先日、当ブログにおいて、「嘘」と「隠しごと」の違いに関し、偉そうに述べ立てた。
いろいろとご意見をいただいたが、やはり混乱してしまった。
もともと、「嘘」と「隠しごと」の定義が曖昧だったのだから、混乱するのは当然のこと。
もはや、そのような議論をするつもりはない。
ただ、惚れた男の立場を代弁すれば、そんな事態に陥入ったヤツは、「アバタもエクボ」の状態なのだから、もはやどうにも仕方がない。
「見えないもの」に「嘘」があるかも知れないにもかかわらず、「見えないもの」のすべてについて、自分にとって都合の良い「真実」だと思い込んでしまうのだから、悲劇を招きかねないではないか。しかし、これは明らかに自業自得。
今夜は酔っ払っていないのに、何を言っているのやら、さっぱりワケが分からなくなってしまった。
今朝は早起きをして東北道から奥日光へ周り、群馬県の片品村を経由して、関越道を走って帰宅。
初夏を撮ろうという魂胆だったのだが、やっぱり山はまだ春の装いだった。遠い嶺には雪が残っていた。
つい欺された気分になったのだが、奥日光や片品の山が私を欺したわけではない。私が愚かだっただけのこと。
つまり、私は欺され易い男か?
鶯がよく鳴いてくれた。人間様が勝手に「老鶯」なんぞと言って、喜んでいる。
老鶯や男体の雲初々し ひよどり 一平