波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

晃ちゃ緑ちゃ成長記

2015-08-12 00:11:24 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
6月の末に、白黒茶々家に仔猫の晃ちゃ(黒モコのオス)と緑ちゃ(白黒の八割れのオス)を迎え入れてから、早いもので1ヶ月以上も経っていました。



生後2ヶ月頃に我が家の一員、いや、二員となった彼ら。しかし、蒼ちゃがそのくらいしか生きることができなかったこともあって、私や箔母さんはどうしても慎重になってしまいました。 彼らが少しでもご飯の食べが悪かったり、動きが鈍かったりすると「病気ではないのか?」と心配し、獣医さんに連れていくことを真剣に考えたりもしました。 それでも、次に様子を見に来てみると、彼らは元気爆発しているのですよ。それから、先住猫たちへの気遣いもあるのですけど、新入りの飼い始めのルールに則って、とりあえず1ヶ月の間は二階の一室で、彼らの面倒を見ることにしました。



私たちがその部屋に入ると、最初から人馴れしていてた晃ちゃはすり寄ってきました。



一方の緑ちゃは慎重というか少々ビビり気味で、すぐに部屋の隅などに隠れてしまい、引っ張り出したらシャー と威嚇したりしました。 そんな彼でしたけど、常に晃ちゃと行動をともにしたり、毎日私たちの顔を見たりしているうちに馴れてきて、今では積極果敢に甘えてくるようになりました。



私が、晃ちゃと緑ちゃのいる仔猫部屋で彼らと戯れてから外に出たら、銀姉さんと京姉さんがすぐそこにいました。彼女らは中の様子が気になるのでしょうか?それとも、晃緑ちゃんについつい夢中になっている私に、嫉妬しているのでしょうか?



そして話は、晃ちゃと緑ちゃがウチの子1ヶ月となった現在に戻ります。「仔猫事始め」の期日はすでに過ぎているのですけど、「部屋の外には危険なものがたくさんあるので、もう少し大きくなるまで待ってほしい」という箔母さんの意向もあって、彼らの生活の拠点はまだ仔猫部屋にあります。

それでも、「せめて私の目が行き届いている間ぐらいは、外に出してあげようよ」ということで、私が布団を敷きに二階に来ている時間帯などに、彼らを解放してあげるようにしました。



行動範囲が拡大してからの晃ちゃと緑ちゃは、布団部屋で取っ組み合いをしたりして遊ぶようになりました。 男の子らしい遊びで、大いによろしい。 そこから、手加減することを覚えるのだゾ。



遊びに夢中になっている彼らをよく見てみたら、すごい形相になっていました。 それでも、決して険悪なムードになったりはしないので、どうかご安心を。



銀姉さんは彼らのことをまだ完全には受け入れていないのですけど、その様子を高いところから見ていました。 一方の京姉さんは………



なんか、囲まれていますね。 彼女は銀姉さんよりは彼らのことを認めつつあるので、突破口は彼女にあるのかも知れません。そうしたら、あとは箔波ちゃんとのご対面ですね。箔はともかくとして、波は猫を前にすると本気モードになって狩猟しだすので、そこが一番の難題となりそうです。 とりあえず、海賊同盟ならぬ、四猫同盟が確実なものとなったら、私が橋渡し役となって彼らの仲を取り持つようにします。2ワンと4ニャンが一同に介する場面が、いつか実現しますように~


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おお!この子だ

2015-07-11 00:10:06 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
幼くして亡くなった黒ふわの仔猫の蒼ちゃのことが忘れられなくて、私はせめて同じような姿かたちの子を飼いたいと思い、長い間探し続けてきました。 そうしているうちに、岐阜県の西濃地域でそのような子の里親を募集しているという情報を手に入れました。



ちなみにこちらの子なのですけど、小さくてふわふわしていてカワイイですね とはいっても、その子にはきょうだい猫がいて、先方は一緒に引き取ってもらうことを望んでいて、さらにその条件を受け入れそうな競合者も現れたというのですよ。 私は1匹だけを希望しているのですけど、先方は「公平に判断したいので、少し時間をいただけますか?」と仰ってくれました。そこに至るまでは、せっかく黒毛玉の子を見つけても、先約がいたり門前払いを喰らったりと、速攻で断られ続けてきたのですけど、果たして今回こそは朗報を得ることができるのでしょうか? それから3日ほどして、返事が来ました。果たして、その結果は………

「こんばんは、○○です。 仔猫ちゃんはこの度、御縁があり他の御家族とのトライアルとなりました」とのことです。そうか……… これで5連敗となってしまいました。 それでも、今回は私の申し入れを真摯に聞いてもらえて、さらに最終選考までいったので、今までの案件と比べたら大躍進と言ってもいいでしょう。きっと次にめぐり逢う子がいたら、今度こそはウチの子になるに違いありません。何の根拠 もないのですけど、私はそう信じながら次のチャンスを待つことにしました。

その黒毛玉情報は、約半月後にありました。



その方は、家のほうで野良猫が産んだたくさんの子を保護されていて、その中にこのような黒くてふわふわの子がいたのです しかも今までよりもずっと近くの、浜松市浜北区というではありませんか そこなら、ウチから車を使えば1時間ほどで行くことができますよ。私は迷うことなく速攻で、里親の申し込みをしました。 それから間もなくして、返事がありました。今度こそは、いい返事でありますように~

「応募ありがとうございます。長毛の黒猫ちゃんをということですが、今2匹の黒猫ちゃんがいます」おおっ 今回は私が一番乗りみたいですね。 それだけではなく、さらに「よかったら、一度見に来てください」とも書かれていましたよ いくいく すぐに行きますよ



その週の日曜日は、私は静岡市のほうに行く用事がありました。ちなみに目の前にあるのは、ローカルCMですっかり有名になった、学生服のやまだです。 ただし、この日はこちらのお店に用があったというワケではないのですよ。 通り道にあったので、たまたまです。その帰りに、浜松市浜北区の黒毛玉君がいる家に寄れないこともないので、ちょっと強行スケジュールなのですけど、私はその日見に行くことにしました。



その家はI牧場といって、酪農を営んでいました。 そこで飼われているモーちゃんたちも、いいお顔をしていますね では、いよいよIさんや仔猫ちゃんたちとのご対面と参りましょう



Iさんは保護したたくさんの仔猫を、牛舎の一室でお世話されていました。 モーちゃんのエサで集まった鳥を狙って、野良猫が集まるようになり、それにともなって仔猫の数も増えていったとのことですけど………



そのような中に、私のお目当ての黒ふわ君がいましたよ しかも、2匹も。おおっ まさに蒼ちゃそのものですよ。 やっと逢えた……… 今までは、範囲を愛知県や岐阜県まで広げて探してきたのですけど、幸福の青い鳥は、いや、七色の花は、いやいや、カリスフォード氏が長年探していた、親友のラルフの娘のセーラは、いやいやいや……… 私が探し求めていた子は、意外と近くにいました。

いやそれよりも、蒼ちゃは今度は2倍に生まれ変わったのですね。 ちなみに、1匹はやや大きめなのですけど、まだ完全には人馴れしていなくて、「シャー 」と威嚇する子。もう1匹はやや小さめで、人に触られてもおとなしくしている子。Iさんは「どちらの子になさいます?」と聞いてくださったのですけど、う~む……… とても迷います。 それでも私は、蒼ちゃの性格に少しでも近い後者の子のほうをお願いし、その1週間後に改めて受け取りに来るということで話はまとまりました。
そうしたら、猫好きの箔母さんやたつぴなら、一緒に行きたいと言うに違いありません。ところが………

「私は行くのはやめておくよ」と言うではありませんか あの仔猫天国に踏み入ってみたくないのでしょうか?「あまりに好き過ぎて、他の子も連れ帰ってしまう恐れがあるから 」そんなことを心配していたのですか。私がいるから、大丈夫ですよ。 ということで、その日は白黒茶々家の家族全員で伺うこととなりました。

