笑いました。


前側です。

88623[長]の自作銘板?プラスチックのおもちゃですが。

「2」が飛んで無くなっています。

日本の蒸機末期にはもう「2」はなくなっていました。


中はこんな風でした。

レンズキャップを外していますが、付けておいた方が良い記録だったかもしれません。

バケペン(PENTAX 6×7)が2台、レンズは90mm150mm300mmです。

バケペン導入時、ボディー+150mmのセット1台でした。

泣いても笑ってもこの組み合わせだけでした。

徐々に増えていったのです。

90mmはレンズシャッター付きでした。 今見当たりません。(後々になって発売された90mm F2.8は今もあります)

東ドイツ訪問時は75mmだったかもしれません。 75/150/300です。

カメラバックは「銀箱」はやめようね・・・というのが増田さんとの申し合わせでした。

鉄ちゃんに見えない・・・普通の一般人に見える荷物を心がけたのです。 それでも8回捕りました。


バケペンの一族です。

手前が1台目、TTL付ペンタプリズムです。
左が2台目、右が3台目(1台目が使い潰しになってきてTTL付で買い直しました)
奥が4台目、“67Ⅱ“ というカメラです。

フィルム時代はバケペンが最強だったと思います。

6×6とは大きな差がありました。

その差は、現像(自分でやっていました)に失敗してフィルム中央部と端の現像進み具合に差が生じた場合、画面の左右に差が出る66と画面の上下に差が出る67は比較にならないほどの差がありました。
東ドイツ一回目の時、実を言えばハッセル500CM+80mm/250mmフィルムバック2個だったのです(ハッセルは比較的早い時代に売ってしまいました)
それプラス「4‘×5‘」を持っていったのです。(4インチ×5インチ)
「シノゴ」に対する憧れが強かったからです。
「シノゴ」がゴツいからハッセルというとんでも無い作戦を考えたのです。
しかし、
同じ場所で似た様な構図で撮った増田泉さんのバケペンにはっきり言ってハッセルは大きな差をつけられました。
1/500のレンズシャッターではなかなか止まりません。
流し撮りにする以外になかったのです。

時代は進んで放送用カムコーダーを持ち歩く様になった中国テツ時代はバケペン2台レンズは105mmと150mmでした。
300mmは使いませんでした。

バケペン2台とそのレンズ2本はカムコーダーを入れるバッグの隙間に全部入りました。

カムコーダーのファインダーの前側は放送用ズームレンズですが、その上に105mm付バケペンがぴったり入ったのです。

いざというとき、5秒確実必殺の6×7のシャッターが切れたのです。

カムコーダーがいかに大きくて重かったかが判ります。

もう一台はレンズとバラしてカムコーダーのレンズの左右に振り分けていました。

デジカメの時代がどんなに有難いかですね!

中国の蒸機もデジカメを待たずに去っていきました。

それでも2009年以降の中国やインドネシアはデジカメ、カムコーダーはHDのHDW-750になっても全く目方は変わらなかったですが、バケペンだとどんなに削っても50kgはあった荷物が40kgになったのは大きかったです。

苦しかったけど懐かしいバケペン(化物ペンタックス・・・デカペンという人もいます)です。 鉄ちゃんが開発した鉄道写真に特化したカメラだと思います。





パンノニア・エクスプレス

2021-07-23 | 海外蒸機
D370/D371【パンノニア・エクスプレス】という列車がありました。

パンノニアとはローマ帝国の皇帝直轄地だった歴史的な古い地名で北と東をドナウ川に接するとかハンガリーからユーゴスラビア(セルビア)にかけての大平原を指すと言われたりします。

近年も“Pannonia“という列車が走っているはずです。

我々(増田・井門組)の東独撮影時代にゼロイチが牽いていた国際列車群の中でも【Meridian】【BaltーOrientーExspress】と並んで超長距離列車で。32時間超(北行)、33時間超(南行)掛かる列車でした。

トーマスクック時刻表のTable 87が掲載ページ

1976年ダイヤでD370(←今日の主役)

07:40 Sofia(ブルガリアの首都)
14:40 / 15:15 Beograd(ユーゴスラビア(セルビア)の首都)
21:39 / 22:20 Budapest(East)(ハンガリーの首都)
02:19 / 02:34 Bratislava(チェコスロバキア、スロバキアの中心都市)
08:28 / 09:07 Praha(チェコスロバキアの首都)
13:07 / 13:31 Dresden(東ドイツ、ザクセン州都)
15:47 Berlin(Ost)(東ドイツの首都)


