グッドモーニング!白黒茶々です。
今までの箔波日記は深夜のラジオ放送で視聴者の皆さんに語りかけるイメージで綴ってきたのですけど、今回は朝の生放送の気分で入らせていただきます。 ということで、皆さまはよいお目覚めだったでしょうか? 私のほうはというと………
和歌山市のCITY INN WAKAYAMA(シティ イン 和歌山)さんで電車旅の2日目を迎え、ホテルに併設されているレストランに一番乗りをしました。 こちらはビュッフェスタイルなので、和洋を問わずに食べられるだけ盛っておきたいですね さらに、コーヒーの類は3杯いただきました。 朝の活力を注入した私は、和歌山駅前からバスに乗っていき………
和歌山城の大手門の前に行き着きました。 こちらの門はお城の正門で、昭和58年(1983年)に復元されました。 この時点では小雨が降っていたのですけど、散策には問題ありません。 それでも、まだ時間に余裕があるので………
和歌山城の外側をぐるっと回ってから、入ることにしましょう。 まずはお城の東南側から、お堀を隔てて石垣や土塀、山上の外観復元された大天守が眺められる景観は、是非見ておきたいです。
江戸時代初期に建てられ、国の重要文化財に指定されている岡口門からも、大天守を臨むことができます。
和歌山城の南側には小高い丘があって、その山上には奥山稲荷社と岡山の時鐘堂が設けられています。 そのうちのこちらの時鐘堂は、正徳2年(1712年)にその時の紀州藩主の徳川吉宗によって建てられました。 さらに、その高台からは………
砂の丸の高櫓台の石垣の上に大天守を俯瞰する絶景が、私の目の前にありましたよ 稲荷社と時鐘堂の隣接地には、巨大な和歌山県立近代美術館があって、さらにその前の歩道には………
マツケンさん……… ではなく、8代将軍徳川吉宗公の騎馬像が立っています。 「暴れん坊将軍」を意識してるのは明らかなので、その主役を演じた松平健さんがモデルとなったといっても、いいのかも。 さらに私はお城の西側に差し掛かり………
砂の丸の入口の追廻門をくぐっていきました。 朱塗りのこの門は現存していて、市指定文化財。 ここからいよいよ城内の散策に入るのかと思いきや………
再びお城の外に出ていました。 その向かいに令和3年(2021年)10月末にできたばかりの和歌山城ホール5階の展望テラスからは………
先程の稲荷社や時鐘堂があった丘とは逆方向。 お堀と二の丸跡の向こうに、大天守、小天守、御台所、北多聞、乾櫓など、天守郡の一連の建物を臨むことができるのですよ この風景は、和歌山城を訪れた際には必ず見ておきたいです。
この周辺には、お城の見応えスポットがたくさんあり過ぎてなかなか城内に入っていけませんでしたけど、今度こそ本当にその核心に迫っていきます。
………とはいっても、まずは西の丸の内堀に沿って造られた紅葉溪庭園から入らせていただきます。 こちらは、虎伏山の急峻な地形を巧みに利用し、精緻な石組を配した回遊式庭園であります。
お堀に突き出すように建てられた楼閣は鳶魚閣。 この庭園は国の名勝に指定されています。 また、その西の丸と二の丸を繋ぐ通路として造られたのが………
こちらの御橋廊下であります 残された図面や発掘調査の結果などをもとにして、平成18年(2006年)に復元されました。 渡る様子を外から見られないようになっていて………
現在は、靴を脱いで歩いていけるのですけど……… 高低差のあるところを坂道状に造られ、床は滑り止めのために鋸歯状に板が敷かれているのですよ。 「いたっ、いたっ、………」なので、心地よい痛みを感じながら進んでいかなければなりません。
和歌山城が築かれた虎伏山の麓には、「虎伏像」という虎の像が鎮座。 なんか、顔に愛嬌を感じますね。 私は北海道日本ハムファイターズの選手にあやかって、勝手に「とらいさん」と呼んでいました。