そして、いよいよ白黒茶々家のペット史に記されるであろう日がやって参りました。 しかしその日が近付くにつれて、先住猫の銀ちゃ京ちゃは何かが起こるのを察したのか、今まで以上にベタベタと甘えてくるようになりました。 そのあたりの猫勢力のことは追々解決するとして、とにかくI牧場に向かいますよ



前の週にも案内していただいた仔猫部屋……… いや、こちらは仔猫のために作られた段ボールの巣箱なので、仔猫部屋の部屋ということになります。 とにかくその中にはたくさん入っていたのですけど、そのほとんどの子はすでに行き先が決まっているそうです。そのような中に………



お目当ての例の黒毛玉君がいましたよ ちなみにソックリだった「シャー 」するほうの兄弟猫は、あれから間もなくして静岡市の方に引き取られていったそうです。



まわりを見回したら、気になる子がいましたよ こちらの子は、ふわふわのシマ柄でなかなかのイケメンなのですけど、このままIさんの家で飼われるそうです。



こちらの薄い茶トラの子も、カワイイですね。 その他の子にも、箔母さんとたつぴは目移りしている様子でした。

そのときもそうだったのですけど、彼女らは数日前から「2匹目は?」のようなことを言い続けていました。「体力的にも経済的にも、ウチにそんな余裕はあるのか?」 私は反対するつもりだったのですけど………



「ほら、この子はポケットの中に入っちゃったよ」 彼女らは飼う気マンマンのご様子です。「ああ、その子だけはまだ行き先が決まっていないのですよ」そこですかさず、Iさんまでもがひと推しししてきたのでした。「白黒茶々さん、いいでしょ?」この流れは、さすがの私にも止められませんでした。 「世話をするの(猫担当)は私じゃないので、どうぞお好きに」
………なんて言ってみましたけど、彼女らの度重なる「2匹目は?」コールによって無意識のうちに洗脳されていたのか、その日私は「気に入った子がいたら、2匹目もやむなし」と思っていました。 ということで、その日から白黒茶々家は犬2頭に猫4匹の大所帯となりました。



ちなみにこちらの2トンカラーの八割れの子は男の子で、黒毛玉君とは兄弟かどうかはわからないのですけど、同じくらいの時期に拾われたそうです。それから、このときはまだ人馴れしていなくて「シャーシャー 」言いまくっていたのですけど、それも飼っていくうちに改善されるかも知れません。というよりは、私としては「シャーシャー 」言うキャラクターがウチにいても、いいと思っているのですけど。



さらに彼らは、ウチの二階の一室に通され、しばらくの間はこちらで飼われることとなりました。 2匹いっぺんに引き取るのは初めてのことになるのですけど、彼らは仲がよくてずっと寄り添っていました。私たちのほうこそ安心できるというより、その姿には癒されますよ。



それから、今度は彼らの名前ですよ。 黒毛玉君には、黒くても光輝くニャン生を送って欲しいという願いと音の響きから「晃(こう)」という名を、八割れ君にはイメージと音の響きから「翠(りょく)」という名を、それぞれ贈りました。両者とも、「蒼(そう)」の流れをくんでいるような。 ただし、翠の字を「りょく」と読ませるのはあまり一般的ではなく、漢字変換もなかなかスムーズにいかないことから、その後彼には「緑(りょく)」の字を充てることにしました。皆さま、このたび白黒茶々家に新たに加わった晃ちゃと緑ちゃのことを、よろしくお願いいたします。


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黒毛玉ちゃんを求む!

2015-06-27 00:21:24 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
昨年秋に白黒茶々にやって来た、黒くてふわふわなオス猫の蒼ちゃ。すぐに我が家にも慣れ、家族にもとても可愛がられました。



当初は態度を硬化していた先住猫の銀姉さんや京姉さんも徐々に受け入れるようになってきたのですけど、ウチの家族になってわずか1ヶ月ほどで、彼は病気のために虹の橋の向こうに旅立っていってしまいました。それ以来、私たちは彼に対して喪失感と申し訳なさを抱え続けることに。また、彼のことが大好きなので、せめて同じ姿かたちの猫を飼いたいと思うようにもなりました。

とはいっても、黒猫なだけではダメで、さらにふわふわな黒毛玉に限定してしまうと、見つけるのはかなり難しいのでは? 4年前に茶トラのメスという条件で、京ちゃに行き着くまでには半年以上かかりましたし。 そういうこともあって、今回は性別にはこだわらないことにしました。とにかく彼女の時と同じように、仔猫の里親募集サイトから入ることにしましょう。 そうしたら………



1月末頃に、蒼ちゃそっくりの里子が見つかりましたよ しかもいい感じで毛吹いていて、黒猫なのに光の当たり具合によって焦げ茶に見えるところまで、彼と一緒ときたもんだ それだけではなく、同じような子が3匹もいるというので、選びたい放題ということに。 「性別は不明」となっているのですけど、まあなんとかなるでしょう。ちなみに、里親を募集しているのは名古屋近郊の町にお住まいの方で、譲渡の条件には「直接引き取りに来られる方」とありました。もちろんそのぐらいの距離なら、お茶の子さいさいですよ。
私はさっそく里親の申し込みをしました。それから間もなくして、来た返事は………

「すでに数人の方から里親になりたいという連絡があり、トライアル(お試しの飼育)中や、お見合い待ちの状態にある」と仰っていました。 そのような状況の中でも、「交渉中の子が1匹いて、数日後に結果が出る」というので、待たせてもらうことにしました。かなり厳しい状況ではあるのですけど、その黒毛玉ちゃんがウチに来る運命の子だったとしたら、それらの障害(?)をかいくぐって来るハズです。 とかなんとかいっているうちに、結果が出ました。果たして………

「つい先ほど、里親が決定しました」
そうですか……… こちらの黒毛玉ちゃんたちが新たな家族のもとで幸せになることを願いつつ、私は里子探しを再開することにしました。



最初の里親騒動(?)から3ヶ月以上経った5月中旬に、またしても名古屋市の近くの市のほうで、黒毛玉の里親を募集しているという情報をつかみました。 今回の子は女の子ですけど、容姿はとてもいい感じですね。 私はその情報を、家族でファミレスに行っている際に携帯で検索していて見つけました。「こんな感じの子だけど、どお?」そうしたら、箔母さんもたつぴも「いい、いいっ 」と賛同してくれました。実は前回は、少し間を置いてから申し込みをした結果、出遅れてしまったので、今回は即その場でメッセージを作成して、送信しました。 「来週そちら方面に行く用事があるので、寄っていってもよろしいでしょうか?」と。ちなみにその用事とは、犬山お城オフ会のことです。そうしたら、返事のほうも速攻で来ましたよ みんなでドキドキしながら見た、その内容は………

「先ほど里親が見つかりました。取り急ぎ、募集終了に変更させていただきます」
嗚呼……… その結果に、3人とも撃沈しました。 それから間もなくして、里親募集コーナーからその黒毛玉ちゃんは消えました。



それでも、黒毛玉2連敗から約1週間後に、また新たな里子情報がありました。今度も、女の子のようですね。 発信もとは、愛知県尾張地方にあるK市の方ですけど、前の2件とは少し勝手が違っているようでした。里親を募集しているその方は、動物の保護団体に属していることもあって、里親になるのにはある一定の条件を満たさなければならないみたいです。

そういえば里親募集サイトを見ているときに、いろいろと条件を付けてくる保護団体をけっこう見かけました。単身者不可とか完全室内飼いとかはよく聞くのですけど、野良猫の子を拾ってきただけなのに、それに避妊手術代やマイクロチップ埋め込み代、保護活動費などを含めて、7万円も要求するところも。 サイトの管理人から「さすがにそれはやり過ぎだろ 」と突っ込みが入ったのでしょうか?それから間もなくして、その条件は消えました。
それ以外にも、注文の多いところはありましたよ。例えば、岐阜県の西濃地方を活動拠点にしている方は、「仔猫に負担がかからないように、譲渡先は移動時間が1時間以内のところ」と、範囲をしぼっていました。さらに「犬のいる家は、無理です」なんていうところもありましたし。それらのようなところだったら、ウチは相手にしてもらえないでしょう。 猫を大事に思う気持ちはわからないでもないのですけど、里親を希望する人との掛け橋になるどころか、壁になっていないでしょうか?

