農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

佐倉での大豆塾、試しの試食会、収量調査

2024-10-18 15:47:40 | 日本不耕起栽培普及会
昨年は大切な大豆をウサギに食われ、フンまでされてウサギに縄張りを主張された、今年は最低ウサギ被害は抑えようと周辺にネットを張り、その効果があったことでその被害は防げた。この畑は12年目で冬には小麦で連作を回避して何とか収穫を続けている。しかし3年ほど前に永井水田の畦に作ったとき特別肥料をやらなくても鈴なりに立派な大豆がとれた。また萩谷さんが隣の雑草地だったところに無肥料で栽培を2年続けているがこれも結果が良好である。初期成育で根粒菌が育つがそれが開花するまでの栄養でその後はアンモニア熊のNが必要となる。光合成の細菌で収量が高まるようだ。
実の入りがよいところ
ネットで周りを囲っている

スーパーで市販されている最高級の味噌を買ってきてカビが生えるかどうかの実験をおこなった

2024-10-10 15:45:07 | 日本不耕起栽培普及会
確か生えなかった.衛生上の問題で殺菌してある。道の駅の味噌なら1,2カ月で表面で発生している可能性はある。
東京農大の小泉武夫さんが最終結論として「発酵食品」の奇跡として10か所ほど紹介する中に「豆味噌」という異才として三河の八丁味噌を取り上げている。この豆味噌はとても個性の強い味噌で、味が濃く、色が濃くそして栄養分に至っては牛肉の汁にも匹敵ほどのスタミナ食なのです。そのため徳川家康は強い兵隊を作るため、三河の地から豆味噌を出さなかたといをれる。今年の3月大豆だけで麹菌を増殖させ仕込んでみた。


酵素づくりの変遷農業での活用から人の飲用のために

2024-10-10 13:02:39 | 日本不耕起栽培普及会
趙漢珪(チョウハンギ)監修の天恵緑汁のつくり方と使い方を参考に30年前ころ作物や野菜に活用した。砂糖は沖縄の黒糖や糖蜜がつかわれた。それに対し十勝均整社河村文雄著の「手作り酵素」では人類の命を救うということで手作りの基本的なことを各小規模なグループでの指南を行っている。私は聞きかじりでわたくしなりに勝手につくっている。材料は個々にブドウ、梅、柿、ゆず、ドクダミ,桑、イタドリ、サツマイモの葉、夏みかん、雑草ではセイダカアオダチソウ、ヨモギなどである。砂糖は白砂糖で果糖と蔗糖のうち蔗糖がかかわっている。これらに日高昆布を細かく切っていれる。半月ほど毎日切り返しをおこない。砂糖が解ける10~20日を攪拌する。この後ブドウ、柿、梅などは酵素液を取り除いてからジャムにもできる。私の場合個別にペットボトルに小分けして保存し、朝晩少しづつ飲むようにしている。またデトックスとして松葉の葉が特に血液サラサラに役立っているということではじめている。

楽健法の山芋、リンゴ、ニンジン、ごはんを元だねとするパン作り

2024-10-09 13:02:25 | 日本不耕起栽培普及会
野菜とごはんをベースにしたパン作りを開発した山内幽嚴さんの発想は時代を超えて達人である。ホームベーカリーで280グラムの粉に150グラムの元だね大匙1の砂糖と米ぬか、小さじ1の羊水塩、オリーブオイルを1cc、水70ccでセットしてから4時間で焼きあがる。焼きあがってからは次回を考慮して箱をオリーブオイルでふきとっておく。
元だねの増量は凡そ週1程度で行う。昨年の秋巨峰のブドウの実から酵母菌を再チャレンジに挑んだが同様に成功した・粉は自国産にこだわるがグルテンの含量でふくらみを考慮すると、半々程度で我慢している。北海道産で春よ恋などの品種で市販されている。私はゆめしほうという品種を使っている。畑での栽培から挑戦している。私は性格的に大雑把ではあるがパン作りのレシピについてはある程度シビヤーに続けている。パンダネの増量は山芋、リンゴ,ニンジンとごはんでそれぞれ100グラムないし130グラム程度であとは砂糖大匙2杯、羊水塩小さじ1である。水は200ccていどである。
焼き上がりの状態
焼き上がりの後水で洗ったりしないでオリーブオイルで布で拭く
ペットボトルの大を使い上を切り雑菌を気にしながら冷蔵庫の脇で保存、ぬかずけ菌は気にかけた方がいい。
酵母菌の増量時間は2時間単位で持ち上がりお玉でかき混ぜさらに2時間置く半日置けば完成する。

イノシシ被害を考える、佐倉の実験田では敦賀さんの木酢タール液で撃退できた

2024-10-09 09:21:48 | 日本不耕起栽培普及会
昨年からイノシシ被害が始まり畦周りでミミズを探すために畦を壊された。しかし今年の春、敦賀さんの情報を得て、多古の桜宮自然公園の天井田とt-s水田で最初に木酢タール液の設備をとりつけた。佐倉では成功したのは谷津田の規模が大きく点在しているために和田地区がだめなら八木地区へと移動が可能で猪が移動していったと思われる。また佐倉の実験田ではほとんど肥料らしきものを施さず、収量も低いが猪が和田地区をあきらめたと考えられる。
一方多古の場合まず天井田で8月12日前後から入口の水田の1枚目からカメノオとコシヒカリの2枚目、さらに3枚目の満月モチと順繰りに遊ばれほとんど食いちぎられていった。池の上にある3枚の水田も稲の結実とともに狙われ、ミドリマイ水田もひばりというマッシュルームと馬糞の肥料と米ぬかを9月に入り施肥したら瞬く間に猪に入られてしまった。また公園側のt-s水田も昨年に引き継いで猪に荒らされはじめたが、こちらの水田はカメムシ被害で結実できず残念ながらイノシシも一部入られたがそれほど食われないで残っている。従来と異なり肥料のやり方を変えたことがカメムシを呼び込んだ可能性がある。いづれにしてもイノシシ騒ぎで多古のコメは壊滅状態で終了した。多古の場合すでに7,8年前から天井田で畦が壊され被害があったが見逃していたことが猪に居住権を許していたのではないか、最近になって2匹罠で捕獲されて猪汁をいただている。写真は天井田を出入りする1頭の親と5匹の子供です。
植木屋の畑から降りてくる
5匹のイノシシに遊ばれてその後実を食べられた。