こんばんは、白黒茶々です。
私は小さい頃から実家のほうで、犬や猫に囲まれて生活していました。 やがて私は結婚して家を出ていき、その後犬は老衰で亡くなったのですけど、猫のほうは残り続けました。というよりは、1匹の猫がかなり長生きしていたのですよ。それが、箔波日記のツバメの観察日誌などにしばしば登場したオス猫のフクなのです。
彼は平成5年(1993年)の秋に、大ケガをした状態で実家のほうで保護されました。 獣医さんに連れていって、後ろ足の骨折は治ったのですけど、前足は神経が切れていて対処することができませんでした。 それ以来、その患部は包帯などを巻いて保護していたのですけど、彼が15歳になった頃にそこが化膿してきたので、思い切って切断手術をすることに。術後に容態が急変して死にかけたのですけど、なんとか持ち直して無事に家に帰ってくることができました。
前置きが長くなりましたけど、今回はフクのその後の話をお伝えします。
フクは歳を重ねていっても痴ほう症になることも排泄が弱くなることもなく、昨年には20歳の誕生日を迎えました。 その間に私の親きょうだいは、犬ほど手間がかからないということもあって、すっかり猫派となっていました。 そういう私も、犬と僅差ぐらいで猫が好きなのですけど。
そのフクにちょっとした異変が見られるようになったのは、昨年の初夏の頃のことでした。彼が呼吸をする度にノドからゴーゴーというような音が聞こえ、それから間もなくして食べることができないようになってしまったのです。
私の母が獣医さんに連れていったら、彼のノドのあたりに腫瘍が見付かりました。しかし彼はあまりにも高齢なので、手術をすることはあきらめ、みんなで見守っていくことにしました。
その間、毎日のように動物病院に通って、彼の栄養分は点滴でまかなってきました。「ムリな延命治療ということになるかも知れないけど、できるだけのことをやってあげたいから」という母の言葉に、反論する人はいませんでした。その治療費も大変なのですけど、彼が1日でも長く生きてくれることをみんなが願っていました。私の姉も「フクちゃん、なんにもしなくても、ただ生きていてくれるだけでいいからね」と、彼に話しかけていました。
点滴治療を始めてから約1ヵ月半後の7月26日の朝、フクは静かに息を引き取りました。みんなは悲しみに包まれたのですけど、あまり涙を見せる者はいませんでした。1ヵ月半の間に、彼は私たちに心の準備をさせてくれたのかも知れません。
ペットを亡くしたとき「あんな悲しい思いはしたくないから、もう飼いたくない」という人もいるのですけど、私の両親からはそのような言葉は一切聞かれませんでした。それどころか、「フクちゃんが許してくれたら、いつかまた飼いたい」ようなことを言っていました。その「いつか」とは、いつ頃のことでしょうか?
そんな今年の5月頃、私は浜松市の動物管理指導センターというところに、譲渡できる仔猫がいないか問い合わせてみました。 その施設は殺処分寸前の犬や猫を、救済の意味を込めて希望者に譲る活動もしていて、先述の老衰で亡くなった犬もそこから来たのでした。また、私が茶トラ猫のメスを追い求めていたときにも、そちらに掛け合ったりしました。
そして今回「数匹の仔猫がいる」という解答をもらったのですけど、そのことを母に伝えても「ごめん、まだ飼う気になれないから………」と、つれない返事でした。
それから1ヵ月後くらいに、今度は私の姉が「お母さん、かわいい猫がいるよ」と言って、ノートパソコンの画面を彼女に見せていました。 そこには生後2ヵ月ぐらいのちょっとトラ柄の入った三毛(縞三毛)の仔猫が映し出されていました。しかし、彼女はまだ心の整理がついていないのでは?