「まさか」のパンノニアエクスプレスセット

見つけた時は手遅れで、これを1セット手に入れるのがやっとでした。


メーカーは“リバロッシ“

オリエントエクスプレスを作っていたりしますが、私のイメージでは完全にアメリカ型のメーカーです。


眼目はなんと言ってもこの看板です。

悲しいかなわずかな枚数が手に入っただけです。

旅行者はこの看板を撮る可能性はありますが、我々は「撮影」の時にしかカメラも出さないので絶対に手に入らない情報です。


このセットが「Aセット」なのか『Cセット』なのか分かりませんが、全部DRで1等、1/2湯、2等の3種類。

この写真は室内が解る様にストロボ焚いて撮っています。

1等は明るいグリーン

2等は禁煙座席と喫煙座席が色分けされています。 赤が禁煙席です。


とすれば、やはり1/2等車は3種類の色に塗り分けられていました。


金型が新しいらしくエアホース類も別付パーツです。 それも取付済みです。


左;リバロッシ、右;ティリッヒ

ティリッヒは禁煙/喫煙の塗り分けはありません。


左;リバロッシ、右;ティリッヒ

台枠部分を黒く塗り分けるか、同じクロームグリーンに塗るかの違い、そして文字はリバロッシは白、ティリッヒはクリーム色です。 (Rocoもティリッヒと同じ)


屋根のディティールも微妙に違います。右がリバロッシ。


これはチェックしたRocoのDRとんがり屋根@【Meridian】セット

RocoのメリディアンセットはMAVの「旧色、新色」混合なので1980年か1981年の編成です。

だから台枠部分が「黒じゃない」のは正解です。

台枠部分まで一緒の緑色になったのは「1970年代の何処か」だそうです。

我々が撮っていた1976年77年といったあたりはどちらの塗装が多かったのか?

私の撮ったカラーの8ミリ画像を何度も見返して見るのですが、確とは分かりません。

JZ(ユーゴスラヴィア国鉄)客車の台枠部が黒い事がはっきりわかったので、はっきり分からないDRのとんがり屋根は台枠まで緑だったのかもしれません。


1976年7月の【Pannonia Express】D371 ソフィア行

ちょっと前まで【メトロポール】かと思っていたのですが、編成中央部分にJZの寝台車が見られますので【パンノニアEx】と見て間違いないです。

【パンノニアエクスプレス】の中央部にJZやブルガリアの客車が集まり、前後に雲底距離が短い客車が途中入れ替わりながらというのがこの時代の編成です。

この辺りの話になると見境がなくなるのには困ったものです。

(写真はポップアップします)






58形蒸汽機関車

2021-04-29 | 海外蒸機

1976-07-25 Döbeln(デーベルン)58.30 蒸汽機関車

Döbeln(デーベルン)はドレスデン~カールマルクスシュタット(現ケムニッツ)線の北側、ほぼ真西30㎞程のところにあります。

1976年はドレスデン機関区だけではなく、ベルリンオスト機関区にも原形タイプゼロイチが配置され猛烈に走っていた時代ですから1日も休まずバインベーラに行くべきですが。なぜデーベルンに居るのか?

増田泉師匠の経験から東ドイツは油断ならない警察国家で、宿泊希望地のうち必ず一ヶ所は希望と違う宿泊地が指定される・・・故に滞在日数2週間~20日程度の中で飛ばされ候補の宿泊地を必ず混ぜる様にしました。
そんな事が無ければ行っていない場所です。

東独と日本の国交成立から数年という時代、日本交通公社から東ドイツ国営“ライゼビューロ“に手配を依頼してホテル券「バウチャー」を購入(この時点で当局からチェックが入り、宿泊希望地の変更1ヶ所が入ります)バウチャーとパスポートを持って東ドイツ大使館にヴィザの申請という順序です。

そんな事から希望通りだったか否か忘れましたがドレスデンを離れこの地にやってきたのはBR58;58形蒸汽機関車原形タイプを狙ってのことでした。

遠くない場所だったのですぐドレスデンゼロイチ詣でに往復していたかもしれません。


デーベルン中央駅で行き交う58.30蒸汽機関車

58形はプロイセン国鉄のG12として1917年から製造が始まり、ドイツ帝国鉄道成立前からドイツ各国の邦有鉄道でもは中され、1500両余りが作られた3気筒広火室の1ーE(2-10-0)機関車でした。

日本の9600(1912年製造初年)に形がよく似ています。

最高速度65km/h(9600と同じ) 1540PS(9600は870PS)

