波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

いよいよ東濃の山城を歩きます!

2022-09-07 00:49:55 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の終盤に、の白黒茶々家の1人と2頭は岐阜県恵那市にある岩村城跡に行き着きました。 実際には、山頂近くの出丸跡の駐車場からお城の最深部となる本丸跡に入っていったのですけど、いきなりクライマックスから始めるのはナンなので、お城の登山道の正面入口となる追手門跡にまでワープさせていただきます。 麓から登山道を登っていくと、一の門跡土岐門跡を経て………

木々の間に、追手門跡の高い石垣が見えてきます。 かつてはそこまで木橋が架かっていて、石垣の上には………

天守に相当する三重櫓が聳えていました。 そこは城下町からよく見える位置でもあって、防御と見栄えを兼ね備えていたみたいですね。
岩村城は文治元年(1185年)に、源頼朝の家臣の加藤景兼によって築かれました。 のちに景兼は姓を遠山と改め、お城は明治初期まで700年も存続しました。 その間に改築がおこなわれ、今日見られるような総石垣の近世城郭となりました。そんな岩村城は、高取城備中松山城とともに日本三大山城に数えられています。

さらにその先に進んでいきますよ 左手に、八幡曲輪の石垣を見ながら歩いていくと………

霧ヶ井という井戸に行き着きます。 こちらは城主専用の霊泉で、敵が攻めてきたときにこの井戸に城内秘蔵の蛇骨を投じると、たちまち霧に覆われて、お城を守ったと云われています。 岩村城の別名の霧ヶ城は、ここからきているみたいです。 さらにその先には………

二の丸菱櫓跡の石垣に行き当たり、そのまた向こうには………

岩村城の中でも見応えがある、六段壁が見えてきます。 もとは段差のない高い石垣だったのですけど、崩落を防ぐためにこのような形に改められたそうです。 せっかくなので………

そのあたりの復元CGも載せておきます。 前回の日記の最後でも触れたのですけど、岩村城の案内板のQRコードをスマホカメラで読み取ると、音声によるお城の解説と一緒に、かつてのお城の姿を見ることができるのですよ

東曲輪跡から見た本丸の長局埋門の石垣も、壮観ですね。

そして、私たちは本丸跡に行き着きました。 こちらは山頂の広い空間ということもあって、解放感があります。

さらに石垣の端からは、まわりの山々や麓の城下町を臨むことができます。 岩村城は標高717mの山頂にあるのですけど、城下町との高低差は180mぐらい。 それにしても、狛は高いところでも平気みたいですね。 岩村城の山上部は以上で終わりなのですけど、せっかくなので麓の藩主邸宅跡にも寄っていくことにしましょう

のちに岩村城の城主となった松平家乗は居館を麓のこの地に移し、城下町も整備しました。 ちなみにその家は大給(おぎゅう)松平氏で、徳川家康の遠い親戚にあたります。 その藩主邸宅跡には、平成2年(1990年)に太鼓櫓表御門などが復元されて………

岩村歴史資料館も設けられています。 今回、私は4半世紀ぶりぐらいにこの建物に入りました。

また藩主邸宅跡の向かいには、銅像公園なるものがあるのですよ。 ひっそりとしていて知る人ぞ知るところなのですけど、坂を上ったところには………

銅像がない いえ、実は太平洋戦争中に金属供出で撤去され、台座のみとなっているのですけど………

そのすぐ近くに、昭和60年(1985年)に地元の内外から寄付を募って、2代目の像が建立されました。 そのモデルとなったのは、犬養毅氏……… に似ているのですけど、違います。 この岩村の出身で、明治~大正期の政治家で実業家でもあった浅見與一右衛門(あさみよいちえもん)氏にございます。 彼は岐阜県議会の議長や衆議院議員を勤め、私財を投じて岩村電気軌道を開通させるなどして、岩村地区の発展に尽力しました。 そんな浅見氏の功績を讃えたら、お昼を食べながら次の山城に向かいますよ とはいっても、朝にTKGMを食べ過ぎたこともあって、あまりお腹は空いていませんでした。 このあたりの名物の五平餅を1本食べれば充分なぐらいなのですけど………

中津川市に入ったところにある、事前に調べてあった愛夏さんというカフェに入っていきました。 もう13時半を過ぎていますし、これから山城を歩いてカロリーを消費するので、ここでしっかりと食べておくことにしましょう。 それからしばらくして………

私が注文したメニューが運ばれてきました ご覧の通りオムライスのセットなのですけど、よく考えてみたら朝も卵と御飯の組み合わせだったような。 しかも、写真では分かりにくいのですけど、かなり大きいです。 玉子は少なくとも4コは使っていますね。 そういえば、こちらのお店はデカ盛りで知られているようなことも言われていました。 このメニューは550円と格安だったので、そのぶん量が少ないと思っていたのに、思惑が外れました。 大盛りなだけに大味かと思いきや、美味しいですね。 さすがに全部は食べきれないので、ある程度のところで「ゴメンナサイ 」するつもりだったのですけど、結局頑張って食べきってしまいました。 そのあとは、そこから程近いところにある………

苗木城跡に行きました。 こちらのお城は標高432mの山頂に築かれた山城なのですけど、木曽川との高低差は170mくらい。 さらに上がったところにある苗木遠山史料館からはもっと近く、その駐車場からは歩いて15分程でお城の入口まで行き着くことができます。

………ということで、苗木城が 見えてきましたよ 私は先ほど食べ過ぎて、そんな状態で坂道を登っていったら気持ち悪くなって吐くか、お腹を壊してトイレに直行する恐れがあったのですけど、今のところは大丈夫みたいです。

入ってすぐのところに、足軽長屋の跡がありました。 そこから苗木城の主要部が臨めるようになっていて、オススメの撮影スポットにもなっていました。 ちょうどその背後に恵那山が見えるのがいいですね。

さらにその先に進んでいったら、三の丸の正面入口で防御上でも重要だった風吹門の跡が見えてきました。 そこを通過すると………

大矢倉跡の石垣が聳えています。 自然の巨岩を巧みに組み込んでいるところも、いいですね。 そうしたら、その石段を上ってみることにしましょう。 私たちが大矢倉跡から見た景色は………

このようになっていました。 苗木城の本丸周辺を、先程よりももっと近く、俯瞰して眺めることができました。 ………と、苗木城の核心に迫ってテンションが上がったところで申し訳ないのですけど、このあたりで「次回につづく」を宣言して、今回の日記のエンディングと次回の予告に入らせていただきます。 そういえば、苗木城の歴史などの説明もまだしていませんでしたね。 なので、そのあたりのことも次に持ち越させていただきます。



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