その点でいえば、今回黒毛玉ちゃんを抱えているこちらの団体は、まだいいほうだと思います。 「飼育環境を見たいので、こちらから直接お渡しにうかがい、その際にかかった交通費を請求します」ともありましたけど、それくらいなら快く対処いたしますよ さらに「(里親を)至急募集します」ともなっていたので、きっとよい返事をもらえるでしょう。 それでも、私はたて続けに出遅れたこともあって「まだ新たな家族が見つかっていないようでしたら、ぜひ 」と、つい付け加えてしまいました。果たして、今回は滑り込みセーフとなるのでしょうか?そして、お待ちかねの返事が来ました。さてさて………

「先住犬・猫の数が多すぎることが不安に感じる為、申し訳ありませんがお断りさせてください」
そんな……… 譲渡の条件の中に、そのような文面はなかったじゃないですか 確かにペットの数は多いほうかも知れませんけど、何匹までならいいと言うのですか
………というのは私の心の叫びですけど、このようにしてこの話は決裂しました。 その後もその保護団体の方は、そのような調子で里親希望者を斬り捨てていったのでしょうか?その黒毛玉ちゃんは、その後1ヶ月を過ぎても新たな飼い主が見つからない状態でした。

里子探しはネットで3連敗となってしまいました。これは、自分の足でも探さなければいけないということかも知れません。 なので、今度は地元の保護団体が開催している譲渡会のほうにも行ってみることにします。 さらに、箔母さんも一緒に行きたいというので、今回は2人で追い求めることにします。



5月下旬の日曜日に、こちらの施設のほうでそのような催しがありました。 今回は出たとこ勝負なのですけど、果たして運命の子と出逢うことはできるのでしょうか?会場の戸を開けて、入ってみたところ………

対象となる猫は、1匹を除いてすべて成猫でした。それだけではなく、私の思い描いているような黒くてふわふわな子は見当たりませんし。 保護する目的があったら、大きさは関係ないハズなのですけど……… すみません、私はすごくワガママを言っています。救いの手を差し伸べることはできないのですけど、これらの子が優しい飼い主と出逢えることを願っています。



実は同じ日にもう1件、他の団体による譲渡会があったのですよ。 私たちは気を取り直して、そちらのほうにも顔を出してみることにしました。 ちなみにその会場は、浜松市内にあるこちらの公民館。今度こそ、私を唸らせるような子はいるのでしょうか?ギギィ………(入り口の戸を開ける音)

いくつか置かれたケージの中には、すっかり大人になった猫がいました。 しかも、猫よりも人間の数のほうが多いような。これは、ちょうど仔猫がいない時季なのでしょうか?そのような中で、保護活動をしているうちの一人は「小さい子は大事に育てて、生後3ヶ月を過ぎてから出すようにしています」と仰っていました。しかし目の前にいる子たちは、どう見ても生後半年~1年はいっているような。それに、やはり黒毛玉ちゃんは見当たりませんし。 私たちは、力になれなかった申し訳なさと、希望の子と出逢えなかった失望感を抱えたまま、その会場をあとにしました。

これはネットを介したほうが、まだ可能性があるような気がします。ということで、私は再びパソコンに向かいました。 それだけではなく、せっかくいい情報があっても、今までのように出遅れてはいけないので、最低でも1日に3回は里子情報をチェックすることにしました。 そのようにしていたら………



5月の末に、愛知県の名古屋近郊の市のほうで、性別不明ながらも長毛っぽい黒仔猫の里親を募集しているという情報をゲットしましたよ ただし見た目とは違うかも知れないので、ここは高まる気持ちを落ち着かせて、その仔猫の特徴を聞くところから入ることにしましょう。 その結果………

「この子の母猫は、メインクーンとチンチラのミックスなので、長毛になりそうです」と仰っていました。 よしよし それだけではなく「これから先約の方がお見えになるのですけど、不成立のときにはお譲りします」というではありませんか!黒毛玉ちゃん、いらっしゃ~い
しかし冷静に考えてみたら、こんなにもカワイイ子を抱っこしたら、誰でも連れて帰りたくなるに決まっていますよ。 案の定、その黒毛玉ちゃんはそのままもらわれていったみたいで「お気に召され、もらわれていきました」という返事がありました。

これで、黒毛玉ちゃんに関しては4連敗ということに。 直接足を運んだ譲渡会のほうの不戦敗も含めると、6連敗ということになります。気付いたら、それに要した時間も4ヶ月を越えていますし。それでも、いつか運命の子と出逢えることを信じて、粘り強く探し続けるようにします。それだけではなく、これからは里親情報を1日に5回以上はチェックするようにします。



………という心意気でいたら、岐阜県の西濃地方のほうで、このような黒毛玉の女の子が見つかりましたよ 他にも黒猫のきょうだいがいるみたいですけど、毛が長いのはこちらの1匹だけみたいですね。そうしたら、さっそく申請してみることにしましょう それから間もなくして、お返事が来ました。 それによると………

すでに先約の方から、姉弟での里親希望の連絡をもらっているとのことですけど、順番に関係なく私の申し出も聞き入れてくださいました。そういえば、へげたれ妻さんに京ちゃのことをお願いした際にも、当初は弟猫も一緒に勧められましたね。 しかし、ウチは追加メンバーは1匹が限度で、そのときもその条件を受け入れてもらいました。なので今回も、黒毛玉に対する想い入れを強く訴え、生活環境のこともしっかりと伝えて、返事を待つことにしました。 果たして、今度こそは良縁に恵まれるのでしょうか?

その話の結末やその後の話まで語っていったらあまりに長くなってしまうので(すでに長いのですけど )、このあたりでいったん仕舞いとさせていただきます。 また日を改めて続編を書くので、皆様は想像を膨らませつつお待ちくださいませ。


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還っていった蒼ちゃ

2014-12-13 00:26:54 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
10月末に白黒茶々家に保護され、さらに新たな家族として迎え入れられた黒仔猫の蒼ちゃ 今回は彼のその後について綴らせていただきます。



蒼ちゃは保護された直後は小さく、モコモコの毛皮の中の肉体はあばら骨が当たるぐらいガリガリに痩せていました。 それだけではなく、毛の中からノミが出てきたり、ケガしている肛門にはウジ虫がいたりと、大変な状態でした。 それらをなんとかするためにも、病院に連れていかなければ ということになったのですけど、その頃ウチには適度な猫キャリーはありませんでした。



当の蒼ちゃはたつぴのフードの中でくつろいでいたので、そのまま連れていってしまいましょう 病院に着いてから、獣医さんが「猫って、どこですか?」と言うもんですから「ほら、ここに」と見せたら、彼(彼女)までメロメロに。 すっかり味をしめた蒼ちゃは、それからしばらく有袋類(子供のほう)になっていました。



蒼ちゃは保護されてから、特にたつぴになついていて、ずっと彼のお膝にいたり、あとを付いて回ったりと。そんな彼のことを、たつぴもとても可愛がっていました。彼らが寄り添って寝ている姿には、こちらも癒されます。



また、蒼ちゃはウチの子になってからは食欲旺盛で、お腹も体も健康な仔猫らしいポンポコリンな体形になっていきました。 彼は目鼻立ちも整っているので………



大きくなったら、こんな感じになるのかも知れませんね ちなみにこちらの黒長毛猫は、「動物のお医者さん」の菱沼の家に出入りしている、半ノラ猫のニャオンです。とにかく、彼は将来きっとハンサムになるに違いありません。



蒼ちゃはウチで過ごしていくうちに、人間だけではなく先住猫との関係も築いていきました。銀ちゃ京ちゃは、当初は彼のことを激しく拒絶&威嚇していたのですけど、やがて京ちゃのほうから近付いていくようになり、しまいには一緒に遊んだり寄り添って寝たりするほど仲良しになりました。心を開いた京ちゃは、弟ができてとても嬉しそうに見えました。 よしよし。



