♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし- 13 / 大嶋重徳

2017年06月01日 | Weblog
2017/6/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第二戒には、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト記 20章4節)とあります。

 偶像とは人間が刻んだ神の像のことです。ハイデルベルク信仰問答というキリスト者の信仰を表したものに、「偶像礼拝とは何ですか?」という質問があり、その答えに「唯一のまことの神に替えて、またはこの方と並べて、人が自分の信頼を置く何か他のものを考え出したり所有したりすることです。」とあります。ここでは偶像礼拝とは、「唯一のまことの神に替えて」と共に「この方と並べて」と指摘します。

 まことの神に替えて刻まれた偶像は見抜くことは比較的簡単でしょう。ああこれは偶像だなと分かります。しかしまことの神と並べて信頼を置いてしまう偶像を見抜くのは難しいことです。

 偶像を用いて神様から私たちを引き離そうとするサタンの策略は巧妙です。神様を礼拝することは素晴らしいことだよ、でも○○のことも大切にしておこうね、と神を神とすることに並べて付け足して来る価値感があったりします。つまり選択基準の中に神+アルファを迫って来るのです。

 このようにサタンの常套手段はいきなりあれかこれかを迫ってきたりはしません。そのような、あれかこれかの戦いは分りやすいからです。むしろ、あれもこれも、と神と並べ置くということを迫るのが神様から私たちを引き離し不自由な中を生きさせようとするサタンの実際的な手段です。そして私たちが日常の小さなところで、あれも大事だけどこれも、と迫られ、少しずつ少しずつ小さな敗北をしていくこととなります。そしてやがて決定的な、あれかこれかを迫られる時には既にサタンの手中に取り込まれてしまっているということが起こるのです。

 もちろん、イエス様は既にサタンに勝利されている、と聖書は記します。むやみに恐れる必要はありません。しかし私たちは十戒第二戒を読みつつ、再びサタンが奴隷の家に連れて行こうとしている事実を自覚し、私たちは神様と並べて大切にするものを持ってしまうことにも警戒していく必要があります。第二戒はこの戦いにおいて神を神とさせない偶像について強い自覚を求めて来るのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.6.1放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする