波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

銀ちゃ、ありがとう

2020-12-02 02:09:37 | ニャンコ

こんばんは、白黒茶々です。

11月17日に日付が変わって間もない午前1時40分頃に、白黒茶々家の最年長の猫のが帰ることのない旅に出てしまいました。 享年10歳2ヶ月。

彼女は、ウチで初めてのペットとなる猫の茶々を亡くしたことによって、ペットロスとなった箔母さんのたっての希望で飼うことになった子でした。 サバトラの銀毛で、前にいた保護団体のもとでは「シルバーちゃん」と呼ばれていました。さらに、小さいころの彼女は「水戸黄門」のかげろうお銀のようにすばしっこかったことから、私たちは「」と名付けました。それから10年近くもの間、彼女は私たちのウチの子でいてくれました。

猫は20年は生きるとされているので、銀の10年は短い生涯でした。 とはいっても、彼女がウチに来たときの白黒茶々家は、ワンコはまだ、ニャンコはだけでした。その後はいろんな変遷があって、犬2頭、猫4匹の体制で落ち着きました。 その一方で、小学5年生だったたつぴが大学3年生になっていて、我が家の歴史を振り替えると10年は長いようにも思えます。 いずれにしても、その歴史の中で銀は存在を示してきました。

しかし、今年の夏ぐらいから腎臓の機能が低下し、通院や投薬、食事療養などを続けてきたのですけど………
その前日の朝はまだ自分で歩いていたのですけど、次第に動けなくなっていきました。夜には銀にこたつ布団をかけて、家族みんなで寄り添っていました。 それでも、彼女の呼吸は落ち着いていて、箔母さんが呼び掛けると、尻尾で返事をしてくれました。さらに夜は深まり、箔母さんとたつぴはこたつで横になったまま眠ってしまいました。 そのような中でも、私だけは起きていて、録り貯めた番組を観ていました。 しかし私は、銀はあまり長くないとわかっていたので、時々彼女の様子を窺い、ホッとするという動作を繰り返していました。「まだ大丈夫そうだから………」番組が終わるまで間を置き、改めて見てみたら、彼女はもう息をしていませんでした。
「銀ちゃ、銀ちゃ 」私の悲痛な声で箔母さんとたつぴはハッと目を覚まし「なんで、さっきまで生きていたのに………」銀を亡くしたうえに、看取れなかったことも嘆いていました。彼女が生きていることを私が最後に確認したのが、日付けを跨いだ11月17日の午前1時30分だったので、1時40分ぐらいに逝ったと思われます。

あまりにも静かな最期で、安らかに眠るように旅立ったのが、せめてもの救いでした。箔母さんとたつぴはその瞬間に立ち会えれなかったとしても、すぐ近くに寄り添って寝ていたので、私よりはよかったのでは。きっと銀も、彼女らがいたおかげで安心して逝くことができたと思います。 その日は供える花などを用意したりして、送る準備をして………

その翌日の18日に、銀を野辺送りすることにしました。 彼女が元気だった頃、波とはよく闘っていましたね。 「波、狛、銀ちゃ死んじゃったよ」

ワンコは死というものを理解できるのかどうかわからないのですけど、亡き骸となった銀を見ている彼女らの顔が、どこか寂しげに見えました。

10年近くもの間、銀は私たちに癒しと安らぎを与え続けてくれました。また、たちにとってはいいお姉さんでもありました。銀ちゃ、ありがとう。あちらに行ったら病気のことは忘れて、最期は食べられなかったご飯をお腹いっぱい食べて、先輩猫の茶々黒ちゃ蒼ちゃらと一緒に私たちのことを見守ってください。

あと、私には後悔していることが……… 一緒に出掛けられるワンコとは違って、猫はあまりにも日常生活の中に溶け込んでいることもあって、あまり銀の姿を写真に残していませんでした。 彼女がいる毎日が当たり前のようでも、実はそれは奇跡の連続で、有り難いことだったのです。これからはそのことを肝に銘じ、遺されたたちとの日々を送っていきます。


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