「うわ~、かわいい 」ところが、一目見ただけで彼女はその仔猫に夢中になってしまったのですよ。 私より姉のほうがプレゼン力に長けているというか、ネットの力は強力です。
その三毛の仔猫は、里親募集のサイトのほうに載っているみたいですね。 その活動をやっているところは……… 「Go!Cat’s」って、ウチの銀が出てきたところではありませんか そういうことなら、話は早い。その保護団体のシステムはわかっているので。私はそのことを事細かに母に伝えました。 そうしたら今度は、気になった仔猫と逢うには、どうしたらいいのか?ということですよね。それは、定期的におこなわれている譲渡会に行ってみるといいでしょう。ちなみに、近いうちにその譲渡会が開催される日は?それは、6月29日の日曜日です。
話はトントン拍子に進んでいき、ついにその日の譲渡会に行くことになりました。 そのイベントがおこなわれる場所は、浜松市西区にある西山会館というところみたいですね。 やはりこちらも、私は茶トラ猫を追い求めていたときに行ったことがあるので、場所などは知っています。 そのようなことから、当日は母の代わりに姉が店番をやって、その母を私が譲渡会の会場まで連れていくことになりました。たつぴもそこに行きたいですって?まあいいでしょう、付いてきなさい。
そのような流れで、やって来ましたよ 西山会館に。しかし、つい張り切り過ぎてしまい、イベントが始まる前に着いてしまいましたよ。 やはり「Go!Cat’s」のスタッフも、里子に出される仔猫たちもまだ来ていません。それでも、開始時間になったら………
人も猫も集まり、賑わってきました。 その様子をよく見てみたら、ちゃっかりたつぴが仔猫を抱っこさせてもらっているではありませんか
並べられケージの中を覗いてみたら、いましたよ。小さくてカワイイ仔猫たちが そんな目で見つめられたら、私も連れて帰りたくなってしまいますよ。
そのような中で、母は「この子に決めた」と三毛の仔猫を連れてきました。 この子は最初にネットで見た、ピ代ちゃん(仮名)ではありませんか ひと通り他の子たちとも見比べてみても、ピ代ちゃんが一番グッときたみたいです。そうと決まったら、さっそく譲渡の手続きに入りますよ
「猫のなかには20年も生きる子もいるので………」スタッフの方は、年配の私の両親が飼うことを気にしていましたけど、彼女らに万が一のことがあったら、ピ代ちゃんは私か姉が引き受けるということで話はまとまりました。 そして、ピ代ちゃんはその翌日にスタッフの方が私の実家に届けてくれることになりました。
猫ネタのなかにワンコが入り込んでいますけど、こちらはその頃の波です。
それから、こちらは「Go!Cat’s」の方に見せるために撮ってきた、お銀ちゃんの写真です。 彼女は先述したようにそこの出身で、ひよちゃん→アチャちゃん→シルバーちゃんと名前を変えつつ、白黒茶々家にやって来ました。今回の譲渡会で、以前にお世話になったスタッフの方に彼女の近況を話したら、喜んでいました。またその際に、銀ちゃは姿かたちがそっくりな3姉妹のうちの1匹で、尻尾の形状で識別されていたという新事実も教えてもらいました。
そしてその翌日、私の親きょうだい達の大歓迎を受けながら、ピ代ちゃんは新しい住まいとなる私の実家兼職場にやって来ました。 とはいっても、その日から1週間はお試し期間で、その間に一緒にやっていく決意がついたら、正式にウチの子になるという流れとなっていました。ピ代ちゃんは少々お転婆なのですけど、私の両親はまったく迷いませんでした。
1週間後の7月7日に、ピ代ちゃんは改めて私の実家の猫となりました。 また、七夕のその日がウチの子記念日となったことから、名前のほうも「ナナちゃん」に決まりました。
みんなからの愛情を受けながら、すくすくと成長したナナちゃん。生後7ヵ月ぐらいの現在、大きさではすでにウチのお京ちゃんを越えていると思われます。ナナちゃん、これからも私の両親に癒しと元気と刺激を与え続けてくださいませ
