波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

浜松まつり傍観

2021-05-29 02:08:43 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

今年の梅雨は1ヵ月ほど早く、それに伴って皆さんの気分は夏に向かっていることと思いますけど、波狛日記はようやくGWに入ったところです。 今年のGWは、昨年のような海岸の駐車場や公営施設が封鎖されるようなことはなかったものの、コロナに気を配らなければならない状態は続いていました。 そういうこともあって、私はその期間は近場で過ごすことにしました。

私の地元の(隣の)浜松市では、毎年GWには浜松まつりがおこなわれていました。それは初子の誕生を祝って、地域が一体となって巨大な凧を揚げたり、豪華絢爛な御殿屋台を引き回したり、大勢で練り歩いたり、押しくらまんじゅうのような激練りをしたり、……… と、かなり賑やかでパワフルなイベントであります。 しかし、密を主体としていたこともあって、昨年は中止に。 今年も厳しい状況だったのですけど、条件付きで凧揚げのみおこなわれることになりました。

その条件とは……… 各町内はお互いに距離をとって、時間帯も分散して凧を揚げることに。 また密集を避けるために、凧の糸切り合戦も禁止されました。それから、凧揚げ会場では水分補給以外の飲食は禁止に。 さらに一般の客の立ち入りを禁止し、関係者のみ入れるようにしました。 例年浜松まつりには174もの町内が参加していたのですけど、厳しい状況や条件の中で辞退するところが続出し、今年は97にまで減りました。 今まで、私はたつぴとともに、親戚のつてを頼って萩丘というところで、まつりの士気を高めるラッパ隊として参加していました。しかし、飛沫を防ぐためにラッパは禁止され、私たちの出番はなくなってしまいました。 それよりも、今年の萩丘はどちら側になるのでしょうか? そのことをその町内のラッパ隊の隊長に聞いてみたら、参加する方向で準備を進めているという返事がありました。 それならば………

5月3日の朝、私はを伴って浜松まつりの凧揚げ会場となる中田島の遠州灘海浜公園に向かっていました。 その周辺は、まつりの開催期間中は地元民と関係者以外の車の乗入れは禁止されていたので、1.5kmほど離れたところから歩いていかなければなりませんでした。

さらに私たちは、海岸に沿うように造られた防潮堤に登っていきました。 その上を、東に向かっていったら………

凧揚げ会場が見えてきました。 そうです 私たちは会場を一望できるこの防潮堤の高台から、浜松まつりを観ることにしたのでした。 その会場では、凧より先にテレビ局や新聞社のヘリコプターが飛んでいて、開会式の前の独特の雰囲気が漂っていました。

なんとなく予想していたのですけど、そこにはすでに私と同じことを考えていた方たちがたくさん押しかけていました。 それから間もなくして………

浜松市長による開会宣言を合図にして、一斉に大凧が上がりました。 完全ではなかったのですけど、久しぶりにその光景を見てグッときました。

そういえば、我らが萩丘の凧は……… この時点では見つかりませんでした。 それはさておき、この日はちょうどいい感じで風が吹いていて、凧はかなり高いところまで上がっていきました。

そうしたら、今度は凧揚げ会場の地上の様子を観察してみましょう すぐ手前では、凧を揚げる準備をしていますね。ちなみに「ひ」の凧印は広沢という町内で、向こうに見える天狗の団扇もみじの葉は三組町のものにございます。

そうしているうちに、山下町が練りを始めました。 お互いの距離を取りつつ、声のボリュームも控えめにしていますね。 なかにはラッパや太鼓の演奏をあらかじめ録音してきて、スピーカーで流すという、ハイテクな町内もありました。

それらの様子は眺めているだけでも楽しいので、ずっとここにいたいです。 しかし、大会初日となるこの日は午前と午後にそれぞれ2時間ほどおこない、残りの2日は午前のみの短縮した開催となっていました。それに、私たちには次に行くところがあるので、そろそろ会場(を見渡すことができる防潮堤の上)から退散しなければなりません。 しかし、そのまま帰るのもナンなので………

地上レベルで、ギリギリ近付けるところまで迫ってみました。 このあたりは例年なら各町内の陣屋がひしめき合っているところなのですけど、何もないとだだっ広く感じてしまいます。 その向こうでは、凧の準備がおこなわれていますね。

浜松まつりの今回の開催には賛否両論あり、感染の予防策が徹底されている中でおこなわれて、「そうまでしてやる意味があるのか?」という意見もあったのですけど、私はやってよかったと思っています。 まつりには地域が一体となって一つのことを成し遂げる要素もあり、それには老若男女の垣根はありません。それに私たちのような市外からの参加希望者も、温かく受け入れてくれますし。 あと、凧揚げの技術や士気も受け継いでいかなければなりませんし。
本来のまつりの姿には程遠いのですけど、これからコロナが終息していって、来年は今年以上、再来年は……… と、少しずつでも復活していき、私たちラッパ隊の出番が再び来ることを願っています。


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 「そういえば萩丘の凧はあったのか?」ということを気にされていた方は、こちらに投票してやってください。結局、見つけられませんでした、ぴえん(涙)


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