私と同年配の女性の嘆き。
彼女は腰痛持ちだ。年に幾度かは痛みがひどくなり、病院にかかるらしい。
「年寄りなんだから、諦めたほうがいいと言わんばかりなのよ。口惜しいわよねえ」
つまり、真剣に取り合ってもらえないという嘆きなのだ。
私もそんな感じを抱いたこともあった。今でも時々は感じる。
「もう現役ではないし、寿命から言っても、その程度の苦痛は我慢してくれませんかねえ。なにしろ、高齢者の医療費も嵩んでいることだし……」
もちろん、あからさまにそんな言い方はしない。しかし、そんな受け止めをしたくなるやりとりはある。
確かにそんな言い方をされれば、なんとも答えようがない。それはその通りなのだ。
国の財政の中で、高齢者の医療費や介護費用は大問題。少子・高齢化がさらに進展するのだから、このままでは先行きが危ぶまれる。消費税のアップが論議されるのはやむをえない。
そう考えれば、「もう役割は済んだよ」と言われそうな背景はある。
「おれ達の頑張りがあったから、今日の日本があるのではないか!」
そんな思いはあるが、一方では、年寄りの愚痴を聞けない厳しい現実もある。
落葉樹が葉を落とすのは冬。だから、落葉は冬の季語となっている。
ところが常緑樹は、初夏に入ってから、徐々に葉を落とし始める。新しい葉と交代しているのだ。
秋や冬の落葉のように、飾りたてるような彩りはない。ひっそりと落ちて行く。
そんな夏落葉を、俳句では夏の季語としている。
朽ちもせずひそとも言はず夏落葉 鵯 一平
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。
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