「猫にも歴史あり」と思われた方は、こちらに投票してやってください。
私は小さい頃から実家のほうで、犬や猫に囲まれて生活していました。 やがて私は結婚して家を出ていき、その後犬は老衰で亡くなったのですけど、猫のほうは残り続けました。というよりは、1匹の猫がかなり長生きしていたのですよ。それが、箔波日記のツバメの観察日誌などにしばしば登場したオス猫のフクなのです。
彼は平成5年(1993年)の秋に、大ケガをした状態で実家のほうで保護されました。 獣医さんに連れていって、後ろ足の骨折は治ったのですけど、前足は神経が切れていて対処することができませんでした。 それ以来、その患部は包帯などを巻いて保護していたのですけど、彼が15歳になった頃にそこが化膿してきたので、思い切って切断手術をすることに。術後に容態が急変して死にかけたのですけど、なんとか持ち直して無事に家に帰ってくることができました。
前置きが長くなりましたけど、今回はフクのその後の話をお伝えします。
フクは歳を重ねていっても痴ほう症になることも排泄が弱くなることもなく、昨年には20歳の誕生日を迎えました。 その間に私の親きょうだいは、犬ほど手間がかからないということもあって、すっかり猫派となっていました。 そういう私も、犬と僅差ぐらいで猫が好きなのですけど。
そのフクにちょっとした異変が見られるようになったのは、昨年の初夏の頃のことでした。彼が呼吸をする度にノドからゴーゴーというような音が聞こえ、それから間もなくして食べることができないようになってしまったのです。
私の母が獣医さんに連れていったら、彼のノドのあたりに腫瘍が見付かりました。しかし彼はあまりにも高齢なので、手術をすることはあきらめ、みんなで見守っていくことにしました。
その間、毎日のように動物病院に通って、彼の栄養分は点滴でまかなってきました。「ムリな延命治療ということになるかも知れないけど、できるだけのことをやってあげたいから」という母の言葉に、反論する人はいませんでした。その治療費も大変なのですけど、彼が1日でも長く生きてくれることをみんなが願っていました。私の姉も「フクちゃん、なんにもしなくても、ただ生きていてくれるだけでいいからね」と、彼に話しかけていました。
点滴治療を始めてから約1ヵ月半後の7月26日の朝、フクは静かに息を引き取りました。みんなは悲しみに包まれたのですけど、あまり涙を見せる者はいませんでした。1ヵ月半の間に、彼は私たちに心の準備をさせてくれたのかも知れません。
ペットを亡くしたとき「あんな悲しい思いはしたくないから、もう飼いたくない」という人もいるのですけど、私の両親からはそのような言葉は一切聞かれませんでした。それどころか、「フクちゃんが許してくれたら、いつかまた飼いたい」ようなことを言っていました。その「いつか」とは、いつ頃のことでしょうか?
そんな今年の5月頃、私は浜松市の動物管理指導センターというところに、譲渡できる仔猫がいないか問い合わせてみました。 その施設は殺処分寸前の犬や猫を、救済の意味を込めて希望者に譲る活動もしていて、先述の老衰で亡くなった犬もそこから来たのでした。また、私が茶トラ猫のメスを追い求めていたときにも、そちらに掛け合ったりしました。
そして今回「数匹の仔猫がいる」という解答をもらったのですけど、そのことを母に伝えても「ごめん、まだ飼う気になれないから………」と、つれない返事でした。
それから1ヵ月後くらいに、今度は私の姉が「お母さん、かわいい猫がいるよ」と言って、ノートパソコンの画面を彼女に見せていました。 そこには生後2ヵ月ぐらいのちょっとトラ柄の入った三毛(縞三毛)の仔猫が映し出されていました。しかし、彼女はまだ心の整理がついていないのでは?