一方の銀ちゃは、蒼ちゃのことを頑なに拒否していました。それでも、少しずつではあるのですけど、お互いの距離は縮まっていくようにも見えました。そして、一瞬の間ではあったのですけど、ストーブの前で夢の三色猫団子の姿を見せてくれました。これは、私たちがムリヤリ押し込んだのではなく、自然とこうなったので、とても貴重な一枚なのですよ。



すっかり白黒茶々家の一員となった蒼ちゃ。そんな彼をお披露目&自慢したくて、私は実家に連れていったりもしました。 そちらでは、こちらも今夏に新入りした縞三毛猫のナナとも、ご対面しました。ファーストコンタクトではお互いに驚いた様子でしたけど、しだいにいい感じで近付いていくようになりました。これは、ウチの姉猫たちのときよりは早く打ち解けるかも知れませんね。

………と、ここまでは順調だったのですけど、ウチに来てから3週間ほど経ったあたりから、蒼ちゃはご飯の食べが少し悪くなりました。また、その頃出したばかりのストーブの前で寝ていることが多くなったことから「寒くなってあまり動いていないから、お腹も空いてないのかな?」私たちはそのぐらいにしか思っていませんでした。それから数日間その状態が続いたのですけど、そこそこ食べたり遊んだりもしていたので、まだ大丈夫かと。
ところが、そのうち蒼ちゃの息が荒くなってきたのです。しかしその日は祝日の振り替え休日で、動物病院はことごとく休みでした。「明日になったらやっているところもあるから……… いや、こんな調子だったら、とても明日まではもちそうにない」私は救急外来をやっている動物病院を探しだし、箔母さんと一緒に蒼ちゃをそちらに連れていきました。



浜名湖をまたいだ浜松市内にあるこちらのH動物病院は、新しくて最新の医療機器が整っていて、さらに多数のスタッフが控えていました。そこで、蒼ちゃはレントゲンなどの検査を受け、間もなくして診断結果が出ました。

蒼ちゃは重度の肺炎だったのです。「レントゲンを撮ったら肺が真っ白で、息苦しいのはこれが原因です」さらに獣医さんは「そうしたら、二つの選択肢があるのですけど……… このまま家に連れて帰るか、できる限りの治療を施せば、ひょっとしたら治るかも」とも言っていました。「連れて帰るってことは、治療はあきらめて家で看取るってことですよね?」「はい、そうです」「少しでも治る可能性があるのなら………」私たちは迷いませんでした。蒼ちゃを獣医さんに任せることにしたのでした。今後の治療法は、蒼ちゃを酸素室に入れ、点滴で抗生物質を送るということになりました。「とりあえず、3日間預からせてください。その頃に状況が好転していれば、退院の目処が立つので」さらに血液検査の結果を見たら、白血球の数が増えていて、すでに彼が病気と闘っている状態にあるということがわかりました。獣医さんも「これで、治る可能性が少し増えた」とも言っていましたし。私たちは3日後を楽しみにして、病院をあとにしました。

………とはいっても、もし約束の期間より前に病院から連絡が来たら、どおしよ〜。それは、蒼ちゃにもしものことが起こったことを意味するので、私と箔母さん、それにたつぴも気が気ではありませんでした。そして、蒼ちゃが入院してから3日が経ちました。彼の様子を病院に聞いたら、肺の様子は好転していなくて、まだ酸素室にいるとのこと。また、彼に注入した抗生物質は、遅れて効果が出てくるとも言っていたので、私たちは獣医さんを信じてもう少し待つことにしました。

そんな感じで迎えた、入院から6日目の日曜日。私とたつぴは箔、波とともに岡崎城で地元のサモさんたちと紅葉狩りを楽しみ、家に帰ってから今度は箔母さんを伴って、H動物病院に蒼ちゃのお見舞いに行きました。果たして、彼はどのような状況なのでしょうか?



私たちが思っていたよりは彼は元気で、久しぶりに家族と逢えて嬉しかったのでしょうか?ノドを鳴らしながら鳴いたり、みんなに体をスリスリしてきました。 獣医さんによると、まだ肺は真っ白な状態なのですけど、食欲や元気が戻ってきたので、その前日ぐらいから酸素室から一般病棟に移ったそうです。ただし、心臓の弁に肺から流れてきたと思われる菌の塊が付着して、心音に雑音があるということを聞かされました。それでも、これも治療を続けていくうちに肺と一緒に治る場合もあるとのこと。
さらに2日ほど様子を見て、特に問題がなければ晴れて退院 あとは投薬&定期的な通院をしつつ、自宅療養に切り替えるという嬉しい報告もありました。 蒼ちゃにとっても、病院よりは住み慣れたウチのほうが居心地がいいだろうから、そちらのほうが病気の治りも早いでしょう。



そうと決まったら、家のほうでは彼を迎え入れる準備をしておかなければ その頃には冷え込みのほうも本格的になってきたので、夜彼が寝るときに寒くないように仔犬&仔猫用の電熱マットを買っておきました。 私たちだけではなく京姉さんも、彼の帰りを首を長くして待っていますよ。波ちゃは……… どうかお手やわらかに。 そして、いよいよ彼が退院してくる日がやって来ました。

その日私は仕事があったので、蒼ちゃとの対面は帰宅してからとなりました。少しでも早く彼の元気な姿を見たくて、家路を急いだのですけど……… なぜか彼はぐったりとしていて、苦しそうに寝ていました。環境が変わったので多少の体調不良はやむを得ないのですけど、せめて薬入りのご飯をがっつり食べてくれ。しかし、彼は少し食べただけで、それ以降はいくら進めても受け付けようとしませんでした。
そうしたら、この日のために用意した電熱マットの上でお休みなさい。しかし、彼はそこでは落ち着かなかったのか、すぐに出てしまいました。また、容態はよくないのに、ときどき起き上がってふらつきながらも歩いたりしようとしていました。そのような調子なので、私たちは彼から目を離すことができませんでした。しかし、私たちが寝る時間になったあとも、彼のいる部屋のストーブをつけっぱなしにしておくワケにはいきませんし。どうしたらいいのでしょうか?
「何にしても、蒼ちゃのことが心配で寝られないだろうから」箔母さんはそう言って、ストーブのある部屋で一晩中彼に付き添うことになりました。

その翌日の早朝「白黒茶々さん、蒼ちゃの様子がおかしい」彼女が私を起こしにきました。私はたつぴも起こし、蒼ちゃのいる部屋にいきました。そこで私たちが見た彼の姿は………
すでに瞳孔が開いていて、わずかに前足が動くのが見えたのですけど。12月3日午前5時12分、蒼ちゃは箔母さんの手の中で静かに息を引き取りました。2ヶ月半のあまりにも短い一生でした。彼は目を開いたまま、大好きなたつぴの顔を見ながら旅立っていったのです。あのときの前足の動きは、みんなにバイバイしたように思えて仕方がありません。

蒼ちゃが亡くなるそのときまで、私は彼は必ず病気を克服して元気になると信じていました。しかし今思うと、入院してから約束の3日が過ぎても、さらに酸素室での療養期間を延ばしても、肺は真っ白なままだったので、もう治る見込みはなかったのかも知れません。それなのに、彼は小さな体で頑張り、私たちに少しでも元気な姿を見せようとして……… 

蒼ちゃ、救ってあげることができなくて、本当にごめん。少しでもおかしいと思ったときに、病院に連れていっていればよかったのに。保護した直後に、レントゲンのある病院でしっかりとした検査を受けさせていたらよかったのに。もっと早く見つけて保護していればよかったのに……… 後悔ばかりが積もります。



亡くなった翌日に、私と箔母さんは蒼ちゃを野辺送りしました。その日は朝から雨が降っていたので、彼は雨の日にウチにやって来て、雨の日に還っていったことになります。これから雨の日には、特に彼のことを思い出すようになりそうです。ウチに来てからわずか1ヶ月ちょっとしか一緒にいられなかったのですけど、彼は私たちの心の中に深く残っています。蒼ちゃのほうは、ウチの子になって少しは幸せだったでしょうか?そちらの世界では、飢えたり凍えたりすることもなく、まるまると太ってくださいね。