第二次世界大戦後、東ドイツ国鉄はこの58形を大改造して58.30に改造してこの様に元気で走っていました。

彼らの中に原形の58が生き残っているのでは?
それを調べに我々はこの辺りを探すのも一つの目的でした。


そんな中、遂に58原形タイプを捉えました。

今自宅なのでデータが参照できませんが、デーベルンの翌日だったかと思います。

場所はアルテンシュタインだったかと思いますが勘違いの可能性もあります。

ウィキペディアによりますと、58形原形タイプ最終生存確認は1976-02とある様なので、我々が生存確認しているのは画期的です。

しかも、駅間で走行写真をブローニー判で撮るなど狂気の沙汰です。

増田さんとイモンは当日だったか翌日だったかカールマルクスシュタットの駅地下道で私服の警官に話しかけられました。

彼は(「本官は・・・」と言ったかも)シュッツポリツイ保安警察で君達を尾行監視している者である。
君たちは一昨日は此処、昨日は此処にいたね。
などと言ってきました。
その時の返事が悪いとその場で連行だったのかもしれませんし、頭のいかれた鉄ちゃん野郎だと確認が取れたので監視が終了するところだったのかもしれません。


TRIXの58形HOモデルです。


そんな縁のあるカマですから黙っちゃいられない・・・買ってしまったのですが、時代は戦間期DRG。エポックⅡです。


引き締まった素敵なカマです。


TRIXはなかなか良いですね。


コンパクトだから工作机でも写真が撮れました。


動輪一個分下回りが長いですが、後を継ぐD51相当の50形などに対してそう引けを取らない力があります。


言葉ではなく絵でやっちゃいけない収納方法を書いていますが、パーツをつけると元箱に入りません、さっさとIMONの箱に入ってしまいました。


同じHOスケールで9600と並べてみます。

エポックⅡという時代設定もほぼ同じです。


テンダー後端を揃えています。 高さが大雑把に4mと4.5mの違いは大きいです。


ゲージの違いもこんな感じです。 根源的な違いは此処にありますが、日本の鉄道が標準軌だった場合、英国同様の車両限界から列車や機関車のサイズに現実と大きな差は無いかもしれません。


真上から比べてみました。







明るいグレーと青のMAV客車

2020-09-23 | 海外蒸機
イモンがヨーロッパ形、東欧形にエキサイトしているの何故か?

現実味が無いと思っていたユーゴスラビア国鉄の客車が発売された事によって、冬の蒸汽のせいでよく見えなかった【Meridian】号の最初の3両が判った事によります。
青い列車メリディアンの機関車直後の青はこれだったのです。

増田さんの分も買っておいた“Roco“のD270【Meridian】セットが俄然輝く事になりそうです。

勿論、まだハンガリーの寝台車が手に入りませんので遠いということも言えます。

まずは【Meridian】の中心だったハンガリー国鉄の青い客車をチェックしてみます。


鉄のカーテンの向こう側、東ドイツにも模型メーカーと模型店がありました。

メーカーは“ピコ“と“シヒト“です。

PIKOはまだ続いています。 シヒトは多分ザクセンモデレとなり、ティリジとなりました。

シヒトの模型も発掘出来たら公開します。 まずはザクセンとティリジのMAV客車です。


いずれも「エポックⅣ」のMAV客車です。 どちらの塗装が古いか新しいか?知りません。 長年の経験からの勘で言えば、いずれも“ザクセン“製品の奥のライトグレーが古い塗り分けでしょう。


ティリジの2種類はほぼ同じ時期の製品で「作り分け」のようです。


並べてみます。


東ドイツで写真を撮ったのはもっぱら此の「青い車体に白い帯」です。 奥の1両は“Roco“の「メリディアン」セットに入っている1両です。

【メリディアン】には必ず4~5両此の色の客車が入っていました。



混入させてもなんの問題もない感じです。


グレーの暗い屋根がRocoです。


連結面です。

やや気になるのは全て2等車である事です。


“Roco“の「D270【Meridian】」セットです。 6両です。 DR×2、CSD×1、MAV×3です。

ホンモノは10両編成でした。 組成は違っても絶対に10両でした。 短い客車が入る国内急行は11両でした。


馴染みの無い塗装のMAV客車。 上の2両はRoco、下の2両はザクセンモデレです。


でも、寝台車では此の色を見たことがあります。


A.C.M.E.のユーゴスラビア国鉄客車セットに同じような色のJZ客車がありました。


出してみたら近代的な客車で全然似ていませんでした。

手元にあったイモン撮影のゼロイチ列車写真を確認してみました。


1976-08-03 ドレスデン近郊 おそらくD371【Pannonia Express】

何故なら最初の2両がハンガリー国鉄のトンガリ屋根だからです。 しかも、自分が撮っていると自覚が全く無かった明るいグレーと青の塗り分けのトンガリ屋根です。

パンノニア・エクスプレスはローマ帝国時代からパンノニアと呼ばれていたドナウ川南岸地域に向かう列車です。

ベルリン→ドレスデン→チェコスロバキア→ハンガリー→ユーゴスラビア→ブルガリアの首都ソフィア行という超長距離列車です。

ただ、最初の2両の青(MAV)をもってパンノニアエクスプレスと断定し難いところもあります。

他のD371と目される列車は最初の青MAV2両の後は多彩な国際列車だったのに、此の列車はトンガリが中心に見えるからです。
(5両目に今回手に入れたJZユーゴの寝台車らしき姿)