「うわ~、かわいい 」ところが、一目見ただけで彼女はその仔猫に夢中になってしまったのですよ。 私より姉のほうがプレゼン力に長けているというか、ネットの力は強力です。
その三毛の仔猫は、里親募集のサイトのほうに載っているみたいですね。 その活動をやっているところは……… 「Go!Cat’s」って、ウチの銀が出てきたところではありませんか そういうことなら、話は早い。その保護団体のシステムはわかっているので。私はそのことを事細かに母に伝えました。 そうしたら今度は、気になった仔猫と逢うには、どうしたらいいのか?ということですよね。それは、定期的におこなわれている譲渡会に行ってみるといいでしょう。ちなみに、近いうちにその譲渡会が開催される日は?それは、6月29日の日曜日です。
話はトントン拍子に進んでいき、ついにその日の譲渡会に行くことになりました。 そのイベントがおこなわれる場所は、浜松市西区にある西山会館というところみたいですね。 やはりこちらも、私は茶トラ猫を追い求めていたときに行ったことがあるので、場所などは知っています。 そのようなことから、当日は母の代わりに姉が店番をやって、その母を私が譲渡会の会場まで連れていくことになりました。たつぴもそこに行きたいですって?まあいいでしょう、付いてきなさい。
そのような流れで、やって来ましたよ 西山会館に。しかし、つい張り切り過ぎてしまい、イベントが始まる前に着いてしまいましたよ。 やはり「Go!Cat’s」のスタッフも、里子に出される仔猫たちもまだ来ていません。それでも、開始時間になったら………
人も猫も集まり、賑わってきました。 その様子をよく見てみたら、ちゃっかりたつぴが仔猫を抱っこさせてもらっているではありませんか
並べられケージの中を覗いてみたら、いましたよ。小さくてカワイイ仔猫たちが そんな目で見つめられたら、私も連れて帰りたくなってしまいますよ。
そのような中で、母は「この子に決めた」と三毛の仔猫を連れてきました。 この子は最初にネットで見た、ピ代ちゃん(仮名)ではありませんか ひと通り他の子たちとも見比べてみても、ピ代ちゃんが一番グッときたみたいです。そうと決まったら、さっそく譲渡の手続きに入りますよ
「猫のなかには20年も生きる子もいるので………」スタッフの方は、年配の私の両親が飼うことを気にしていましたけど、彼女らに万が一のことがあったら、ピ代ちゃんは私か姉が引き受けるということで話はまとまりました。 そして、ピ代ちゃんはその翌日にスタッフの方が私の実家に届けてくれることになりました。
猫ネタのなかにワンコが入り込んでいますけど、こちらはその頃の波です。
それから、こちらは「Go!Cat’s」の方に見せるために撮ってきた、お銀ちゃんの写真です。 彼女は先述したようにそこの出身で、ひよちゃん→アチャちゃん→シルバーちゃんと名前を変えつつ、白黒茶々家にやって来ました。今回の譲渡会で、以前にお世話になったスタッフの方に彼女の近況を話したら、喜んでいました。またその際に、銀ちゃは姿かたちがそっくりな3姉妹のうちの1匹で、尻尾の形状で識別されていたという新事実も教えてもらいました。
そしてその翌日、私の親きょうだい達の大歓迎を受けながら、ピ代ちゃんは新しい住まいとなる私の実家兼職場にやって来ました。 とはいっても、その日から1週間はお試し期間で、その間に一緒にやっていく決意がついたら、正式にウチの子になるという流れとなっていました。ピ代ちゃんは少々お転婆なのですけど、私の両親はまったく迷いませんでした。
1週間後の7月7日に、ピ代ちゃんは改めて私の実家の猫となりました。 また、七夕のその日がウチの子記念日となったことから、名前のほうも「ナナちゃん」に決まりました。
みんなからの愛情を受けながら、すくすくと成長したナナちゃん。生後7ヵ月ぐらいの現在、大きさではすでにウチのお京ちゃんを越えていると思われます。ナナちゃん、これからも私の両親に癒しと元気と刺激を与え続けてくださいませ
「猫にも歴史あり」と思われた方は、こちらに投票してやってください。