農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

埼玉訪問記

2009-05-18 06:57:52 | インポート

田植えで忙しく埼玉訪問記が中途半端でありましたので改めて記載します。今年の多古桜宮公園での田植えは天候の関係で苗の育ちがよく昨日ほぼ終わりましたが遅すぎた感がありました。

埼玉県さいたま市緑区内の見沼田んぼを小林節子さん

村上明夫さんに案内していただく

見沼田んぼは1,260haあるが、実際に栽培されている水田は7%しかない。減反政策や後継者不足などで畑作転換が行われている。湿地としての水田と畑地の植木とで水田に水を入れる、水を入れないで、特に冬期湛水は慣行のイネ栽培農家から、なんの根拠はないが植木が根腐れするから、といやがられている。

しかし、首都圏から25km範囲に一千万トンの貯水池として残されたことは大きい。バブルの頃は東浦和駅近くで坪100万円するのに見沼田んぼ内の水田農地の売買価格は2万円にしかならず、不公平感が高まった。そこで埼玉県や関係者が協議会を作り農家が耕作できなくなった田んぼを公有地として借り上げたり買い上げたりする制度を作った。

この制度で借り上げた公有地の田んぼで、小林さんのグループ(NPO法人見沼じゃぶじゃぶラボ)が不耕起栽培でのお米作りをしている。これらの土地の借り上げ費用は10a当たり8万円は県が見沼環境創造基金(埼玉県&さいたま市が拠出)から農家に支払っている。

ところが農家によってはこれでは安すぎるからと、公有地とした農地を止めて、直接、農家が土地を貸すという事例も出ている。

見沼代用水は享保6年徳川吉宗の時代、利根川大堰を作り82kmの用水路を半年足らずで完成させた。当時の農民のエネルギーは凄いもので今のように重機などない時代であるから凄いと思うし、上流と下流とから同時に工事をはじめて開通させた誤差がほとんどなかったと言われている。建設から300年経った今も現役で利用されている。この頃は幕府が財政難を立て直すために盛んに新田開発を行い、見沼田んぼもその時開削された田んぼです。

NPO法人「見沼保全じゃぶじゃぶラボ」

水=湿地の意味を含んでいる。「海は命の母、湿地は命のゆりかご」

高度成長が始まる前までは、見沼のほぼ全域が田んぼでした。「水っぽかった」わけです。

生き物と田んぼの共存を目指し「不耕起移植栽培」のお米作りを始めました。一緒に活動する人を募集中です。

小林節子さんは自然耕塾2004年の修了生で自宅の二階を開放して、8畳ですがそこで10a分の苗を作っておられる。カメラをセットして定点観察もできるようにしている。

水田での水苗代にも挑戦したそうですが、水田を作った場所が悪く水位を一定に保つことが難しかったそうです。

岩澤信夫さんの不耕起湛水化栽培を何とか定着させたいと努力されております。

昨年はアフリカの陸稲でネリカ米にも挑戦、海外との交流も視野に入れて日本の水利技術-エネルギーを使わない伝統文化の掘り起こしも行っている。

(※本文は小林さんに一部追記修正していただいています)