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帰ってきた黒ちゃ? ………の続き

2014-11-22 00:29:18 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
説明するまでもないと思うのですけど、先月末の雨の夜に白黒茶々家が近所で黒い仔猫(略して黒仔猫)を保護したところから、話を始めさせていただきます。



私たちはその黒仔猫を家に連れて帰り、まずは水と柔らかいご飯を出してあげました。そうしたら、勢いよく食べ始めたではありませんか やはりかなり餓えていたみたいです。それだけではなく、毛のなかにはノミが潜んでいて、お尻にはウジ虫がいました。 そうしたら、お腹には寄生虫の類いがいるかも知れませんね。あのとき、私たちが保護しないで放っておいていたら、その命はあまりもたなかったでしょう。それでも、「決して悪いようにはしない」という私たちの言葉を信じてくれたのでしょうか?その黒仔猫ちゃんは私たち、いや、特にたつぴに体を寄せるようになりました。
それでも、黒仔猫ちゃんはシャンプー&お湯に浸けてある程度ノミを退治したのちに、獣医さんに診てもらいました。 その結果………

その仔猫はまだ生後1ヵ月半ほどで、性別は男の子。器量もよく、病院では怯えることもなく堂々としていて獣医さんが「捨て猫や野良猫にしては神々し過ぎる」と言うほどでした。



お尻のウジ虫はいちおう駆除できたのですけど、傷になっていて薬も塗ったので、たつぴ手製のエリザベスカラーをやってもらいますよ。 その感覚を味わうのも初めてのハズなのに、彼は物怖じする様子は一切見せず、普通にしていました。

そうしたら、あとはその黒仔猫君の処遇について考えなければならないのですけど……… 本当の飼い主さんが探しているようなら、お返ししなければなりません。 しかし、こんなに小さな子が遠くからやって来るハズもなく、近所の子だとしても、数日前から鳴いていたのに誰かが探している様子もありませんでしたし。こうなったら彼のことは、私たちが判断してもいいでしょう。

………なんて言ってはみたのですけど、正直言って私は最初からウチで飼う気マンマンでした。「死んだ猫は毛皮を変えて帰ってくる」と云われていることもあって、私はどうしてもこの黒仔猫君が黒ちゃの生まれ変わりに思えて仕方がなかったのです。雨の日の日没後に、お腹を空かせてやって来るというパターンもまったく一緒でしたし。ただし、今回はストレートにウチに来れなくて、少し迷ったような……… まあ、それはご愛嬌ということで。

そこまで決まったら、あとは命名ですよ。 しかし、「黒」という黒猫の究極の名前はすでに使っていて、ウチでは永久欠番みたいなものとなっているので、避けなければなりません。そうしたら、墨を転じさせた「澄」や、丸い毛玉→玉→「珠」なんていうのは?う~む、いずれのものも女の子向けの名前ですし、目の前にいる黒仔猫君にはあまりしっくりときません。
………とかなんとか私が悶々と頭を抱えているときに、常日頃「命名はニガテ」と言っていた箔母さんが、考えていた名前をおしえてくれました。 それは………

「蒼(そう)」というものでした。彼女によると「目の奥が青く輝いていたから。それに、私が以前やっていた茶道のお辞儀の用語に『真行草(しん・ぎょう・そう)』というのがあって、(先住猫の)銀や京と名前の響きやバランスが合うかなと思って」というのです。「銀京蒼」の蒼君か、いいじゃないですか このようにして、黒仔猫の名前は、「蒼」に決まりました。



しかし先住猫の銀や京は、蒼のことはすぐには認めてくれませんでした。彼女たちは彼のことを避けて、2階にばかりいるようになってしまいました。 逆に、波は相手が子供だろうと情け容赦なく追いたてようとしますし。みんなが仲良くし、平穏に過ごせるようになるまでは、もう少し時間がかかりそうです。



蒼ちゃが新たに加わったことによって、白黒茶々家は史上最多タイの2ワンと3ニャン体制となりました。また長毛種の猫と関わるのは、白黒茶々家では、いや、実家を含めても初めてということになります。 今は手のひらサイズの彼が、どこまで大きくなるのか?それから、先住猫や犬たちと今後どのように関わっていくのか楽しみですね。読者の皆様、これからも新入りの蒼ちゃのことをよろしくお願いいたします。


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帰ってきた黒ちゃ?

2014-11-21 00:34:23 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
話は今から10年前の10月にまでさかのぼります。 その日は小雨が降っていて、また秋ということもあって、夕方でもかなり暗くなっていたと思います。 そのような状況の中で、ウチに痩せ細った黒猫の仔猫(略して黒仔猫)が迷い込んできました。雨の中でお腹を空かせた黒仔猫が助けを求めてくるというシチュエーションに出くわしたら、救いの手を差しのべざるを得ないじゃないですか その黒仔猫が、黒ちゃだったのです。



それから黒ちゃは、先住猫の茶々の気苦労も気にしないで自由奔放に過ごし、箔が来たときには初めて威嚇する姿を見せ、茶々がいなくなって銀や京を迎え入れてからは半強制的に姉貴分になってもらいました。 そして今年の6月に、最期に仔犬の波がウチの子になるのを見届けてから、虹の橋の向こうに旅立っていきました。

それ以来、白黒茶々家は2ワンと2ニャンの状態だったのですけど、私たちは幼い波の世話に追われる日々を過ごしていました。 また、黒ちゃがいなくなった寂しさはあったものの、新たに猫を飼おうという気にはなかなかなれませんでした。

そんな先月の末ぐらいのこと、ウチの近くで仔猫が鳴いているような声が聞こえてくるようになりました。気になった私や箔母さんがその声の主を探しに行っても、なかなか見つけ出すことはできませんでした。 それでも、声がしたらすぐに外に出るようにはしていました。
仔猫の鳴いている声(略して仔猫声)を初めて聞いてから2日ぐらい経ったときに、いつもの如く私と箔母さんはまたしてもその声に誘われていました。 そして先に屋外に出た彼女は、ついにその姿を見たのです! いたよ 」私は大急ぎで、彼女のもとに向かったのですけど………
「隣の(家の)車が出ていくのに驚いて、どこかにいっちゃった。黒くてモコモコした小さな仔猫だったのに。すぐ手の届きそうなところにいたのにぃ~………」
それ以来、仔猫声は聞こえてこないようになってしまいました。しかし、あまりに小さな仔猫なので、放っておいたら1匹だけではあまりもたないのでは。 せめて誰かに拾われるなりして、生き長らえてくれ。一度姿を見てしまった箔母さんは、私以上にそう思っていたことでしょう。



それからさらに3日後に、再び仔猫の声が聞こえてきました。初めてその声を確認してから5日にもなるのですけど、なんとか生きていてくれてるみたいですね。とはいっても、すでに日は暮れて暗くなっていました。 しかも、小雨まで降っているときたもんだ 期せずして、暗い中で黒猫を探すことになるなんて……… 捜索活動は難航しそうですけど、私は懐中電灯を片手に外に飛び出していきました。 さらに、箔母さんとたつぴも続いて、大捜索となりました。このチャンスを逃したら、もうあとはない その時、みんなしてそう思っていたに違いありません。
仔猫声は、隣の駐車場のほうから聞こえてきました。その声をたよりに、探していくうちに「あっ いた」箔母さんが発見したみたいです。「車の下に潜んでいるよ」と言われても、「ええ、見えないよ」私はなかなかその実態を見ることはできませんでした。 そのうち「本当だ、いたっ」たつぴも見つけることができたみたいです。そして「いたよ」ようやく私もその姿を見ることができました。 それにしても、思っていたよりはずっと小さいではありませんか とにかく、見つけたからには保護にかかります。

しかし、いくら「おいで」と声をかけても、出てこようとしませんでした。 「きっとお腹を空かせているから」と、食べ物でつってみても、警戒しているからでしょうか?まったくダメです。「できることなら、手荒なマネはしたくないのだけど………」私は家からホウキを持ってきて、反対側からつついてみることにしました。 「どう、出てきた?」そうしたら次にその黒仔猫は、箔母さんの手の中にいました。怯えて威嚇しているのですけど、どうやら無事に確保できたみたいです。



