新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

薔薇を撮る

2009年05月22日 06時00分03秒 | 写真俳句・エッセー

 私は写真撮影が好きだ。撮影すること自体が好きなのだ。

 初めてカメラに接したのは、中学生時代。昭和22~23年ごろだったように思う。

 もちろん私が所有していたのではない。カメラを買ってもらえる経済的な余裕など、わが家にはなかった。

 旧友のH君が持っていた。彼は資産家の息子だった。学校の帰りに彼の家に寄り道して、カメラをいじらせてもらっていた。

 当時は二眼レフが流行っていた。上からのぞき込むやつだった。

 近所の川へ行って、流れや石ころを撮った。美空ひばりの歌を唄いながら撮った。妙なことを覚えているものだが、曲名は覚えていない。

 脇道へ逸れるが、H君は数年前に他界した。肝臓ガンであった。

 自分のカメラを持ったのは、社会人になってからだ。昭和32~33年以降の話だ。とは言っても、さほど熱を入れていたわけではない。

 子供が生まれてからしばらくは、成長記録を撮りまくった。写真集は保管してある。

 8ミリ映写機も流行った。だから両刀使いをした。しかし8ミリフイルムは家の中に仕舞い忘れてしまった。死ぬまでに探さなくてはならない。

 そんな私だったが、25年ほど前から一眼レフに凝り始めた。まだデジタルカメラは主流ではなかった。そのフイルムは、段ボールの中で沢山眠っている。

 スキャンをするつもりでスキャナーを買ったが、もうそんな気は薄れてしまった。古いフイルムを活かすより、新しく撮ったほうが楽しい。

 写真撮影はとても楽しい。頭の中を真っ白にして取り組む。傑作を狙って撮るのだが、上手く行ったためしがない。いつもイマイチだ。それでも楽しいのが写真だ。

 不思議なもので、被写体によって撮影態度が異なる。

 モデル撮影のときは、緊張する。しかし、その緊張が楽しい。モデルさんに声をかけながらシャッターを押す。

 リードに繋がれたワンちゃんは気楽に撮れる。飼い主さんはみんな機嫌良く撮らせてくれる。むしろ自慢気だ。こちらもお世辞を言いながら撮らせてもらう。

 ノラ猫は気楽な被写体だ。彼らは緊張してウロチョロする。これには困るが、自由は奪えない。

 気楽なのは花の撮影だ。ほかの撮影者に気を使うが、被写体は文句を言わない。

 しかし薔薇だけは違う。いつも緊張してしまう。どうしてだろうか。

 薔薇には気品がある。威厳も備わっている。ある種の魔性も感じられる。

 畏まって撮らないと、薔薇に叱られそうだ。

 写真の女性、日傘を差して、長いこと被写体と睨めっこ。緊張していたのだろうか。

 私は薔薇の撮影を諦めた。代わりに女性カメラマンの日傘を撮った。

 私もかなりヘンなヤツのようだ。

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     敬ひつ畏れ入りつつ薔薇を撮る   鵯 一平

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。

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コメント (8)
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