こんばんは、白黒茶々です。
遠州横須賀の城下町をあとにした私・波・狛の白黒茶々家の1人と2頭は、歴史散策の第4弾として掛川市の旧大東町の下土方地区にある、ある人の記念館に向かいました。 しかしふと思いたち、その途中といえなくもないところに寄っていくことにしました。
………というノリでやって来たのは、旧大東町の中地区にある、中村砦跡にございます。 そうしたら、突然割り込む形となるのですけど、こちらを第4弾ということにしてしまいましょう。
その入口には、最近設置されたばかりの案内看板がありました。 中村砦は今から440年ほど前の天正7年(1579年)に、武田勝頼に奪われた高天神城を奪還するために徳川家康が築きました。 高天神城を包囲するように廻らされたいわゆる「高天神六砦」のうちの1つで、その戦略によって2年ほど後に高天神城は落城。 長い消耗戦を強いられた武田勝頼からは兵や人心が離れていき、武田家が滅亡する遠因にもなりました。
失礼ながら、今は片田舎の小さな丘となっている砦跡は、歴史を動かす舞台にもなったのですね。 ということで、今からそこを登っていきます。
以前は雑木林となっていましたけど、最近になって地元の有志たちが手入れしてくださったおかげで視界が開け、登山道も整備されていて、散策しやすくなっていました。
そうしているうちに、最頂部の物見台に行き着きました。 こちらも木が払われていて、砦の全体像をつかみやすくなっていました。
波と狛がおすわりしていたのは、ブーメラン状のほうの物見台ですね。 砦というだけあって、丘の上を削って平坦地の曲輪を形成し、敵の侵入を防ぐために麓に空掘を掘り、それらで出た土で土塁の土手を盛ったりしました。 さらにその上に、掘っ立ての木柵を廻らし、簡素な板葺きの館や物見楼が建てられたと思われます。 他で例えると「もののけ姫」のたたら場のような防御施設でした。
その物見台から高天神城の方面を見ると、こんな感じとなります。 そちらのお城は昨年行ったのですけど、「高天神を制する者は遠州(遠江)を制す」とも言われ、地理的にも戦略的にも重要なところでした。 これからは、高天神城を攻略するために築かれた六砦を順次攻略していきたいです。
話は変わって、3月29日は先代犬の箔の命日でした。 3年前のその日に、彼は14歳1ヶ月と11日で旅立ちました。
箔は1歳3ヶ月のときに白黒茶々家にやって来て、ウチにとっては初めてのワンコとなりました。 それから13年近くもの間、家族に幸せと笑顔をもたらしてくれました。 また、彼を通してたくさんの人やワンコたちと出逢ったり交流したりすることもできました。
彼はいつも笑顔で、嬉しい感情が爆発すると、独特の二足立ち+前足を高速で振るブンブンの動きをしていました。 今思うと、彼がいるとまわりがパ~ッっと明るくなったような気がします。
箔、天国のお仲間が増えていると思いますけど、これからもそちらの世界から私たちのことを見守っていてくださいね。