新聞の広告欄で、東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会長である森喜朗氏の書かれた、「遺書 東京五輪への覚悟」の広告を見た。
その広告文の中で、『私は肺ガンで余命1年の宣告を受けた。ーーーー2020年の開会式には、多分、私はこの世にいない。だからこそ、私は真実を書き遺したかった。本書は、私の命の血で書いた遺書である。』と書かれてあった。
東京五輪の準備について、批判の立場をとった小池知事に対する「恨みの書」めいた1冊のようだ。
広告を見ただけで、私は怖じ気ついた。
森善朗氏がなすべきは、こんなことなのだろうか?かなりのエネルギーを感じた。
私はまだ、その本を購入していない。
仮のハナシ。
私が恋をしていたとして、それが破綻したとき、私はどのように動くだろうか。
森善朗氏のように、「恨み節」を書きながら、局面打開に努めるのだろうか?
その頃の修羅思ひけり山法師 ひよどり 一平