波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

競艇兄弟

2019-06-12 03:20:29 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

突然ですけど、皆さまは「宇宙兄弟」をご存知でしょうか? 小山宙哉さん原作の現在も連載中の人気漫画で………

その作品はアニメ化や映画化、さらには実写映画化もされました。 会社をクビになったムッタ(六太)は自信を失っていたのですけど、そのような中で、子供の頃に弟のヒビト(日々人)と「一緒に宇宙飛行士になろう」と誓い合ったことを思い出しました。 一方のヒビトは一足先に宇宙飛行士になる夢を叶え、日本人として初めて月面に降り立ちました。 そんな弟のヒビトのあとを、兄のムッタは追う決意をするのですけど……… 実は私の身近に、その話を地でいく兄弟がいたのです ただしそれは宇宙飛行士ではなく、競艇選手ことボートレーサーですけど。

今から2年ほど前に、私の甥っ子のツバサ君ボートレーサーとしてデビューするまでの話を載せたことを覚えている方はいらっしゃるでしょうか?もしご存知でなければ、リンク先を覗いてみてくださいませ。 そのツバサ選手はレーシングカートで培った腕をボートレースにも生かし、デビューから半年ほどで初勝利(1着でゴール)。 さらには、次の正月に地元の浜名湖でおこなわれたレースでは、ベテラン勢を抜き去って2千2百倍の万舟券(100円の舟券で3着までの順位を当てた(3連単)ら、22万円にもなる)を出すという快挙を成し遂げました。
その彼にはH君という2学年上の兄がいて、こちらの彼は整備士の専門学校を経て、ある自動車会社(ディーラー)にエンジニアとして就職していました。 ただし、ムッタのようにこちらをクビになったというワケではありませんよ。

彼らの祖父の故・純夫氏も実はボートレーサーで、昔桐生でおこなわれた赤城雷神杯の初代王者となっていました。 その武勇伝に加えて、弟がその道を進んだことにも触発されて、H君は「ボートレーサーになりたい」という気持ちが強くなっていったそうです。
ボートレーサーになるには、まずは半年に1度おこなわれている試験を受けなければなりません。 しかし、その最初の段階となる1次試験は倍率が6倍近くもあって、なかなか受からないのですよ。 ちなみにツバサ君は、7回目にしてようやくその関門を通ることができました。

どころが、H君は4回目で1次試験を突破することができたのです 彼はその試験を受けることは会社にはナイショにしていたのですけど、2次以降は福岡県柳川市にあるボートレーサー養成所に泊まり込んで受けることになるので、正直に打ち明けるしかありません。彼は国家資格を持つエンジニアということもあって、会社には必要な人間だったのですけど、なんとか理解して送り出してもらえたそうです。

1次試験は1139人が受けて、H君を含めた196人が合格しました。 さらに最終関門となる2次試験ではその半分ほどに減らされ、残ったメンバーが晴れてボートレーサー養成所の門を潜ることができるのですけど、果たして………
H君の母でもある私の姉は、遠く離れたところで待つしかありませんでした。 この場合は、試験に落ちたら即座に地元に帰らされるので、その本人から「○○時の列車で帰るから、駅まで迎えに来て」という電話がかかってきたら、結果は残念ということに。 頼むから、電話来ないでくれ~

………という心の叫びが通じたのでしょうか?H君は見事合格しました
そして昨年の4月には、彼は51人の同期生とともに、ボートレーサー養成所に入学しました。 しかし、ボートレースは「水上の格闘技」と呼ばれるほど危険で命に関わることもあるので、養成所では前時代的な厳しい生活が待っていました。 早朝に鳥がさえずる中、鳴り響くブザーで一斉に起こされ、瞬時に布団をキッチリと隅を合わせてたたみ(ベッドメイキング)、身支度をして集合するのですけど、その際に布団が少しでも乱れていたら、何回でもやり直しをさせられるのですよ。 H君はこのあたりでかなり苦労したそうです。

それから、そのあとは乾布摩擦、朝食、授業、………と続いていきます。

養成所の厳しさに堪えきれなくて、1人、2人、………と脱落していき、年に何回かある適正試験でも、不合格となった者はその道を諦めざるを得ませんでした。 そのような流れで、夏頃には訓練生は25人にまで減っていました。 H君はどうなったかというと………

 

夏休みには約4ヶ月ぶりに実家に帰ってきました。 その際には宿題もどっさりと出されたのですけど、地元の友達と逢ったりしつつも、なんとかこなして再び柳川市の養成所に戻っていきました。

