こんばんは、白黒茶々です。
新年度に入ってから、あちこちでワンコイベントがおこなわれるようになりました。 それらの中で、私は4月28日の日曜日に三重県の津市で開催されるオフ会に参加することにしました。 もちろん、波と狛も一緒ですよ 本格的なオフ会はかなり久しぶりで、狛にとっては初めてということに。 その時季は天気が不安定で、予報が二転三転したのですけど、数日前から晴れで落ち着いたので、雨の心配はなさそうです。
………ということで、私たちはその前日の夜に自宅を出発しました。 最初に立ち寄ったところは、伊勢湾岸自動車道の刈谷パーキングエリアこと刈谷ハイウェイオアシス。 目指している津市は日帰りでも行けないことはないのですけど、そのようにすると常に集合時間に遅れる心配が付きまといますし、1日で全ての移動距離を走るのはイヤなので、夜立ちにしました。 さらに私たちは高速道路を走っていき、みえ川越インターチェンジからは一般道に入っていき………
0時20分頃に、津市内にある道の駅津かわげに行き着きました。 これからこちらで車中泊をするのですけど、この時間帯なのに駐車場は満車となっていました。 みんなして、私たちと同じ手法を取っているのでしょうか? それでも、道の駅の坂を下った砂利の広場に止められたので、そこで野宿、いや、夜営をすることにしました。
おはようございます 皆さまのお目覚めは、いかがでしょうか? 私はそこそこ寝られたと思います。 翌朝は波と狛を連れて、道の駅の周辺を散歩しました。
まだ5時台で、開店の準備をしているところですけど、改めて紹介いたします。 道の駅津かわげにございます。 こちらは伊勢方面などに行く際には立ち寄りやすいところにあるので、普段から賑わっているみたいです。
そのあとは波と狛にご飯を食べさせて、道の駅が開くまで待ちました。 そうしたら、開店と同時に店内へ
その一角には、食事ができるレストランのコーナーが設けられています。 こちらでの目的は……… もちろんモーニングですよ そういえば、4月のモーニングは5回目になりますね。 それは日曜日の数より多く、私のモーニング史上月間最多記録となりそうです。
道の駅津かわげのモーニングは洋食と和食がそれぞれ2種類の、合わせて4種類あります。 洋食のうちの津ぎょうざ給食プレートは、ドリンクバーの代わりにパックの牛乳が付いていますね。 また、ちょっと豪華な焼き魚定食は、旨味が凝縮された干物の焼き魚がメインで、御飯が進みそうです。 それらの中で、私が選んだのは………
和食のうちの卵かけ御飯(500円)でした 正確には、前から心に決めてきたメニューですけど、説明するまでもなく卵かけ御飯がメインとなっています。 そうしたら、溶いた卵と醤油、御飯をぐちゃぐちゃに混ぜて………
いっただきま~す 専用のスプーンも付けてくれるなんて、優しいですね。 さらにドリンクバーも付いているので、温かいのと冷たいのを納得&満足いくまでいただきました。 TKGMで朝の活力を注入した私は、波と狛を伴って………
津市の中心部にある、津城跡にやって来ましたよ 実は今回夜立ちにしたのは、オフ会の前にこちらに寄る時間を確保したかったという理由もあります。
まずは、東鉄門跡に建てられた模擬櫓の前で写真を撮っておきましょう こちらの櫓は丑寅櫓跡から近いこともあって、同じ名前で呼ばれることもあるのですけど、異様に小さくて過去には明らかに存在しなかった模擬建築です。 それでも、今ではすっかり津城のシンボル的な存在となっていて、私もこちらを訪れた際には、必ずカメラに収めています。 その模擬櫓を仰ぎ見つつ、本丸跡に入っていくと………
藤堂高虎の騎馬像があります。 正面だけではなく、ナナメ前から撮ろうとしても、木の枝葉に阻まれるので、こちら側しか写すことができません。 津城は天正8年(1580年)に、織田信長の弟の信包によって築かれました。 さらに慶長16年(1611年)、今治からこの地に移封されてきた藤堂高虎によって大改築され、今日見られるような姿となりました。
その本丸の西南隅には、天守台の石垣があります。 その隅が、長い石を交互に重ねていった算木積みとなっていますね。 津城には、織田信包によって5層の大天守と小天守が築かれたのですけど、関ヶ原の戦いで焼失してからは再建されなかったとされていました。 そうしたら、この天守台は藤堂高虎によって築かれたので、その上に天守が建てられなかったということに。
ところが、近年になって津城の天守が描かれた絵図が発見されたのです 3層の大天守に2層の小天守が併設されていますね。 しかも、藤堂高虎時代の津城の様子を表すもので、信憑性はかなり高いときたもんだ
かつての津城は、広大な水堀に囲まれていました。
しかし、天守台の外側の水堀は埋め立てられたうえに建物が接近しているので、その上に天守の建物を思い描くのは難しいです。 それと、埋門跡(石垣の間から石段が出ているところ)のあたりに犬走りの名残りがあるのですけど、そこで実際に波と狛を走らせるのを忘れていました。
それはさておき、私たちは本丸の西側にある西丸に回り込みました。 その二階門跡に続く土橋を渡っていくと………
西丸の敷地内に、朱色の門があります。 これは入徳門といって、江戸時代後期に藩校有造館の講堂正門として建てられました。 明治以降は学校の正門などに活用され、市内を転々としてきたのですけど、昭和46年(1971年)に現在地に落ち着きました。
西丸から本丸の北側のあたりまでは、幅が縮められながらも水堀が残されていて、そのお堀端を歩いていったら………
津城では最大規模の、高い石垣を臨むことができます。 ちなみに向かって右端が丑寅櫓跡、東端が戌亥櫓跡です。 それらの石垣の上には本丸側から上ることができるのですけど………
かなり高いので、そこから下を見ると足がすくみます。 くれぐれも石垣の端っこでクラっとならないようにお気をつけくださいませ。 私たちによる津城見学ツアー(?)は、以上で終わりです。 このあとには今回の目的でもあるスピッツのオフ会が控えているのですけど、その会場ではどのような出逢いや触れ逢いがあるのでしょうか? 次回の日記まで、楽しみにしていてください。