♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■詩篇からみるキリストの受難と神の大きな愛 / 福井 誠

2020年06月03日 | Weblog

2020/4/8放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いて参りましょう。
 詩篇69篇29節から「キリストの受難と神の大きな愛」と題してメッセージをお伝えいたします。
   「私は苦しんで 痛みの中にいます。
  神よ 御救いが私を高く上げますように。

 今日はイースター特別番組です。通常ですと福音書からイエスの十字架の場面を取り上げてお話しするところでしょうが、今日は詩篇69篇を読んでいます。というのはつい最近まで私と一緒に詩篇を読み続けたリスナーの皆様は詩篇が新約聖書と深く結びついていると感じられたことでしょう。実際、詩篇は新約聖書に多く引用されており、この69篇も新約聖書の著者ヨハネによってイエスの十字架の苦しみを語る場面に引用されています。ちょうどイエスが十字架の断末魔の苦しみの中で酸いブドウ酒を受け、「完了した」と語った場面ですが、私はこの詩篇を読むと、イエスの心の内、つまりイエスがどんな苦しみを乗り越えたかを考えさせられるのです。というのは、イエスは逮捕されてから十字架で死ぬまで殆ど口を開きませんでした。弟子たちの誰も、彼の心の内がどうであったと書いている人はいません。けれどもメシヤ預言とされるこの詩篇はイエスが十字架にかかった時の心の中のつぶやきを考えさせるものですね。

 例えば、「私は叫んで疲れ果て 喉は渇き 目も衰え果てました。」(3節)

 また7節、「あなたのことで 私はそしりを受け 恥辱が私の顔をおおっているのです。

 そして17節、「あなたのしもべに御顔を隠さないでください。 私は苦しんでいます。早く私に答えてください。

 20節、「嘲りが私の心を打ち砕き 私はひどく病んでいます。

 イエスの十字架は私たちの罪の身代わりであったと一言で言いますが、この詩篇はイエスの深い心を代弁し、イエスがどんな苦しみを乗り越えたのかを教えてくれます。実にイエスのこの深い犠牲的な愛によって人は神と和解し、祝福を受けることができたのです。

 更に聖書全体を読んでイエスの愛の深さを知っていただきたいと思います。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.4.8放送でのお話より )

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  さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 
  
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