これからも試練は続いていくのですけど、夢を叶えるために頑張ってください。 それからさらに季節は移ろい………

3月に無事に卒業することができました ボートレーサーH君の誕生です 養成所での卒業レースを経て、いよいよ5月に組まれたプロでのデビュー戦を待つことになるのですけど、それまでの間は研修を受けたり、新聞の取材を受けたり……… 私の姉はこれを「プロになる前のチヤホヤ期」と呼んでいます。 そのような中で………

地元紙にこのような記事が載りました。 念願が叶って、兄弟そろってボートレーサーになったのですけど、この業界では遺伝の面から向いている人が多くて、彼ら以外にも兄弟でやっていたり、なかには親子でやっている選手もいるのですよ。
こちらの兄弟は弟のほうが先輩となり、H君は養成所にいる頃はツバサ君から手紙や電話でアドバイスを受けたり、辛いときは励ましてもらったりしていたそうです。 そして………

 

GW中の5月6日に、私の地元にあるボートレース浜名湖で、今期静岡支部からデビューすることになった3人の選手によるトークショーがおこなわれました。 左から、H君ことヒカル選手大石真央選手鈴木慶太選手であります。 彼らはボートレーサーになるきっかけや、そのレースへの意気込みなどを、力強く語っていました。 そのトークショーが終わったすぐあとには………

地元の選手を集めたレースがおこなわれていて、弟のツバサ選手の出番がありました。 それにしても、そのレースの「令和最初のやらまいかカップ」って、冠名に思いっきり新しい元号とこの地方の方言が入っているではありませんか それから私が買った舟券の内容ですけど……… ツバサ君は抽選でハズレのモーター(エンジン、ちなみに姉はこれを『う○こモーター』と呼んでいます)を引いてしまったこともあって、前の日までは5着や6着(ビリ)と低迷。 この時、私は彼を1着にしてあげたかったのですけど、3着でも上出来ということで……… はい。

結果は他の選手の不良航法に巻き込まれてしまい、6着となってしまいました。

それだけでは悔しいので、私はその日2回目のツバサ選手のレースも観ていくことにしました。 やはりその際も舟券を購入し、今度は彼が2着になると予想。そこは見事に当たったのですけど、1着と3着を逆に予想していて、うまくいけば6万円になるところが、ただの紙切れとなってしまいました。 はっ ついツバサ選手のレースに熱くなって脱線してしまいましたけど、ヒカル君の話をしていたのですよね。 それから10日後………

私はボートレース浜名湖に向かっていました。 ついにヒカル君がこちらで選手としてデビューすることになったのです この日は平日で、私は仕事をしていたのですけど、職場にお願いして特別に少しの間だけ抜けさせてもらっていました。 もちろん、彼の両親の姉夫婦も。ただし、ボートレースは公平・公正を求められることもあって、選手の親きょうだいや祖父母にあたる2親等までは、ボートレース場の一般席への立ち入りだけではなく、舟券の購入も固く禁止されているのですよ。 ちなみに私は3親等になるので、そのあたりはなんとかセーフであります。

ということで、水面に最も近い立見席にやって来ましたよこちらには、ヒカル君のカート仲間や友人と思われる方が多数集まっていました。 その一方で、姉夫婦はこちらから離れたところにある特別室(姉はその部屋のことを『会議室』とか『隔離部屋』とか『監禁部屋』と呼ぶ)に押し込まれていました。

 

その対岸には、新調したばかりの彼の横断幕が掲げられていましたし。

もちろん、私は今回も舟券を買いましたよ しかも、ヒカル君は1着予想で。ボートレースはデビュー戦でいきなり初勝利できるほど甘い世界ではないのですけど、やはり初めて彼の名前が載る舟券が欲しかったので。 そうしているうちに………

 

ヒカル君の初陣となるレースが始まりました デビュー戦は一生に1度しかないので、結果はどうであっても貴重です。

 

彼は6着でゴールし、のちに「観衆に注目される中でベテランの選手と一緒に走ったらすごく緊張して、練習でできていたこともできなかった 」と言っていました。それでも、フライングもなく無事に完走できたので、デビュー戦としては上出来です。

 

別の機会に、ヒカル選手とツバサ選手の従兄弟でもあるたつぴにモンキーターンの格好をやってもらったのですけど、かなりキツいみたいですね。 これを勝負のかかった猛スピードの中でやるなんて、スゴいことです。
兄弟そろってボートレーサーになるという夢は叶ったのですけど、やはりその世界で生き残っていくのは厳しいので、さらに頑張らなければなりません。 ツバサ君とはタイプは異なるのですけど、ヒカル君もいいモノを持っています。 これからはその面を生かしつつ、兄弟で磨き合い、頂点を目指していってもらいたいです。 ということで、選手No.4989の石原翼選手に引き続いて、No.5076の石原光選手のことも、よろしくお願いいたします。



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