………と、いいところで申し訳ないのですけど、黒仔猫のことを語りだしたらあまりに長くなりそうなので、ここでいったん締めさせていただきます。 その代わりといってはナンですけど、保護した直後の黒仔猫の姿を載せておくので、どうかこれでお堪えくださいませ。それだけではなく、今回は更新のペースを早めて、続きは明日公開できるようにします。ということで、次回は黒仔猫のその後の話なので、そちらのほうにもどうかお付き合いくださいませ。


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実家の猫変遷

2014-10-25 00:01:02 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
私は小さい頃から実家のほうで、犬や猫に囲まれて生活していました。 やがて私は結婚して家を出ていき、その後犬は老衰で亡くなったのですけど、猫のほうは残り続けました。というよりは、1匹の猫がかなり長生きしていたのですよ。それが、箔波日記のツバメの観察日誌などにしばしば登場したオス猫のフクなのです。



彼は平成5年(1993年)の秋に、大ケガをした状態で実家のほうで保護されました。 獣医さんに連れていって、後ろ足の骨折は治ったのですけど、前足は神経が切れていて対処することができませんでした。 それ以来、その患部は包帯などを巻いて保護していたのですけど、彼が15歳になった頃にそこが化膿してきたので、思い切って切断手術をすることに。術後に容態が急変して死にかけたのですけど、なんとか持ち直して無事に家に帰ってくることができました。
前置きが長くなりましたけど、今回はフクのその後の話をお伝えします。



フクは歳を重ねていっても痴ほう症になることも排泄が弱くなることもなく、昨年には20歳の誕生日を迎えました。 その間に私の親きょうだいは、犬ほど手間がかからないということもあって、すっかり猫派となっていました。 そういう私も、犬と僅差ぐらいで猫が好きなのですけど。

そのフクにちょっとした異変が見られるようになったのは、昨年の初夏の頃のことでした。彼が呼吸をする度にノドからゴーゴーというような音が聞こえ、それから間もなくして食べることができないようになってしまったのです。
私の母が獣医さんに連れていったら、彼のノドのあたりに腫瘍が見付かりました。しかし彼はあまりにも高齢なので、手術をすることはあきらめ、みんなで見守っていくことにしました。

その間、毎日のように動物病院に通って、彼の栄養分は点滴でまかなってきました。「ムリな延命治療ということになるかも知れないけど、できるだけのことをやってあげたいから」という母の言葉に、反論する人はいませんでした。その治療費も大変なのですけど、彼が1日でも長く生きてくれることをみんなが願っていました。私の姉も「フクちゃん、なんにもしなくても、ただ生きていてくれるだけでいいからね」と、彼に話しかけていました。

点滴治療を始めてから約1ヵ月半後の7月26日の朝、フクは静かに息を引き取りました。みんなは悲しみに包まれたのですけど、あまり涙を見せる者はいませんでした。1ヵ月半の間に、彼は私たちに心の準備をさせてくれたのかも知れません。
ペットを亡くしたとき「あんな悲しい思いはしたくないから、もう飼いたくない」という人もいるのですけど、私の両親からはそのような言葉は一切聞かれませんでした。それどころか、「フクちゃんが許してくれたら、いつかまた飼いたい」ようなことを言っていました。その「いつか」とは、いつ頃のことでしょうか?

そんな今年の5月頃、私は浜松市の動物管理指導センターというところに、譲渡できる仔猫がいないか問い合わせてみました。 その施設は殺処分寸前の犬や猫を、救済の意味を込めて希望者に譲る活動もしていて、先述の老衰で亡くなった犬もそこから来たのでした。また、私が茶トラ猫のメスを追い求めていたときにも、そちらに掛け合ったりしました。
そして今回「数匹の仔猫がいる」という解答をもらったのですけど、そのことを母に伝えても「ごめん、まだ飼う気になれないから………」と、つれない返事でした。

それから1ヵ月後くらいに、今度は私の姉が「お母さん、かわいい猫がいるよ」と言って、ノートパソコンの画面を彼女に見せていました。 そこには生後2ヵ月ぐらいのちょっとトラ柄の入った三毛(縞三毛)の仔猫が映し出されていました。しかし、彼女はまだ心の整理がついていないのでは?
「うわ~、かわいい 」ところが、一目見ただけで彼女はその仔猫に夢中になってしまったのですよ。 私より姉のほうがプレゼン力に長けているというか、ネットの力は強力です。

その三毛の仔猫は、里親募集のサイトのほうに載っているみたいですね。 その活動をやっているところは……… 「Go!Cat’s」って、ウチの銀が出てきたところではありませんか そういうことなら、話は早い。その保護団体のシステムはわかっているので。私はそのことを事細かに母に伝えました。 そうしたら今度は、気になった仔猫と逢うには、どうしたらいいのか?ということですよね。それは、定期的におこなわれている譲渡会に行ってみるといいでしょう。ちなみに、近いうちにその譲渡会が開催される日は?それは、6月29日の日曜日です。

話はトントン拍子に進んでいき、ついにその日の譲渡会に行くことになりました。 そのイベントがおこなわれる場所は、浜松市西区にある西山会館というところみたいですね。 やはりこちらも、私は茶トラ猫を追い求めていたときに行ったことがあるので、場所などは知っています。 そのようなことから、当日は母の代わりに姉が店番をやって、その母を私が譲渡会の会場まで連れていくことになりました。たつぴもそこに行きたいですって?まあいいでしょう、付いてきなさい。



そのような流れで、やって来ましたよ 西山会館に。しかし、つい張り切り過ぎてしまい、イベントが始まる前に着いてしまいましたよ。 やはり「Go!Cat’s」のスタッフも、里子に出される仔猫たちもまだ来ていません。それでも、開始時間になったら………



人も猫も集まり、賑わってきました。 その様子をよく見てみたら、ちゃっかりたつぴが仔猫を抱っこさせてもらっているではありませんか



並べられケージの中を覗いてみたら、いましたよ。小さくてカワイイ仔猫たちが そんな目で見つめられたら、私も連れて帰りたくなってしまいますよ。



そのような中で、母は「この子に決めた」と三毛の仔猫を連れてきました。 この子は最初にネットで見た、ピ代ちゃん(仮名)ではありませんか ひと通り他の子たちとも見比べてみても、ピ代ちゃんが一番グッときたみたいです。そうと決まったら、さっそく譲渡の手続きに入りますよ



「猫のなかには20年も生きる子もいるので………」スタッフの方は、年配の私の両親が飼うことを気にしていましたけど、彼女らに万が一のことがあったら、ピ代ちゃんは私か姉が引き受けるということで話はまとまりました。 そして、ピ代ちゃんはその翌日にスタッフの方が私の実家に届けてくれることになりました。
猫ネタのなかにワンコが入り込んでいますけど、こちらはその頃の波です。



それから、こちらは「Go!Cat’s」の方に見せるために撮ってきた、お銀ちゃんの写真です。 彼女は先述したようにそこの出身で、ひよちゃん→アチャちゃん→シルバーちゃんと名前を変えつつ、白黒茶々家にやって来ました。今回の譲渡会で、以前にお世話になったスタッフの方に彼女の近況を話したら、喜んでいました。またその際に、銀ちゃは姿かたちがそっくりな3姉妹のうちの1匹で、尻尾の形状で識別されていたという新事実も教えてもらいました。



そしてその翌日、私の親きょうだい達の大歓迎を受けながら、ピ代ちゃんは新しい住まいとなる私の実家兼職場にやって来ました。 とはいっても、その日から1週間はお試し期間で、その間に一緒にやっていく決意がついたら、正式にウチの子になるという流れとなっていました。ピ代ちゃんは少々お転婆なのですけど、私の両親はまったく迷いませんでした。
1週間後の7月7日に、ピ代ちゃんは改めて私の実家の猫となりました。 また、七夕のその日がウチの子記念日となったことから、名前のほうも「ナナちゃん」に決まりました。