1977-08-10 ベルリンオスト駅を発車する D1275 【Metropol】

メトロポール号はデンマーク航路のロストックからベルリン、ドレスデンを経由してチェコスロバキアを通ってハンガリーの首都、ブダペスト行です。

南行はD371【パンノニア】の1時間半後を走り、晴れた場合バインベーラでギラリが狙える素敵な列車でした。

ポイントは機関車直後を占めるハンガリーの寝台車です。(機関車付近は冬のSGが効く事から寝台車が多かったです)

何故此の写真が出てきたのか? それは1両目の寝台車が明るいグレーと青の塗装だからです。

毎日多数見かけるハンガリー寝台車は、此の写真の2両め3両めのように、青い車体+細い白帯2~3本+寝台車を表すアルファベット文字がいっぱい書かれていました。


1977-08 D1274 【Metropol】ベルリン・シェーネフェルト駅

他の地域からゼロイチ目指して駆けつけた我々ですが、こんなところでD1274の進入をみる羽目になってしまったという画です。
ジタバタすると目立って警官が来てしまうので何気なく静かに撮ったわけです。

此の写真も今日、ここに呼ばれて出てきたのはハンガリー寝台車のライトグレー+ブルーが居るからです。


1977-08 D1275 【Metropol】
多分メトロポールだと想像されるわけです。

勿論ここに呼ばれてしまったわけは青/ライトグレーの寝台客車が写っているからです。

8ミリカメラが故障で全体の半分超を失ったのが本当に痛いです。

模型発売を油断せず注意しておくつもりです。
ブルガリアの客車(Pannonia EX)やルーマニアの客車(Balt-Orient Express)も出来たら嬉しいですね。




スウェーデンの客車と【メリディアン】号そして地道な作業

2020-09-08 | 海外蒸機

ノルウェーのナルビクです。 1977年8月(ポップアップします) バケペンです。

ナルビクはノルウェー中北部、町としては北端に近く北極圏になります。 ノルウェーの鉄道は此処まで届いていません。 百数十キロ南のボードー(ここも北極圏)がノルウェー国鉄の最北端でナルビクには船でアクセスします。 フィヨルドが切り立って深いので鉄道では到達出来なかった場所です。

スウェーデンのキルナ鉱山が至近距離にあり、極めて良質の鉄鉱石は普通此のナルビクから出荷されます。
ナルビクにアクセスしているのは「フィヨルドに行く手を阻まれない」スウェーデン国鉄(SJ)です。

スウェーデンの客車を買ったイモンですが、1977年に激しく乗り鉄をしています。

ボードーから船でナルビクに至り、ここからSJでストックホルムまで乗りました。

悲しいかなあまり車両を撮っていません。 ゼロイチの牽く国際急行を撮りに来た道中ですからここで車両を撮る気にならなかったのでしょう。

此の列車はストックホルムに向けて走る列車ですが、昨日の買い物は的確だったと言えます。


197612月 D270【メリディアン】号、ベルリン市内ウールハイデにて。 (ポップアップします)これもバケペン

此のD270の先頭側3両時に4両がユーゴスラビア国鉄の寝台車、クシェット(簡易寝台車=3段B寝台またはゴロンとシートみたいなもの)、コンパートメント座席車です。

悲しいかな風向きと寒さで客車が全て隠れてしまいました。


別の日のD270【Meridian】

こちらのほうが客車が見えます。 でも確認に役に立つのは断然8ミリの映像です。

メリディアンが目立つ列車だったポイントは、編成中央部に大量に入っているハンガリー国鉄の白帯青い客車です。

此の2枚のD270の動画は私が配って歩いている「中国2003」ブルーレイの中に動画が登場します。 それで見るとよくわかります。

1976夏、1976/77冬、1977夏と長期滞在して人類最後の本線急客機を堪能しましたが、我々と仲間以外は誰一人居ませんでした。 警官に捕まってその場から連行、退居させられた事は8回に及びます。


会社ではNYC【20th Cenchury Limited】の整備保全をじりじりやっていますが、此の全室食堂車で苦戦しています。

糸を引くゴム系接着剤を嫌ったのかそれを薄めて使っているらしくポロポロ窓が外れます。

食堂車は全窓張り替えです。 絶望的作業!


自宅では上田丸子電鉄のレタリング、ドア窓の「自動ドアー」は面白いので貼ってみます。

これはゴム系クリアを付けた状態。


チラッと見えると盛り上がるロングシート!

24mmを2つです。


そして前面の表記は此のように切ってみました。


大した手間ではないのが実際です。 周りをメンディングテープで固めました。


新しいインレタ(クロマチック)なので綺麗に転写できます。

じりじり進みます。