新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

睡蓮の不思議

2017年05月26日 00時00分02秒 | 写真と俳句

 睡蓮は好きな花の一つです。

 蓮となると大仰過ぎて手に負えない。見ただけで、「ごめんなさい」となって終わり。

 睡蓮の語りであれば、その先々までも聞き続けたくなるのですから、不思議よねぇ。

 でも、「そして、その後はどうなった?」なんぞと聞いたってムリ。

 おしゃべりのように見えて、睡蓮は口が堅いのです。

   睡蓮や噂ばなしの蓋となり   ひよどり 一平

 もめ事の抑えも見事なもの。数多い葉っぱが役に立つらしいから、まったく凄い。

 私たちのもめ事は、いつも睡蓮に抑えてもらってる。ピシャリ!と一発です。

   騒乱を止め睡蓮の咲きにけり   ひよどり 一平

 

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界隈の風を仕切る

2017年05月25日 09時54分27秒 | 写真と俳句

 なぜか柳が好きなのです。

 「柳に風折れなし」という言葉も良いですね~。

 病気がちな私としては、「風折れなし」の自分でありたいと、強く思っております。

 でも、なかなか上手くは行かないもの。

 特に気分の面では剛直がちらしく、傍の人たちに迷惑をかけることが多いです。

 その揚げ句、自分もボキッと折れ、痛いめに遭ったりもしています。

 「三つ児の魂百まで」と言いますが、これでもかなり直してきたつもりなんですよ。

 上の写真は、よく行く公園の柳です。

 台風や強い季節風などは、地球規模の風の神様が仕切っています。

 でも、この界隈を吹く癒やし系の風は、この柳が仕切っているらしいのですよ。

     界隈の風を仕切りし夏柳   ひよどり 一平

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か弱きものぞ

2017年05月24日 16時51分02秒 | 写真と俳句

 男にとって、女は理解しがたい。

 男にとってと言っては、他の男性諸君に失礼かもしれぬ。が、私にとって、女性は難しい存在だ。

 80年余も生きて来て、女性とのかかわりでうまく行ったのは、オフクロのお腹から生まれた時ぐらいではなかったか。

 当然ながら、生まれた当時のことを記憶しているわけではない。オフクロが、「オマエは安産で生まれたんだよ」と自慢していたので、勝手にそのように思っているだけ。

 その後における女性とのかかわりでは、失敗事例は多く、成功体験はほとんどない。

 「ほとんどない」という表現は微妙。読む人によって、「少しはあるんだな}と解釈(できるところがミソ。

 もちろん、今、女性問題で困難な事態に遭遇しているわけではない。家庭に問題はないし、カノジョとも揉める予定はない。

 カノジョと書くあたりは、精一杯の見栄・虚栄です。笑わっちゃいますね。

 いずれにしても、私にとって女性は苦手な存在。

  をみならはか弱きものぞ白日傘   ひよどり 一平

 

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なんと見事な

2017年05月23日 22時54分07秒 | 写真と俳句

 私の少年時代は、戦争末期から終戦後まで続いたあの大食糧難時代だった。

 お米はもちろんのこと、農業、漁業の産物は大欠乏で、地域によっては、家庭菜園的な農業が大流行だった。

 「六三制野球ばかりが上手くなり」の時代だったので、子供達は、農業を手伝わされることには大閉口だった。

 わが家ではじゃがいも、さつまいも、玉葱などをよく栽培していたように思う。。素人なりになんとかやれたからに違いない。

 収穫はどっと一気にやってくる。イヤだったなァ。

  玉葱のなんと見事にしどけなく    ひよどり 一平

  

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欺され易い男

2017年05月22日 22時58分23秒 | 写真と俳句

 先日、当ブログにおいて、「嘘」と「隠しごと」の違いに関し、偉そうに述べ立てた。

 いろいろとご意見をいただいたが、やはり混乱してしまった。

 もともと、「嘘」と「隠しごと」の定義が曖昧だったのだから、混乱するのは当然のこと。

 もはや、そのような議論をするつもりはない。

 ただ、惚れた男の立場を代弁すれば、そんな事態に陥入ったヤツは、「アバタもエクボ」の状態なのだから、もはやどうにも仕方がない。

 「見えないもの」に「嘘」があるかも知れないにもかかわらず、「見えないもの」のすべてについて、自分にとって都合の良い「真実」だと思い込んでしまうのだから、悲劇を招きかねないではないか。しかし、これは明らかに自業自得。

 今夜は酔っ払っていないのに、何を言っているのやら、さっぱりワケが分からなくなってしまった。

 今朝は早起きをして東北道から奥日光へ周り、群馬県の片品村を経由して、関越道を走って帰宅。

 初夏を撮ろうという魂胆だったのだが、やっぱり山はまだ春の装いだった。遠い嶺には雪が残っていた。

 つい欺された気分になったのだが、奥日光や片品の山が私を欺したわけではない。私が愚かだっただけのこと。

 つまり、私は欺され易い男か?

 鶯がよく鳴いてくれた。人間様が勝手に「老鶯」なんぞと言って、喜んでいる。

  老鶯や男体の雲初々し   ひよどり 一平

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