みんなからの愛情を受けながら、すくすくと成長したナナちゃん。生後7ヵ月ぐらいの現在、大きさではすでにウチのお京ちゃんを越えていると思われます。ナナちゃん、これからも私の両親に癒しと元気と刺激を与え続けてくださいませ


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黒姉さんとの出逢いと別れ

2014-06-28 00:20:59 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
今回は、白黒茶々家の黒のことを書かせてください。彼女は、箔が来る7ヶ月ほど前にウチの子になった黒猫です。



黒猫とはいっても、正確には濃い焦げ茶で、真っ黒よりはやさしい色合いとなっています。それに加えて下毛は白いので、毛をかき分けると不思議な感じに。さらに縞模様もかかっているので、単純な黒ではないのです。 それから体には余分な贅肉はなく、全体的にしまっていました。すらっと伸びたマズルと耳、まっすぐに長い尻尾も、なかなかのものです。

私たちが黒と出逢ったのは、今から10年ほど前の平成14年秋のことでした。その日は小雨が降っていて、そのような中でお腹をすかせた痩せた黒い仔猫が、白黒茶々家に助けを求めてきたのです。そこにいた箔母さんとたつぴはその仔猫を保護し、食べ物を与えました。それだけにとどまらず、彼女らは「この仔猫も飼いたい」と言い出したのですけど………
その頃ウチには先住猫の茶々がいて、彼女の世話係だった私は、それ以上ペットが増えることに難色を示しました。その後は「面倒を見るのは、里親が見つかるまでだに」という条件でいちおう了解はしたのですけど………
それから1ヵ月も経ったら、私まで情が移ってしまい、彼女のことを手離せなくなってしまいました。このようにして黒は、晴れてウチの子になったのです。



しかし、茶々姉さんはなかなか黒のことを受け入れず、彼女を「シャー 」と激しく威嚇したりしました。 それでも黒は動じたりしないで、普通に接していました。 そんな粘り強さが通じたのか、数年経ってようやく茶々姉さんは黒のことを認めるようになりました。



ウチに来てから、人前では決して怒る姿を見せたことのない黒でしたけど、箔が新たな家族としてやって来たときには、彼女にとっては得体の知れない白くてモコモコのその生命体に、初めて「シャー 」と威嚇を浴びせました。 それでも、やがて彼女は箔のことを受け入れるようになりました。



やがて茶々姉さんが遠くの世界に旅立ち、若い銀や京がやって来たら、立場は逆転してしまいます。今度は黒のほうが後輩猫たちを受け入れられず、彼女らが近付こうものなら、吐くほど怒ったりしました。 それでも、その抵抗感は数ヵ月後にはおさまりました。



銀と京は仲良しになり、冬の寒い時季にはストーブの前で仲良く寄り添ったりしていたのですけど、黒だけはあぶれていました。3ニャンの間に多少距離感があるのは、ご愛敬ということで。



そんな黒に異変が起き始めたのは、今年のGWの頃だったと思います。元気や食欲はあるのに、徐々に痩せてきたのです。さすがに心配になって、動物病院に連れていったら、もともと身体の中にあるウィルスが原因で、腎機能や肝機能が著しく低下していると言われました。それだけではなく、病状が進行していて余命幾ばくもないとも。
やがて黒は食べ物を受け付けないようになり、点滴で養分を補給しても日に日に衰弱していきました。もう治る見込みがないのなら、私たちは現実を受け入れ、できるだけ黒と一緒にいる時間を大事にしていこうと決意しました。
彼女の体重は以前の半分ほどまで減り、歩くのもやっとの状態になってしまいました。それでも、誰も目を背けたりしませんでした。

そのような中で、箔母さんは「黒ぽんが外に出たがっていたから、庭に放してあげたよ」と、その日あったことを話してくれました。「お日さまを浴びたり、草の匂いをかいだりして、昔のことを思い出しているみたいだったよ」黒ちゃ、よかったね。「それで、飛んでいる蝶々を追いかけようとしたんだけど、体が付いていけなくて」私は「もうあまり長くないなら『これはムリだろう』ということでも、黒ちゃの好きなようにやらせてあげて………」と言いかけたのですけど、そこから先は声になりませんでした。

そのような状況の中で、波を迎えにけいママさん家に行く日がやって来ました。 当初は箔母さんも一緒に行きたがっていたのですけど、黒の容態があまりよくなくて「今日は一緒にいてあげたい」ということで、私とたつぴが箔を伴って赴くことにしました。けいママさんには申し訳ないのですけど、その日の私は波と出逢う高揚感と黒のことを心配する気持ちが交差していて、浮き沈みが激しかったです。私の携帯にメールが入ったら、そのたびに黒に何かあったのでは?と落ち着かなかったりも。
黒ちゃ、せめて新しい家族として波を紹介するまで、ウチにとどまっていてくれ。私はそう願い、布袋大仏に黒のことをお願いしてから、帰路を急ぎました。



「ただいま 黒ちゃの様子はどお?」帰るなり、箔母さんにそう聞いたら「元気だよ」と。黒にはまだ、弱々しくもアゴを持ち上げるくらいの力は残っていました。おかげで、そんな彼女を傍らに寝かせて、波と一緒に記念撮影……… というか、同じフレーム内に納めることができました。

その後も黒の容態は芳しくなく、夜は箔母さんが同じ布団の上で寝て、たまに起きては彼女の様子をうかがったりていました。その晩は私も気になって、なかなか寝付けませんでした。

その翌朝、箔母さんは「今日は仕事休んでいい?」と、私に聞いてきました。「職場に『休みたい』って言えば、休めるモンなの?」「それが、なかなかそうはいかないんだよね。まさか『飼っている猫が死にそうだから、休ませてくれ』なんて言えないし………」「何にしても、今日は仕事にならないら?」「そうなのよ」そうしたら、もう仮病しかありません。私は箔母さんの上司の方に電話をして、彼女が風邪で熱を出してその日は仕事に行けないということにしておいて、なんとか承諾を得ました。しかし、私は仕事をサボるワケにはいきません。辛うじて息をしている黒を撫で、箔母さんには「じゃあ、黒ちゃと一緒にいる時間を大切にして」と言い残して、家を出ました。

その日の午後、箔母さんからメールが来ました。「黒ぽんが、虹の橋を渡りました」それは、黒の最期を伝えるものでした。その日はたつぴの中学校では防災時の引き渡し訓練があって、たまたま彼はいつもより早く家に帰ることになったそうです。その帰宅直後の6月16日15時9分に、箔母さんとたつぴに見守られながら、黒は旅立っていきました。10歳と2ヵ月ほどの生涯でした。

黒は、色やキャラクターからしてかなり地味な存在でしたけど、知らず知らずのうちに私たちの中では大きな存在になっていました。私や箔母さん、それにたつびも、今は心にぽっかりと大きな穴が空いています。この喪失感みたいなものは、時間が経てば埋まっていくのでしょうか?