こちらもお城の見応えスポットの、松の丸櫓台の高石垣です。 この圧倒されるような石垣を眺めながら天守郡に近付く………
………前に、せっかくなのでそこから近いところにある、和歌山城公園動物園に寄っていきましょう 今となっては、お城の動物園は数少ない貴重なところで………
小規模でさすがにトラなどの猛獣はいないのですけど、ヤギやウマなどの動物と逢うことができます。
それだけでなく、ペンギンやフラミンゴといった鳥類や、ウサギ、カピバラさんなどの齧歯目も
この動物園では紀州犬が飼われていて、ふれあいタイムで交流できるという情報を掴んでいました。 実は私は、朝にお城を嘗めるように廻っていた際には、動物園のスタッフがその紀州犬を散歩させているのを見かけたのですよ。 「のちほど動物園で逢えるね 」と楽しみにしていたのですけど、この日は暑さのため、ふれあいタイムは中止となってしまいました。
お城動物園をあとにした私は、和歌山城の散策に戻りました。 先程の松の丸櫓台の高い石垣に続く坂を上っていき、さらにそこよりも高いところを目指していきました。 お城の主要部が築かれた虎伏山は2つの峰となっていて………
まずは本丸跡のほうに上りました。 こちらはかつて本丸御殿があったところで、大天守と小天守を臨むことができるのですよ
前置きがかなり長くなってしまいましたけど、ようやく天守郡の下に行き着きました。 これまではあらゆる方向からこれらの建物を見てきましたけど、今度はそこからの眺望を楽しみます。
和歌山城のシンボルともいうべき天守郡は、江戸時代中期に黒板張りから白壁に改められました。 しかし、弘化3年(1846年)に落雷で焼失。 その4年後に再建された2代目の天守も、昭和20年(1945年)の空襲で焼けてしまいました。 現在の建物は、昭和33年(1958年)にRC構造で外観が復元されました。 そうしたら、410円の入場料を払って、その内部に入りますよ 皆さまも是非、私のあとに続いてくださいませ まずは石段を上っていき、楠門(二の門)をくぐって………
2重櫓や多聞櫓に囲まれたエリアに入りました。 手前の納戸蔵も戦後に外観復元されたのですけど、内部はトイレとなっています。
小天守の内側には、唐破風屋根の立派な玄関が設けられています。 こちらが天守郡の正式な入口となります。
和歌山城の大天守は、土台築造の技術が発達していなかったり、地形に合わせたりして、初階の平面は矩形ではなく不等辺四角形となっています。 なので、向こうにいくに従って狭くなっていくのがおわかりでしょうか?
また、3層天守としては規模が大きく、最上階もこれ程までにゆったりとした広さです。 さらに外側を廻る回廊に出ると………
和歌山市街はもちろんのこと、その向こうに紀の川の河口も臨むことができます。 現在の大天守には転落防止用のフェンスが設置されているのですけど、本来の高欄の高さは60cm程。 私の膝くらいなので、もし補助のフェンスがなかったら、優雅にまわりの展望を味わう余裕はなかったかも知れません。 それはさておき、小天守の屋根を見たら………
その鯱の上に、カラスが乗っていましたよ ある意味貴重な絵なので、勝手に撮らせてもらいました。
あとは順路に従って、天守郭を囲う多聞櫓などをぐるりと回りつつ降りていくだけです。 和歌山城は大天守・小天守と、乾櫓・二の門櫓の2つの2重櫓を多聞櫓で繋げた連立式の構造をしています。 姫路城や松山城も同じ形式で、いずれのものも小高い丘の上にあって、景観的にも意匠的にも素晴らしいです。 先述した通り、和歌山城はRC構造で再建されたのですけど、なぜか楠門(二の門)の部分だけは木造なのですよ。
その頃、台風7号が本州に迫ってきていました。 その情況によって、あとの予定を変えることも考えていたのですけど、果たしてどこまでいけたのか?それよりも、私は無事に帰れたのでしょうか? 泣いても笑っても(?)、近畿四城訪問シリーズは次回で最後となります。