こんばんは、白黒茶々です。
私は歴史散策が好きでお城などに行ったりするのですけど、そこに建物がなくてもOKです。 その跡に立ち、かつて栄えていた姿を想像すると、ロマンを感じることができるのですよ。 今まではお城以外にも、国分寺などの寺院の跡や廃校を訪れたりしたのですけど、これが廃線だったらどのように感じるのでしょうか?
………ということで、3月最初の日曜日となる7日に波と狛を伴って、袋井市の南部の旧浅羽町にやって来ました このあたりには、遊歩道となっている細い道が続いているのですけど、そこをしばらく歩いていったら………
「芝」という駅名看板のようなものに行き着きました。 赤いダルマも気になるのですけど、実はこちらは………
昭和45年(1970年)まで静岡鉄道駿遠線という軽便鉄道が走っていたのですよ 軽便は線路幅が766mmしかないミニ列車で、袋井市の新袋井駅から静岡県西部の沿岸部を経て、藤枝市の大手駅までを結んでいました。 64.6㎞の路線距離は、軽便としては日本一 その間にあった54駅(臨時駅や貨物駅を入れると56駅)のうちの1つとなる芝駅が、このあたりにあったのですね。
そうしたら、この勢いのままその次の「あさな」という駅跡に向かいましょう
なんか列車のような構造物があって、駅跡という雰囲気ではないですね。 実はこれらは、駿遠線の軌道から少し外れた浅羽記念公園の中にあって、駿遠線をイメージしたモニュメントのようなものであります。
その客車も、休憩所というか東屋のようになっておられる。 実は、ここから250mほど北西に行ったところに………
本来の浅名駅があったのですよ。 駅名看板の大きさが控えめなのは、先ほどの公園の模擬駅に遠慮しているからでしょうか? とにかく、浅名駅跡の現状を確認できたので、そのまた次の「いごおか」に向かいます。 皆さまはそいつを漢字で書くとどのようになるのか予想しながら、私たちに付いてきてくださいませ。 軽便の軌道跡を辿って、図書館の敷地を突っ切り、信号を渡って………
さらに延々と続く遊歩道を進んでいったら………
五十岡駅跡にたどり着きました こちらは駿遠線の中では、最も良好な状態で駅のホームが残っているのですよ そうしたら「いごおか」の次は「しんおかざき」にございます。
その新岡崎駅跡は、現在はこのようになっています。 五十岡のような駅の面影はないのですけど、きれいに整備されていますね。 この勢いのまま、次の「しんみわ」に向かいましょう
「えっ、これだけ 」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんけど、駅名の表示があるだけでもヨシとしておいてください。 それによると、次は「いしづ」になりますね。 もちろん、そちらがどのようになっているのか確かめに行きますよ
え~と……… 路地に入ったところが駅の跡なのですけど、民家の敷地となっているところにホームの一部が残っていました。 石津駅があったことを示す看板のようなものはなく、知らなければ素通りしてしまう……… というか、わざわざ入ってきて確認することもないでしょう。それから、このあたりから軌道があったところも分かりにくくなっていました。
次の七軒町駅跡はただの草むらで、旧浅羽町から違う自治体に入ると、駿遠線跡の扱いに温度差があるようです。
私たちが見てきた駿遠線の駅跡は以上で終わりなのですけど、最後のあたりは締まらない展開となってしまいました。 それから、私たちはそれらを歩いて訪ねていったような感じになっているのですけど、ほとんどのところは近くまで車で行き、見つけてあった駐車スペースから迫ったのでした。 なので、実際に歩いたのは浅名~五十岡間の約900mの往復で、五十岡駅跡のあたりだけは車を止められそうなところがなかったので、そのようにしました。 それでも、その区間の軌道跡はきれいな遊歩道となっていて、かつての軽便鉄道の姿を思い浮かべながら波&狛と散策することができました。
それから、廃線の探訪は思っていた以上に見応えがありました。 ということで、次回はその軌道跡を辿っていきながら突入していった、遠州横須賀のお城の様子などをお伝えします。
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