黒ちゃ、ウチに来てくれて、ウチの子になってくれて本当にありがとう。わずか20時間ほどでしたけど、波とも家族になれるように頑張ってくれて、ありがとう。黒のことは、ずっと忘れません。これからも、私たちのことを遠くから見守っていてください。
もし生まれ変わったら、今度はもっと長生きしてくださいね。到らぬ家庭ですけど、そんなウチでもよかったら、また逢いに来てください。


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チャン一族繁栄記

2013-08-10 00:01:21 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、のウチの子記念日の特別企画ということで、彼女が白黒茶々家にやって来るまでの経緯をふり返ります。 彼女は弟猫のルー君(コードネーム、チャン・ルー)とともにへげたれ妻さんに保護され、その後の彼女の手厚い看護によってメキメキと体力を快復させていきました。



このきょうだい猫は仲がよく、いつも一緒にいました。 この頃になると、おもちゃにもよくじゃれつくように。



一緒になって戯れる様子は、微笑ましい光景ですね。 できることなら、これからもずっと2匹ともウチ(へげ家)に置いてあげたいのですけど、先住の老猫のアサ君との兼ね合いもあるので、それは難しいことです。そのようなワケで、へげ妻さんは仔猫たちを里子に出すことにしました。

ネットの里親募集サイトに登録し、しばらく待っていたら……… 仔猫を飼いたいという人が出てきました。 その方は前年の秋に可愛がっていた茶トラの女の子(とはいっても、11歳でしたけど)を亡くし、毛の色と性別が同じ猫を探しているみたいです。………なんか、自分のことを客観的に書こうとすると、少しテレますね。 そうです 茶トラちゃんの里子を希望していたのは、私だったのです
へげ妻さんは当初、ネイちゃんとルー君を一緒に引き取ってもらうことを希望されていたのですけど、白黒茶々家の猫が先住の2匹から一気に4匹に増えるのはあまりにも責任と負担が重いので、1匹だけお願いしました。そして、私が火の神となった翌日の7月31日に、へげ妻さんはネイちゃんを連れてウチにいらっしゃいました。 このようにして、彼女(猫のほうですよ)は晴れて我が家の一員となったのです。



ネイちゃんはその後、名前を「京」と改め、たまにコードネームの「チャン・キョウ」を名乗るようになりました。
一方の「チャン・ルー」ことルー君は……… へげ妻さんは東京のお友だちに彼を譲ることにして、その話もまとまりつつあったのですけど、しばらく一緒にいるうちに情が移ったらしく、そのままへげ家の子になりました。



その後、ルー君は立派に成長し、直接比べてはいないのですけど、おそらく京よりは大きくなりました。 仔猫の頃は、京のほうが大きかったというのに………



その彼の向こうには、網戸越しにこれもまた茶トラの猫がいるみたいですね。ジロー君(コードネームはチャン・ジロー)」という名のその猫は………



へげ家の近所で飼われている、外猫のジロー君です。彼をよく見てみると、やや薄めの茶トラの柄に、ルー君にそっくりな体型。それに、写真ではわかりにくいのですけど、後頭部にはルー君や京にもついている寝グセというか、うずまきがあるのですよ!これらのことから、おそらく彼はルー君と京のお父さんだと思われます。

さらに驚くことに、その年はその近所ではルー君や京以外にも、似たような茶トラ猫が発生したというのですよ。 ジロー君の勢い、恐るべしです。
それでも、ルー君や京のきょうだいかと思われるチャン一族の彼らは、近所の方々に拾われ、すくすくと成長していきました。「小鉄」と名付けられた女の子は、よく屋根の上で昼寝しています。また、これもまた女の子の「チリーちゃん(チャン・チリー?)」は、いつもトラックに乗せられてドライブしていますし。



そういえば白黒茶々家の先住猫の黒も、雨の日に同じようにしてやって来たような。そのときもやはり、ウチの近所には彼女に似た黒猫がたくさん発生していました。
彼女らの発生源には「う~む………」という面もあるのですけど、巡りめぐってウチの子になってくれたことはありがたく思っています。また、京をここまで導いてくださったへげたれ妻さんにも、感謝しています。


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京に歴史あり

2013-08-07 00:01:26 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
タイトルからして、平安京とか本能寺の変とか出てくると思われた方がいるかも知れませんけど、今回は京は京でも、白黒茶々家にいる茶トラ猫のお京ちゃん(メス)の話です。



7月の最終日となる31日に、彼女はウチの子記念日を迎えました。早いもので、あれから2年にもなります。 その特集記事を組むに当たって、彼女を保護&里親募集してくださったへげたれ妻さんにその時の様子をうかがったら、いろいろと教えてくださいました。そういうこともあって、今回は彼女の証言をもとにして、新事実なども明かしつつ、京が白黒茶々家の一員となるまでのいきさつを綴らせていただきます。 とはいっても、もし事実とズレているところがありましたら、へげたれ妻さんや関係者の方たちは遠慮なくおっしゃってくださいね。

話は今から約2年前の、平成23年6月にまでさかのぼります。ところは和歌山県に程近い、三重県の熊野地方。 緑豊かなその地の農家に嫁いだへげたれ妻さん(以後、へげ妻さん)はその月の18日に、自宅の離れ(物置)で仔猫らしきものが鳴いているのに気付きました。 その様子を見に行ったら、生後1ヶ月ぐらいの仔猫が2匹、寄り添っていました。どうやら、きょうだいみたいですね。しかし、そのまわりをを見回しても、親猫の姿が見えませんでした。

雨が降っていて寒いので、へげ妻さんは湯たんぽとダンボールを用意したのですけど、仔猫たちは大きな猫の姿を見ると、雨の中でも必死に付いていこうとしていました。



特に、まだ元気だった姉猫のほうは大きい猫に付いていこうとしたのですけど、払われて塀の上から落ちたりしてしまいました。「こりゃイカン 」そんな彼女に、へげ妻さんが手を出そうとしたら、警戒心が強くて屋根の上に逃げられてしまいました。それでも、そのあとあっさりと捕まえることができました。ひょっとして、なついたのでしょうか?さらに、もう1匹の弟猫のほうは、エサでおびき寄せて捕獲したそうです。
その弟君はあまり動かなかったのですけど、彼がニャーニャー鳴いて呼ぶと、姉猫は仕方ないな~という感じで戻ってきて、寄り添いました。 仲のいいきょうだいですね。今思うと、姉猫は1匹でドンドン行ってしまうような性格なので、彼がいたおかげで留まっていてくれたような気がします。

その翌日の19日は、朝になっても親猫は来ませんでした。2匹の仔猫はひたすら鳴き続けています。

そのまた翌日の20日に、へげ妻さんが様子を見にいったら、2匹の仔猫はダンボールの中でぐったりしていました。「こりゃイカン 」雨にうたれたからでしょうか?彼女は慌ててその2匹を動物病院に連れていくことにしました。 かなり衰弱していますけど、どうか助けてあげてください

と願いつつ、獣医さんに診てもらったら………
2匹はちょうど生後1ヶ月で、体重は400グラム。猫カゼをひいているのですけど、姉猫は軽症で、まだ自分でご飯を食べられる程度でした。しかし、弟猫のほうは口内炎ができているので、スポイトでミルクを流し込んでみることにしました。

そして、自宅までの帰り道。ダンボールの中の湯たんぽが効いたのでしょうか?2匹は劇的に回復しました。 そのうち、へげ妻さんが運転している車の中で、姉猫はダンボールを喰い破って脱出したではありませんか 「じぇじぇじぇ
※へげ妻さん、その頃はまだ「あまちゃん」は放送されていませんし、その感嘆文も流行語にはなっていませんでしたよ。(編集部注)
それよりも、さっきまで死にかけていたというのに……… すご過ぎです。



帰宅してからご飯をあげると、姉猫はきれいにお皿を舐めたあと、「ニャッ」と一声をあげました。「ごちそうさま」と言っているのでしょうか?お食事のあとは顔もきれいに舐めて、なんてお行儀のいい子なのでしょうか……… と、へげ妻さんは感動されました。
※ひょっとしたら、彼女のことだから「おかわり」と言っていたのかも知れませんよ~♪(白黒茶々注)



一方、弟猫のはうは……… ご飯に顔を突っ込んで、こぼしまくりでした。口内炎のほうは3日ぐらいで治ったのですけど、しょっちゅう彼は姉猫のご飯にも顔を突っ込んでくるので、姉猫はひいていました。



毎日のように見られるこの光景に、へげ妻さんは「おいおい………」と言いつつも、微笑ましく見守っていました。 また、ご飯の他にも目薬や耳掃除も毎日3度やって、母屋に戻ってからは、先住している老猫のアサ君やオットーさん(旦那さん)の機嫌も取るという日が続きました。そんなへげ妻さんには、私は頭の下がる思いです。 本当によく頑張られました。その後、彼女は「名前がないのもナンだから」ということで、姉猫には「ネイちゃん」、弟猫には「ルー君」という名前をつけられました。生命の危機を脱したネイちゃんとルー君が、その後どのようなニャン生を歩んでいくのか?話は次回に続きます。


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