新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
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「非戦の思い」だけでは国は守れない

2009年05月03日 07時30分08秒 | コラム・エッセー

 今日5月3日は、憲法記念日だ。

 昭和22年(1947年)5月3日、現行憲法が発布された。それを記念して、5月3日を「憲法記念日」と定めた。

 憲法には幾つかの問題点があるが、「護憲」の声が強いため、一度も改正されていない。

 かのドイツは、すでに数十度も憲法を改正しているというのに。

 時には、「日本は憲法上の制約があるので、お付き合いができません」と逃げてきた。

 今後もそのデンで逃げ切れるのだろうか。

 またある時は、「憲法解釈」でツジツマを合わせをしてきた。

 国際法上、「集団的自衛権」は自然権として各国が保有している。仲間が攻撃されたら、自分が攻撃されたと同じ立場で、対処していいとなっている。

 ところが日本の場合、憲法に抵触するという理由で行使できないことにしている。

 憲法を理由にして、「お付き合いはできかねます」と断ってきたのだ。

 日米安保条約の前文で、「(両国は)個別的または集団的自衛の固有の権利を有している」としていながら、日本は自らの手で、「集団的自衛権」を縛っている。

 北朝鮮からアメリカへ向けてミサイルが発射され、日本上空を通過しても、日本はそのミサイルを迎撃できない。日本がみずからそのように「憲法解釈」しているのだ。

 そんな解釈をしている日本を、同盟国だというだけでアメリカが本気になって守る気持ちになるだろうか。

「守ってもらえないなら、安保条約を解消すればいいではないか」

 そのような考えもあるかも知れない。しかし、それで生き残れますか?

 太平洋戦争の悲惨な経験から、「非戦の思い」が強い。それは十分に理解できる。

 もう戦争はゴメンだ。私もまったく同感だ。

 だからといって、「非戦の思い」だけで国を守れるわけではない。

 もっとも、「非戦であれば、奴隷でも構わない」と思うなら筋は通っているのだが……。

 果たしてそれでいいのだろうか。

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。

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コメント (2)
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