♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■悲しみを見つめて / 羽鳥頼和

2017年06月24日 | Weblog
2017/6/24放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は旧約聖書の哀歌という書物からお話ししようと思います。

 哀歌は悲哀の哀、哀れむ歌と書きます。この書物はエルサレムが破壊され滅ぼされたことを悲しんでる歌を記しています。その哀歌の1章を見てみましょう。

 1章では神の都エルサレムを女王に喩えています。
 「ああ、かつて人々で賑わっていたエルサレムは、ひとり寂しくすわっている。諸国の中でも大いなる者と言われていたのに、今や彼女は未亡人となってしまった。彼女は悲しみに暮れているが、誰も慰めてくれない。それどころか友達は彼女を裏切り、彼女の敵となってしまった。彼女の内に住んでいた者たちは悩みと苦しみの内に異国に捕らえ移されてしまった。神を礼拝する所であった彼女は、うっかりさびれて神を礼拝する者がなく、悲しみに沈んでいる。」(1~4節参照)

 このようにエルサレムに起こった悲劇を覚えながら、更にこのように語っています。
 「私たちが神に背いたので神は私たちを悩まされた。私たちは神に対して多くの罪を犯した。私たちが苦しみを受けるのは当然だ。」(14節、20節参照)

 エルサレムが滅ぼされたのは自分たちの罪のためであると認めています。哀歌は単なる嘆きの歌ではありません。哀歌は悲しみを見つめながら神に捧げられた祈りです。それは人々がこのような悲劇を引き起こしたのが自分の罪であることを認めて自分の罪を悔い改め神に立ち帰ることを求める祈りです。

 悲しみについて新約聖書 コリント人への手紙第二7章10節はこのように教えています。
 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
 自分の罪を悲しみ神に救いを求めることこそ神の御心に沿った悲しみです。世の悲しみは失望・絶望をもたらし死をもたらします。罪を悲しみ神に立ち帰ろうと決心をする人を神は救ってくださいます。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。
 
 (PBA制作「世の光」 2017.6.24放送でのお話より )
 
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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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