ノルウェーのナルビクです。 1977年8月(ポップアップします) バケペンです。
ナルビクはノルウェー中北部、町としては北端に近く北極圏になります。 ノルウェーの鉄道は此処まで届いていません。 百数十キロ南のボードー(ここも北極圏)がノルウェー国鉄の最北端でナルビクには船でアクセスします。 フィヨルドが切り立って深いので鉄道では到達出来なかった場所です。
スウェーデンのキルナ鉱山が至近距離にあり、極めて良質の鉄鉱石は普通此のナルビクから出荷されます。
ナルビクにアクセスしているのは「フィヨルドに行く手を阻まれない」スウェーデン国鉄(SJ)です。
スウェーデンの客車を買ったイモンですが、1977年に激しく乗り鉄をしています。
ボードーから船でナルビクに至り、ここからSJでストックホルムまで乗りました。
悲しいかなあまり車両を撮っていません。 ゼロイチの牽く国際急行を撮りに来た道中ですからここで車両を撮る気にならなかったのでしょう。
此の列車はストックホルムに向けて走る列車ですが、昨日の買い物は的確だったと言えます。
197612月 D270【メリディアン】号、ベルリン市内ウールハイデにて。 (ポップアップします)これもバケペン
此のD270の先頭側3両時に4両がユーゴスラビア国鉄の寝台車、クシェット(簡易寝台車=3段B寝台またはゴロンとシートみたいなもの)、コンパートメント座席車です。
悲しいかな風向きと寒さで客車が全て隠れてしまいました。
別の日のD270【Meridian】
こちらのほうが客車が見えます。 でも確認に役に立つのは断然8ミリの映像です。
メリディアンが目立つ列車だったポイントは、編成中央部に大量に入っているハンガリー国鉄の白帯青い客車です。
此の2枚のD270の動画は私が配って歩いている「中国2003」ブルーレイの中に動画が登場します。 それで見るとよくわかります。
1976夏、1976/77冬、1977夏と長期滞在して人類最後の本線急客機を堪能しましたが、我々と仲間以外は誰一人居ませんでした。 警官に捕まってその場から連行、退居させられた事は8回に及びます。
会社ではNYC【20th Cenchury Limited】の整備保全をじりじりやっていますが、此の全室食堂車で苦戦しています。
糸を引くゴム系接着剤を嫌ったのかそれを薄めて使っているらしくポロポロ窓が外れます。
食堂車は全窓張り替えです。 絶望的作業!
自宅では上田丸子電鉄のレタリング、ドア窓の「自動ドアー」は面白いので貼ってみます。
これはゴム系クリアを付けた状態。
チラッと見えると盛り上がるロングシート!
24mmを2つです。
そして前面の表記は此のように切ってみました。
大した手間ではないのが実際です。 周りをメンディングテープで固めました。
新しいインレタ(クロマチック)なので綺麗に転写できます。
じりじり進みます。