波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

箔の一周忌を迎えて

2019-03-30 02:54:45 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
が現世から旅立って、3月29日で1年になりました。 私にとっては長いようで短いような1年でしたけど、その間に彼のことを思い出すことはしばしばありました。 それは最期の悲しい記憶だけではなく、楽しい思い出も。さらには、彼にとっては墓場まで持っていきたくなるような恥ずかしい話も、ポロポロと出てきました。 そこから彼の性格を読み取ることができるうえに、死後1年も経ったらもう時効(?)となるので、メモリアル的な特番でもあるこの機会に、彼にまつわるいくつかのエピソードを暴露しようと思います。さらに彼の一周忌を迎えてからの、私の決意も述べさせていただきます。



箔は白黒茶々家の初代犬で、平成17年(2005年)5月22日に我が家の一員となりました。 とはいってもその頃には1歳3ヶ月にもなっていて、前の飼い主さんがある事情で彼を里子に出すことになったところに、私が手を挙げたのでした。その彼は社交的で人もワンコも好きだったのですけど、特に若い頃は血の気が多いのに加えて瞬間湯沸かし器男で、ドッグランデビューから間もなくして、その空間で居合わせたワンコと乱闘になりました。



それは私が止める間もないほど、あっという間の出来事でした。 しばらくは膠着状態だったのですけど、そこに相手ワンコにお友達の子が加勢して、形勢は一気に不利に。箔は完膚なきまで叩きのめされてしまいました。 そのあとは、飼い主どうしが「ごめんなさい ごめんなさい 」と謝り合ったのですけど、相手の飼い主さんは「途中まで互角でしたね」とも仰っていました。
一方の箔は、普段は自信にあふれていたのですけど、この時ボコボコにされた(ケガはありません)ショックが大きかったのか、かなり落ち込んでいました。 そんな彼に、私は「ほら、箔、おやつだよ」と、大好物のジャーキーをあげたのですけど、食べようともしませんでした。あの箔がですよ



そういえば、それから時を経て10歳ぐらいの時には、箔は全身サマーカットの無防備な状態で、分厚い毛の鎧で守られていたレオン君に戦いを挑んだこともありましたね。 ケンカの理由はわからないのですけど、やはりその時も惨敗でした。 なので、彼はケンカっ早いワリには、ケンカには弱かったのですよ。
しかしよく考えてみたら、いずれのエピソードも日記に書いたことがあったような……… それでも、長年の間に積み重なった日記の中から掘り出すのは大変で、私の記憶の倉庫から引き出すほうが手っ取り早いので、今回はそのようにさせていただきました。

そうそう、10年ほど前に琵琶湖オフ会に向かう途中で寄り道した際には、箔は私と一悶着起こしたことがあります。 秋とはいってもまだ暑さが残る時季で、それに疲れも加わって、彼は苛立っていたのかも知れません。 そのような情況の中、電車の時間が迫っていたので、私は彼のお尻を押して、力ずくで電車用キャリーの中に押し込もうとしました。そうしたら、彼にガウッ とやられ、手に流血するほどの傷を負いました。 その直後に、親切なタクシーの運転手さんにケガの応急措置をしてもらい、電車にも間に合ったのですけど………
目的地に着いて、キャリーから箔を出したら「おれっちはお父さんになんてことを………」と、猛省モードに入っていて、チワワより小さいスピッツになっていました。 彼はすぐにカッとなる性格なのですけど、その直後に我に帰るところは、親バカながらカワイイと思っています。



ワンコをメインにしたブログを書くには、その子が言っている……… であろうことを代筆することも多々あります。 その際には一人称が必用となるのですけど、箔には自分のことを「おれっち」と言わせていました。 「おれっち」といえば、「妖怪ウォッチ」ジバニャンが多用していますけど、その漫画の連載が始まったのは2012年12月のこと。 一方の「箔のつれづれ日記(開設時のブログ名)」は、その6年以上も前からやっているので、こちらのほうが元祖なのですよ ちなみに「おれっち」を考案したのは、箔母さんでした。
それから、彼のセリフの語尾に付いていた「~なのだ」「天才バカボン」バカボンパパではなく、「とっとこハム太郎」から頂戴いたしました。
それでも、それらを長いこと使っていると、箔が本当にそのように言っているように思えてくるのですよね。なんとなく、彼の性格とも合っていますし。



箔といえば、嬉しいかったり歓迎したり、おやつやご飯を要求するときなどに、2足立ちして前足をブンブン振る「前足ぶんぶん」の動きが、彼の代名詞といってもいいほど印象的でした。 その代わり、普通に2足立ちする「チンチン」はできなかったのですけど。 しかし、彼のブンブンは腰に負担がかかり、腰痛を起こしたときには獣医さんから「ブンブン禁止令」が出たほどでした。 その振りはかなり速く、高齢となってからもその勢いは衰えず、死の病が悪化した時まで続けられました。
しかし、このブログに載せたのはブレブレの静止画ばかりで、動画を載せたことは1度もありませんでした。 「箔君本ワンに逢った人にしか見せないのか?」と思っている方もいらっしゃるかも知れませんけど……… ただ単に、私が技術的にブログに動画を載せられなかっただけです。 私の記憶が確かなら、昔使っていた携帯電話でその動きを録ったことがあるので、それが発見できたら公開したいです。

そんな箔とまた逢いたいと思っているところに、「近い将来、亡くなった愛犬のクローンを作る技術が確立する」というニュースを耳にしました。 あの独特な性格で、唯一無二な箔が再び私の目の前に……… しかし、いろいろと考えてみた結果、そこまでして逢おうとは思わなくなりました。 命には限りがあるので、彼と一緒に過ごした時間は尊く、今でも私の宝物となっているのです。



あと1つ、箔との思い出話を挙げてもよろしいでしょうか? これは一昨年前の夏に波も伴って、川根本町にある塩郷の吊り橋を渡った時のものです。大井川とSLが走る線路と民家を跨ぐようにして架かるこの吊り橋は、かなり高くて幅が狭くて不安定なのですけど、彼は全く怖がらずにスタスタと渡っていきました。 一方の波は最初はビビっていたのですけど、先を行っていた箔が振り返り「おれっちが先導するから大丈夫なのだ」とでも言ったからでしょうか?彼女は彼のあとに続いていきました。
今思えば、仔犬だった波がウチに来た時から、箔は彼女にとってホッとできる存在となり、道しるべにもなっていました。なので、その姿を象徴しているこの写真を、私はとても気に入っています。 箔は亡くなるまでの間に、ある程度の道筋をつけていき、いろんなものを受け継がせていったので、波は元気で迷うこともなく今日までやってこれたのだと思います。そんな彼女のもとに、箔の一周忌を待たずして、どことなく彼に似ているを弟分として迎え入れました。



波と狛は、箔から渡されたバトンをしっかりと受け継いでいます。そして、箔の死から1年が経って、私はある決意をしました。 それは何かといいますと………
このブログのタイトルを「箔と波のつれづれ日記」から「波と狛のつれづれ日記」に変更し、サブタイトルのほうも「日本スピッツ箔+波とゆかいな仲間たち」「日本スピッツ波と狛と、ときどき箔」とさせていただきます。 私にとっては亡くなったあとも箔の存在は大きく、彼のことは忘れないのですけど、彼にはブログでは一線から退いてもらい、代わりに今を生きる波と狛にメインを務めてもらおうという考えに至りました。そんな彼らのことを、これからもよろしくお願いいたします。


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コメント (6)
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