2022/4/2放送
「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今年、私は二つの教会の成人祝福式に出席することができました。式の中で聖書のみことばが読まれ、祝福の祈りがささげられました。成人式をおこなう時、私はいつも詩篇119篇9節のこのみことばを思い起こします。
「どのようにして若い人は 自分の道を 清く保つことができるでしょうか。
あなたのみことばのとおりに 道を守ることです。」
「自分の道を清く保つ」ということばから、私は「清く正しく美しく」ということばを思い出しました。「清く正しく美しく」とは、宝塚歌劇団の創始者である小林一三(こばやしいちぞう)氏の遺訓であるといわれています。この「清く正しく美しく」生きることは、時代遅れでしょうか。そんなことはない、と私は思います。
実は聖書で使われている「清い」ということばには、この「清く正しく美しく」という意味が含まれています。さらに、悪い行いを取り除くとか、悪事を働くことをやめるとか、罪を離れて清くなるという意味で用いられたり、汚(けが)れがないという意味で用いられることばです。
聖書は、自分の道を清く保つためには、「あなたのみことばのとおりに道を守ることです。」と教えています。これはどういうことでしょう。
高村光太郎の「道程(どうてい)」
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
自分で道を切り開くように思いますが、彼は自らの歩みについて、「自然」に期待し願っています。光太郎にとって自然は父であり「僕を一人立ちさせる」ものです。その自然に願うのです。「僕から目を離さないで守る事をせよ」 父なる自然の気迫を僕に充たせ」と。
ところが聖書は、父なる存在である自然ではなく、父なる神のみことばを守り行うことによって自分の道を清く保つことができると教えています。このような生き方は、昔も今も変わらない神が教えておられる良い生き方です。
( PBA制作「世の光」 2022.4.2放送でのお話しより )
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